日本明慧


何をしても心を修めなければならない

 文/台湾の大法弟子 

 【明慧ネット2004年3月24日】何度も香港へ真相を伝えに行ったことがあるが、普遍的に存在している現象に気が付いた:それはつまり仲間同士でよく心性上の摩擦が発生することである。最近の経験では、名所で2人の中国人観光客がビデオを見ていて、ちょうど焼身自殺の真相をしている時、遠方から彼らを呼ぶ声が聞こえてきた。彼らのそばに立っていた仲間が呼ばれているから向こうへ行くと言った。そこでこの二人の中国人観光客もすぐに去って行った。私はこれを見て、仲間のやり方が間違っていると思って彼らに言った“先ほどの呼びかけは一種の妨害です”。ところがこちらの仲間の答えから、彼女は自分が間違っていないと思っていると感じて、再度彼女に言った。“明らかに妨害であることを知っているのに、どうして方法を考えて彼らを引きとめておかないの? ”

 この事はこれで終わったが、結局私が台湾に帰る日に、こちらの仲間が始めて教えてくれた。彼女はもともと修煉状態が良かったが益々良くなっていた。しかし、私が彼女を責めたことを聞いてから、彼女はずっと調子が落ち込んでいた。この時に私は初めて自分が大きな間違いをしていたことに気がついた:自分のその時の心が、あまり純正で慈悲ではなかったため、逆効果を与えてしまった。私が最初に彼女に伝えた時、自分の態度にとても注意していた。もし私の話で彼女の気分を悪くさせれば、全体の場が悪くなることをよく知っていたからである。しかし彼女の対応が、私の気分を悪くさせた時、私は自分の心性を守りきれなかった。表面上では私は大法を第一位に置いて、彼女にどのようにするべきかを伝えようとしたが、実は内心の深い所に、強い闘争心、顕示心があった。自分の心が歪んでいたため、邪悪に隙に乗じられて、仲間の前であんな横暴な態度〔彼女の話によると〕になってしまった。 

 憎々しげな様子に言及すると、私はまた次に香港に行った時のことを思い出した。ある仲間は、私が彼女に対する態度はとても横暴だと言った。〔その時私も大法の仕事がうまく行えるようにという理由で自分の執着を覆い隠していた〕その後、こちらの仲間はとても詳細に、その時の私が彼女に対して話した内容、表情、言葉の調子などを話してくれた。私を驚かせたのは彼女の話は私の記憶と非常に大きな差があったことである。

 この二つの事から思わず私に意識させたのは、私達が仲間と付き合う時、その中の一方で心性上に漏れるところがあれば、邪悪は隙に乗じて、双方の受け取る情報が異なってくることである:取り次ぐ者の意見、表情、動作など……が相手に誤解して受け取られてしまう。いったん誤解が生じると、邪悪はまた執着を拡大することができ、仲間が更に心を放下しにくくさせる。だから私達は一方では仲間が大法の仕事をやる時の考え方を尊重し肯定しなければならない。自分の観念を相手に無理に押しつけてはならない。例え相手に不足するところがあるとしても、責任を回避するのではなく、補充してあげ、一方では更に自分の一思一念でも注意しなければならない。邪悪に隙に乗じられ、いくつかの仮の様相が作り出されて、仲間同士の対立が激化しないようにしなければならない。 

 個人の体験と悟りなので、よくない所は仲間の慈悲のご叱正をお願いする。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/3/24/70651.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/8/46846.html