「四.二五」五周年を迎えて(その三)
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    三、弾圧に口実をつけるために落とし穴を作る

 事件は静かに解決されたが、法輪功に降りかかってくる魔難はまさにここから始まった。

 1.「4.25事件」は政治的な罠なのか?
 
 法輪功に対して、中共当局の中には幾つかの見解が存在していた。政治的な利益を得ようとし、絶えず法輪功を撲滅させることを企んでいる一握りの人もいる。中央社(台北 1999年5月4日)の報道によると、「4.25事件」は司法部門が裏で仕掛けた罠と苦肉の策であり、中南海が脅かされているという印象を人々に与え、法輪功を取り締まることを狙っていたという。

 法輪功は1992年に伝え出されて以来、国の関連部門に目を付けられ、投機にたけている人は私利のために打算し始めた。1996年、当時の国務院の秘書長である羅幹は自分の判断で法輪功に対して秘密裏に調査を開始することを公安部門に命じた。公安部門は大量の職員を派遣して法輪功学習者の各地の活動に参加したが、法輪功の中に不法活動があることを裏付ける証拠はまったく見つからなかった。

 証拠がなかったにもかかわらず、1998年中央司法委員会の書記に人事異動した羅幹は法輪功を取り締まることを極力主張していたが、この意見は国務院の朱鎔基に却下された。
 
 羅幹と親戚関係にあると伝えられている何祚?は中国科学院学士院のメンバーである。何祚?は中国大陸のマスコミで公に法輪功を誹謗中傷し、羅幹の「取締り論」を裏付けようとしていた。「4.25事件」が起きた後、法輪功に数千万の信者がおり、宗教的な迷信の色が濃く、創始者の李洪志氏はアメリカに移住し、複雑な国際的な背景を持つ疑いがあると羅幹は中央政府に報告し、真善忍を原則としている法輪功を社会に危害を与える危険の種にしてしまった。
 
 当時の当事者の話によると、法輪功学習者が中南海に陳情しに行くことは公安部門は既に三日前から情報を掴んでおり、細心の注意を払っていたにもかかわらず、事後報告して咎められることも辞さずに、すぐに上に報告しなかった。これはまさに羅幹の「苦肉の策」ではなかろうか? 公安部門は法輪功学習者の動きを厳密に監視し、いつどこからどういう交通手段で上京したのか、全部ビデオに納めていた(中央テレビ局の『4.25中南海不法集会事件の真相』をご参照)。公安部門の職員は指示に従い、人々を中南海まで誘導し、この世界を震撼させた事件を作り上げた。その時、ちょうど李洪志先生が乗り継ぎのため北京空港にいたので、公安部門はこのことを知り、天津で学習者を逮捕し家宅捜査することによって、意識的にトラブルを中央政府まで発展させたのではないかという疑問も浮上し、普通の人々にはなかなかその内情を知る術はない。

 2. 公安職員の指示に従って、中南海を「取り囲んだ」
 
 天津事件と「4.25事件」は公安当局が予め仕掛けた罠であると多くの事実が証明したが、道義を重んじる法輪功学習者は依然として冷静に対処した。
 
 当時の情況を知っている人の話によると、羅幹と何祚?は法輪功学習者が上京することの詳細をよく知っており、どこから出発し、どこに到着するのか、どういう道を通って中南海に集まるのかを全部把握し、事前に監視カメラを設置し、参加者の姿を撮った。

 4月25日早朝、一部の法輪功学習者が北京市に入った後、人が少ないと、中央政府に重視されないのではないかと何祚?が懸念し、「事態を更に拡大させてからはじめて、中央は法輪功を弾圧する決定を下すことができる」と羅幹にアドバイスしたという。それを聞き入れて、羅幹は道路のガードを撤去することを命じ、中南海の外で止められていた多くの法輪功学習者が警察官の誘導に従い、中南海に入り、中南海を取り囲むかっこうとなった。何祚?本人は何回か現場を視察し、わざと姿を現していざござを引き起こそうとしたが、法輪功学習者に相手にされなかった。その後、彼は羅幹と「心の非常に狭い」江沢民を説得し、江沢民は「防弾車」に隠れて、現場を見た。現場を見た江沢民の嫉妬心は煽られ、法輪功を恨むようになった。

 当事者の証言によると、最初に学習者らは府右街付近で(国務院陳情取扱局の所在地)集まっていたが、人がますます多くなり、南北二キロくらいの府右街は人でいっぱいだった。南は長安街、東は北海まで列が延びており、西のほうも果てが見えないほどの群れだった。しかし、中南海の壁に隣接している歩道には学習者がおらず、警備と警察だけが立っていたという。

 図説:「*」 →学習者の位置を示す。 

                                                    (北) 
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                                            西  安  門 大  街 

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                                                 |*   府    | 
                                                 |*             |
                                                 |*            --                      中 
                                                 |*             国務院西門 
                                                 |*           -- 
                    (西)                       |*    右     |                         南    (東) 
                                                 |*             | 
                                                 |*             -- 
                                                 |*            国務院西門         海
                                                 |*   街     -- 
                                                 |*            | 
          ------------------------ |*            |-----------|新華門|---------

