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ハルピン万家労働教養所において私が受けた虐待

 文/黒龍江省法輪功学習者 可梅

 【明慧ネット2004年4月24日】私は黒龍江省依蘭県依蘭鎮出身で46歳になる。かつて多くの病気に罹ったが、特に糖尿病に苦しんだ。人の紹介により、1999年5月中旬から法輪功をはじめた。しばらくすると、身体に大きな変化が生じた。血糖、尿糖など全てが正常となり、以前は階段を上るのも大儀であったが、今はとても軽くなり、無病という状態が、どういう状態であるのかを知った。本当に幸せであった。

 1999年7月20日、江沢民政権が法輪功を弾圧し始めたが、理解しがたかった。人の道徳を向上させ、健康をもたらし、病気を治し、国にとっても、国民にとっても受益をもたらすものが、なぜ弾圧されなければいけないのか?政府はなぜそのような不可解なことをやるのか?これら疑問を抱きつつ、1999年7月22日黒龍江省の省政府へ上申に行ったが、そこの公安局に2日間も拘禁された。

 真相を説明することも出来ず、修煉することが踏みにじられ、煉功して健康となる権利も剥奪され、このような状況の下で、2000年7月14日に北京へ上申に出かけた。上申を受け付ける窓口が、国家公安局や警察などが法律を踏みにじる場となった。法輪功のために上申すれば、直ぐに逮捕され、迫害を受けた。私は7月17日当地の第2看守所に送られ、不法に42日間も監禁された上、家族は500元を強要られ、ようやく釈放された。

 2002年5月17日、今度は友人の家に行く途中に不法逮捕された。警官がまだ煉功をするのかと尋ねてきたので、「もちろん」と答えると、その一言で、2年間の労働教養に処された。8月8日、ハルピンの万家労働教養所に収容された。万家労働教養所は、法輪功をやらないと誓う保証書、いわゆる“三書”を書くことを迫り、朝5時から夜12時まで、しゃがんだ姿勢を強要した。当時、万家労働教養所管理科の趙余慶、姚福昌、呉科長らが学習者を迫害した。

 8月20日に、まだ“三書”を書いていないのを見ると、吊るし上げられ、高圧電気棒による電撃を受けた。この拷問を施したのは姚福昌であったが、連続2日もの間吊るされた。当時担当科長は呉氏であったが、彼らは勤務時間になると、椅子に座らされ手錠を掛けさせられた。トイレに行くことも許さなかった。午後4時から翌日の朝9時まで、そのままの姿勢であった。 

 次の朝、姚福昌が出勤し、保証書を書くかと聞かれたが、私は“書かない”と答えた。すると、引き続き私を吊るして、電気棒で局所を電撃した。私は彼らに言った:「大法を修煉して何が悪いのか?あなた方は私にこのようなことをやるが、やってはいけないことであり、あなた方にもよくない」。

 警官はガムテープで私の口を封じたため、話すこともできなくなった。手錠は手首に食い込み、骨まで達した。腕の筋肉が長期間手錠を掛けられたため、切断された。手首の血管は手錠と癒着し、血液は十分流れず、手首は膨れ上がった。内臓も大きなダメージをこうむった。昼食の時間になったとき、姚福昌は「彼女は鋼のようだ。もっと長く吊るせ」と言った。

 これは、私が万家労働教養所で受けた数多くの拷問虐待の一例に過ぎない。ここに不法監禁されている学習者は、毎日迫害され、死亡する危険性がある。全ての善良な人々に、この迫害を制止すると共に、直ちに江沢民一団が歴史的審判を受けるよう呼びかけたい。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/24/73041.html