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天津市宝テイ区の大法弟子韓英一家が受けた迫害

 【明慧ネット2004年4月25日】韓英:男性、天津市宝テイ区方家鎮(県・自治県の下の行政区画単位)方家庄村の人。
 雍沢蘭:韓英の母
 門慧艶:韓英の妻
 韓平: 韓英の長兄
 侯素レイ:韓英の長兄の妻
 韓桂華:韓英のいちばん上の姉
 韓東霞:韓桂華の娘
 雍彩虹:韓平の従妹

 韓英一家8人はかつて2回北京へ陳情に行き、政府に“法輪大法”は人を善に導く高徳大法であり、政府の法輪功に対する処理は間違っていると訴えた。

 1999年9月韓英一家は北京へ陳情に行ったため、非合法に拘留され、8人が同時に留置場に監禁された。一ヵ月後、韓英は非合法に3年の労働教養を、韓英のいちばん上の姉、韓桂華は1年半の労働教養を言い渡され、他の6人は強制されて5000元の保証金を支払った後、解放された。

 2000年韓英の妻は“真、善、忍”の信仰を堅持したため、非合法に4年の刑を言い渡され、現在も非合法に天津女子刑務所に監禁されている。韓英の長兄の妻、侯素レイは引き続き修煉したため、かつて非合法に3年の判決を受けた。

 1999年4月25日韓英は《憲法》の与える権利を拠りどころとして、法律に基いて陳情に行ったが、宝テイ区政治防衛科により中堅分子のブラックリストに載せられた。1999年7月19日全国で法輪大法勉強会の責任者を非合法に連行するとき、韓英は非合法に15日拘留された。15日間の期限が過ぎた後、彼は警察に協力せず、保証書を書かなかったため、また15日間拘留された。

 1999年9月韓英は一家8人を連れて再び北京へ陳情に行った。然し北京の投書・陳情処理オフィスは公安局に変わっていた。そして宝テイ公安局に連行され留置所に送られた。一ヵ月後、韓英は非合法に3年の労働教養を言い渡され、北辰双口労働教養所に監禁された。韓英が受けた迫害は普通の人には想像できない。強制転化の間、睡眠を与えられず、24時間労働した。また警察と犯人の頭目は拳で殴ったり、脚で蹴ったり、くわと電撃棒を使って暴行したが、彼を屈服できず、彼に修煉を放棄させることができなかった!2001年9月天津市労働教養局、610(法輪功対策本部)は更に意志が固い大法弟子に対して迫害を与えた。双口労働教養所の大法学習者周向陽、李良、韓英は邪悪な610に主な迫害対象として選ばれ、天津の薊県漁山労動教養所に送られた。そこは労働教養犯らにより“世の中の地獄、悪魔の洞穴”と諭されている。しかし韓英の精神と体は倒れることはなかった。2002年9月3日満期になったが、韓英は“三書”、即ち信仰を放棄する“過ちを悔い改める書”などを書かなかったため、また非合法に半年間期限を延ばされた。

 韓英と彼の親族が監禁される間の2002年、数人の警察はビデオカメラをも持って数名の記者を連れて、韓英の家にやって来た。韓英の母を誘惑して、彼女に法輪功が彼らの一家を四散させたと言わせようとした。韓英の母は息子と娘の非合法な労働教養、そして二人の息子の嫁に対する非合法な判決にも悲しむことなく、警察に妥協しなかった。更にその場で警察の嘘を暴きだした:“李洪志先生は政府の誤解を招かないように数年前にアメリカに行った。法輪功は私達一家が非常に睦まじく暮らせるようにしてくれた。一家の四散?私の息子、娘、二人の息子の嫁はまさに貴方たちが捕まえて行ったじゃないか?”警察はおばあさんの質問に答えられなくなり、ビデオカメラを担いですごすごと帰って行った。

 2003年5月韓英は家に戻ってきた。彼は隣近所の人に分らないほど人が変わっていた。もともと元気にあふれていた若者は、現在、鶏をつかむ力もなくなり廃人となっている。そして如何なる生産労働にも参加できなくなった。韓英の母は息子のこの様子をみて、涙をほろほろとこぼした。江沢民は私の息子を傷め、悪事を働きすぎたので、必ず天理が許さないと言った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/23/72981.html