                                                  長 安 街 

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                                                  |              | 
                                                  |   (南)   | 


 しばらくすると、ここは安全ではない、あそこは立ってはいけないと武装警察に言われたため、学習者は警察の誘導に従い、知らないうちに二つに分かれて、中南海を囲む格好となった。

 もう一人の目撃者の証言によると、天津事件が未解決であった4月24日夜、公安部門に勤めている法輪功学習者は当局に面会を求めたが、公安当局に重視されなかった。24日夜9時過ぎ、中南海付近の府右街の道路に北京近郊から駆けつけてきた学習者の姿は既にあった。

 25日早朝6時頃、この目撃者が府右街の北口についた時、警察が中南海に入る道を封鎖しているところだった。そして、この目撃者は自分の目を疑うことを見た:警察官は法輪功学習者の列を東から西のほうに移動してから、更に北から南へと中南海の正門に向かわせた。同時に、もう一列の学習者は南から北のほうへ進んできたので、警察官の指示にしたがってちょうど中南海の正門前で合流した。各マスコミの報道によると、この時一万人以上の人がいたという。

 ある当事者から明慧ネットに次の文章が寄せられた。「私たちは警察が指定した場所で座って数ページの本を読んだら、「立ちなさい、立ちなさい、前の方に行け、指導者はそこで皆さんを待っている」と警察官がやってきて、わたし達を南から北のほうへ移動させた。200メートルを歩いたら、向かい側から警察の誘導にしたがって北から南に歩いてきた学習者が見えた。二つの列の学習者が合流して、地面に座った。。。。後で分かったのは、警察はわたし達善良な修煉者を東から西へ行かせたり、南から北へ行かせたりして、わたし達を羅幹たちが仕掛けた罠に落としいれ、法輪功学習者が中南海を取り囲んだという事実を作ろうとしたかったということである。

 「4.25事件」の三日前、公安部門は既に情報を掴んでいたが、後で咎められても、即刻上に報告しなかった。報道によると、4.25事件の後、何祚?はコメントを求められたが、現在コメントしたくないと返事したという。なぜならば、全体の計画を乱したくないからである。(明報電子版、5/5/99)

 これらのことから、「4.25事件」は一握りの人が法輪功学習者に仕掛けた罠ではなかろうか? 何祚?が書いた文章、天津公安局が学習者を逮捕したことなど、皆計画されたことではなかろうか?

 3. 山雨来たらんと欲して風楼に満つ

 事件の後、当局は既に学習者を逮捕し法輪功を撲滅するという基本方針を定めた。4月27日、当局は国営新華社通信を通じて、次の通達を出した。「各種の煉功活動を政府は禁止したことはない。異なる観点と意見があるのは許されることであり、正常なルートを通じて政府に伝えても良いが、中南海付近に集まるべきではない。こういう行動は中央、国務院とその付近の秩序と人々の日常生活に影響を与え、間違った行動である。煉功の名の元で社会に危害を与える者に対して、法律に従い処理すべきである」。

 この通達が出された後、法輪功学習者が逮捕または懲役される恐れがあると一部のマスコミは予測していた。案の定、4月28日、「中南海座り込みの四名のリーダーが既に拘留された」(聯合報 4/28/99)という報道があった。数日後、当局は町内会、職場、党の組織などのルートを通じて、法輪功学習者の「名簿」を集め把握した。

 六月始め、中国共産党は緊急会議を開き、法輪功を邪教に定め、近いうちに学習者を逮捕すると計画し、5億ドルの貿易の黒字を条件として法輪功の創始者李洪志先生を中国に引き渡してもらうことを米国に打診したという話があった(中央日報 6/2/99)。各地の煉功点の責任者は既に盗聴・尾行され、厳しい監視下に置かれていた。法輪功を続けて修煉すれば、一律に解雇され、軍人の場合、党籍と軍籍が剥奪され、(共産党員、特に公務員にとって、党籍を剥奪されることは解雇される以上の厳しさがある)、学生の場合、学校から除籍される(中央日報 6/2/99)と学習者は脅迫されていた。また、修煉者の住宅の近くに警察の車が泊まっており、わざといざござを起こしてトラブルを激化させる意図があった。(中国時報 6/3/99)

 北京から法輪功に対して第一号の決定が出され、各地方の政府部門、中央直属の会社と各大学に通達した。決定の中で、「煉功の名の下で各地方で行われていた弘法活動を禁ずる。大学、高校、中学校と小学校の全ての学校は法輪功学習者に場所を貸してはならない」と決めた。同時に、公園での朝の煉功活動が妨害されているという現象も見受けられた。(中国時報 6/3/99)

