日本明慧


法度ちゃんの4回目の誕生日(写真)

国連の非政府組織会議に参加する母親と法度ちゃん 法度ちゃんにバービー人形を贈ったBeutler女史と法度ちゃん

 【明慧ネット2004年4月8日】第60回ジュネーブ国連人権大会の会議室の外では、太陽の光が窓ガラスを通して差し込み、大理石の床に輝いていた。4月3日に四歳になったばかりの陳法度ちゃんは興奮して窓にくっつき、じっと自分とガラスの向こうに見える一羽の美しい孔雀を見ていた。国連の広い庭には数羽の孔雀が放たれていて、重々しい政治的な雰囲気の環境に幾分の気楽さと活発さを添えていた。法度ちゃんの前に立っていた孔雀は悠然と綺麗な扇状の羽を広げ、太陽の光で緑色と藍色に光り輝いていた。法度ちゃんの赤色のワンピースは孔雀の緑藍色の羽と鮮やかなコントラストを映し出した。法度ちゃんの母親の戴志珍さんは数メートル離れた窓のそばに立ち、乳母車を押しながら、ニコニコして黙って娘の姿を目で追い、娘の喜びを分かち合っていた。 

 法度ちゃんは四歳になったばかりだが、既に国連の常連となっていた。2002年3月、法度ちゃんがまだ二歳未満の時に初めて母親と一緒にジュネーブに来た。人権大会開会の日に世界各地から来ていた法輪功学習者は国連ビル前の万国広場に集まり、記者会見を開いた。人々はその時始めて戴女士さんの境遇を聞いた。"私の夫の陳承勇は法輪功のために請願し、迫害されて亡くなりました。僅か34歳でした。私は未だに彼の死亡原因を知らず、警察が理由もなく彼を家から連行したことだけを覚えています。夫の死体は郊外の古びた小屋で発見され、その時は既に腐乱し始めた状態でした。2001年7月に私はこの情報を知らせられました。陳承勇の姉が遺体を見に行った時に、彼女も法輪功学習者であることを理由に逮捕され洗脳班に送られました。その後、法輪功を放棄しなかったため不法に二年間の労働教養を言い渡されました。陳承勇の年取った父親は息子が迫害されて死亡し、娘も労働教養されるという大きなショックに耐えられず、重病になって入院しました。ところが、当局は義姉に対し、病気で命が危ない彼女の父親を見舞うことを許しませんでした。老人は悲しみので死んでいきました。僅か三ヶ月の間に、一つの幸せな家族がこのようにバラバラになってしまいました。"涙をこらえながら、戴女士は同じように涙をこぼす人々に対して法輪功弾圧を止めさせようと呼びかけていた。 

 二年後、三回目の人権会議に出席することになった。戴女士さんと法度ちゃんのことは既に多くの参加者が知っていた。四月一日、戴女士さんは娘を連れて一つの婦人人権についての検討会に参加し、もう一つの話をした。"私のことについては皆さんが良くご存知ですが、私が皆さんに伝えたいのは別のことです。昨日私の母親が中国で亡くなりました。私は国へ帰ることができず、母親の葬儀に参加することができませんでした。私の娘が私に聞きました。「どうして私達は帰れないの?」、「私達はビザが取れないのよ。」娘はまた聞きます。「どうしてビザが取れないの?」「私達が法輪功を修練するからよ。」 「どうして法輪功を修練したらビザが取れないの?」私は泣き出してしまいました、私は三歳の子供にどうのように説明すればよいのか分からなくなったのです。“

 戴女士が記者に自分の経験を語っていると、法度ちゃんは側の車の中、夢中でパンを食べていた。法度ちゃんは二歳から四歳になる間、このように過ごして来た。母親が車を運転し、法度ちゃんを連れ、国から国へ、一つの会議からまた別の会議へと駆けつけた。戴女士さんは過去二年間、頻繁に世界各地を飛び回り、政治家、マスコミ及び非政府組織に自分の家庭の悲劇を述べた。さらに多くの母親が自分の不幸な悲劇を経験しないように、さらに多くの子供達が法度ちゃんのような境遇にならないよう、彼女は中国江沢民政府の法輪功に対する弾圧を早急に停止させることを世界中に呼びかけていた。 

 戴女士さんは、"たくさんの親切な人たちが私のことを聞いて祝福のカードを送って下さり、私と娘を励ましてくれました。4月2日、前日に私の話を聞いたNGOの一人の女性は法度ちゃんに一つのバービー人形とセットのカラーペンを送ってくれました。"と話した。4月3日、法度ちゃんはジュネーブの人権会議で誕生日を過ごした。法度ちゃんに誕生日プレゼントを贈ったBeutler女史は世界婦人組織の会員で、別の会議で、彼女はまた戴女士さんと法度ちゃんに会った。彼女は記者に、"私には二人の孫がいますが、法度ちゃんを見ると、自分の孫のような感じます。前回の会議で私は戴女士さんの夫の一家および彼女の母親のことを聞いて、私は悲しくなりました。私は母親と子供の絆は重要だと思います、戴女士さんと母親、法度ちゃんと母親の間の関係、これは人間関係の基礎だと思うのです。"と語った。 

 戴女士さんは、"法度ちゃんは一歳の時に父親が失ったが、ますます多くの人々が法度の事を知るようになりました。中国にいる法度と同じ運命を持っている子供達に注目するようになりました。"と話した。戴女士さんがふと父親に良く似た娘の法度ちゃんを見ると、ずっとパンを食べていた法度ちゃんは頭を上げて母親に天真爛漫な微笑みを返した。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/8/71891.html