日本明慧


同修の張海燕を思い起こす

 【明慧ネット2004年4月23日】同修の張海燕が迫害されて死に至るニュースを耳にして、私の気持ちはこの上なく沈痛で、海燕と一緒の日を思い出して、彼女の顔と声が、すぐに私の目の前に浮かんできて、まるで昨日のように思い出す。

 あれは2001年の9月中旬で、私はただ一つの“煉”字を言ったため邪悪なものに留置場に捕まえられた。海燕は北京に大法を実証するため留置場に捕まえられて、そして私達が知り合った。彼女は31歳、大きいな目で、白くてきれいな顔だった。ごく短い十数日の触れ合いの中で、私は彼女がとても単純だと感じて、観念はとても少なくて、心理状態はとても清浄で、悩みもなかったようだった。彼女は傷がとてもひどくて、邪悪な警察は電気棒で彼女を殴って、木棒を使って彼女を打って、特に臀部は青から紫で、白くなって、最後に油が出てきた。しかし海燕の顔には苦痛な表情を見たことがなかった、彼女はそんなにも強靱だった。

 海燕は小さいときから農村で成長して、遠い旅に出たことがなくて、更に北京へ陳情するのはなおさらだった。大法に対する一つの真心で、彼女は独りで北京に来て大法を実証した。しかし天安門広場を探し出せないで、それから彼女がひとつの古代の建物のような建物の前まで歩いて(彼女がすでに天安門広場までとても近かったことを知らなかった)、座禅を組んで煉功を始めた。しばらくして、警察が来て彼女を天安門広場に連れて行って、その警官は海燕に聞いて、「横断幕をもって撮影される勇気があるか?」ポケットの中から一つの“法輪大法がよい”の黄色で赤い字を刺繍した横断幕を(だれかの同修から奪い取っただろう)取り出して言った、海燕は見ると、「私は大法弟子で、何で撮られる勇気がない!」このように警官は海燕に一枚の双手で“法輪大法がよい”の横断幕を高く上げた写真を撮った。それから彼女を留置所に閉じ込めた。

 黒山公安局と胡家派出所は彼女とあの横断幕を挙げる写真と一緒に黒山公安局に持ち帰って、国保大隊で海燕はまた黒山の邪悪な警察に苦難に遭わせられて、彼女に横断幕は誰からもらったのか、それとも自分で作ったのかと尋問した。海燕は彼らに横断幕は北京の警察からもらって、写真と撮ったと伝えた。国保大隊の警察は「それはあなたの造ったにせの証拠だ」と言った。それから海燕は不法に労働による再教育を受けて馬三家に送られて迫害を引き続き受けることになった。

 海燕はこのように残念ながら亡くなって、もう私達と離れてしまった。これは江氏グループのまた一筆の血の債務である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/23/72975.html