 当局が5億ドルの貿易黒字を条件として米国から李洪志先生を中国に引き渡してもらい、法輪功を邪教として定めるという噂に対して、李洪志先生は6月2日に「私の感想」という文章を発表し、「私はただ人々を善に向かわせているのであって、政治に全く興味はない。法輪功の修煉者は迷信をやっているわけではなく、法輪功は邪教ではない」と釈明した。法輪功学習者が北京に行って当局に説明を求めたが、当局はこれらの学習者と面会した時、法輪功を撲滅するつもりはないと答えた(明報電子版 6/6/99)

 6月3日地方から上京したたくさんの法輪功学習者が北京に集まり、再度中央に陳情するつもりであった。6月4日夜当局は全ての宿を取り調べ、見つかった法輪功学習者を北京から追い出し、中南海に繋がる道を厳重警備していた。(明報電子版 6/6/99)

 法輪功を弾圧することに関する各種の噂に対して、6月14日中央陳情取扱局と国務院陳情取扱局から以下の合同声明が出された。「政府は法輪功を弾圧・禁止するつもりはない、デマを聞かないように。また李洪志先生を引き渡すこともなく、煉功している党員、青年団員の党籍と団籍を剥奪し、解雇することはまったくない。」

 当局は法輪功を全面的に弾圧するつもりはないと極力弁明しながらも、6月21日『人民日報』で社説を出し、共産党員は率先して唯物論と無神論の旗を掲げるべきであると呼びかけた。この社説は即ち煉功している共産党員の幹部を厳しく処罰することを物語っている。中南海事件の後、法輪功の状況について全面的に調査を行った結果、法輪功の各地方の連絡者の多くは共産党員と幹部であり、長く共産党員の資格を持ち、定年退職した幹部であることが判明した。こういう状況を見て、嫉妬深く心の狭い江沢民は驚いたという。しかし、憲法の中に「公民に宗教を信仰する自由があると明記しているため、共産党員ではない民衆が法輪功を練習することを直接禁止してはいけないが、共産党員に対して、党紀に基づいて処罰すると決めた。『人民日報』の社説はそのためのシグナルである。(中央社 6/21/99)

 6月以降、各地方の政府部門は中央からの決定を伝達し、法輪功を「邪教」と定め、法輪功学習者に煉功の場所を提供せず、党員と幹部が法輪功をやめなければ厳しく処罰する旨を各職場に伝えた。

 6月中に、一万三千人の法輪功学習者は国家主席と国務院の総理朱鎔基に連名で書簡を提出し、学習者の煉功と法輪功関係の書籍の出版を認めるよう求めた。また、法輪功は宗教ではなく、ましてや邪教ではない、法輪功は迷信ではなく、科学であることを説明した。(中央社 6/29/99)

 法輪功を早く根絶するために、江沢民と羅幹は実験的に山東省と江西省で法輪功を取り締まる対策を試行することを決定した。法輪功を禁止しないという通達を出した三日後、山東省は共産党員と公務員の身分をもつ学習者が修煉をやめることを求める決定を出した。学習者は陳情取扱局が出した通知をもって問い合わせたところ、それは外国人に見せるためのものであり、時間を稼ぐためのものだと言われた。当時、江沢民と羅幹はまず山東省と江西省で法輪功を全面的に取り除き、他のところでは主に学習者を監視することように計画していたそうである。(中国時報1999年7月21日)

 事実上。江沢民と羅幹は手に握った権利を濫用し、6月20日から北京長安街沿いの煉功場所に対して徹底的に管理を行った。強制的に学習者を追い散らし、その後北京において大規模な管理を行った。例えば、学習者の公の場所での煉功は禁止された。(中央社1999年6月28日)また7月には、江沢民と羅幹は中央政治局の名義で各省・市・自治区に指示を送り、すべての中国共産党員に対して自分が法輪功を信じるかどうかを報告するよう要求した。(中央社1999年7月5日)

 その他、江沢民と羅幹はあらゆる宣伝機構を利用して法輪功及び李洪志先生の罪状を作った。最初に大陸の各種のマスコミは4.25事件に対してあまり多くの報道を行わなかったが、6月下旬から各種の批判を始めた。しかも6月13日に「世界反法輪功大連盟」と命名した反法輪功のウェブサイトを設立した。当該ウェブサイトは6月20日から運営し始め、事実を捏造して李洪志先生と法輪功を誹謗・中傷した。(中央社1999年6月22日)その後、かつて法輪功を利用して金儲けしようとし、李洪志先生に批評された元法輪功学習者を集め、彼らに摘発資料を作り上げさせ、しかも中央テレビ局に放送させた。また、法輪功を修煉することで1400人が死亡したとし、法輪功に罪を着せようとしていた。しかも法輪功及び李洪志先生へのこのような罪状作りの作業はいまだに続いている。

 上述したことから、法輪功を根絶しようとする者はずっと二股膏薬をやっている。片方は今後法輪功を根絶するために懸命に罪状を作っていた。もう片方は、憚りなく世論を騙し、法輪功を禁止しないと盛んに宣伝した。このような罪に陥れる作業はおよそ6月末から7月始め頃に完成した。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/24/72945.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/5/4/47711.html)     更新日付:2011年9月28日
 
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