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法輪功学習者の陳剛一家は5年前の4.25を思い出す

 【明慧ネット2004年4月26日】1999年4月25日、一万人を超えた中国法輪功学習者が北京国務院陳情弁公室へ平和陳情に行った。7月20日に江沢民政府は法輪功に対する全面的な鎮圧を始めた。“4.25”は鎮圧する導火線を誘発したのだと多くの人に思われている。これは、5年前自ら4.25に参加したことがある法輪功学習者のストーリーです。 

 現在ニュージャージ州西南部に居住している陳剛と妻の白品は、5年前に自ら4.25に参加したことがあり、一万名法輪功学習者の中の二人であった。彼らは去年7月に北京から米国に来て両親と団欒した。 

 法輪功は心身修煉の功法で、1992年に中国で伝え出された後、1999年には煉功人数は迅速に一億人まで増大した。 

 陳情は誰が組織したのか? 

 陳剛と妻の白品は、その時私達が所在していた北京地壇煉功点で、毎日500人が煉功していた。北京全体は恐らく4〜5万の法輪功学習者が朝公園で煉功をしていた。だから天津の学習者を逮捕する事は、明け方にはみな知るようになった。また前日の晩に仕事の後に煉功に参加した人はすでに聞いていた。だから多くの人は自らの意志で陳情に行った。ある人は私と妻の白品と一緒に行ったり、ある人は同じ職場の同僚と共に行ったり、ある人は隣近所の人と一緒に行ったりして、三々五々で、もしその時本当に直ちに組織するいい方法があったなら、1万人だけではすまないだろう。

 どうして陳情に行ったのか? 

 陳剛は「その時陳情に行った原因はとても簡単で、天津で天津警官が法輪功学習者を逮捕して、法輪功学習者を殴り、40数人を逮捕したからである。天津公安局と市政府は彼らが解決できないと言って、北京にきて解決する方法しかなくて、彼らの上級部門に解決してもらう」と言った。 白品は「国務院陳情弁公室は中南海の一側にあり、皆は国務院陳情弁公室へ陳情に行ったので、府右街と府右街のそばまで集まり、つまり中南海の周囲まできた。皆たいへん秩序があって、警官が私達を連れて、どこに立つどこに立つかと伝えてくれた」と言った。晩に皆が離れた後に、路面の上はとてもきれいで、警官が捨てた吸い殻さえ学習者に拾い上げられてごみ箱の中まで片付けられていた。これは皆が修煉した後に道徳的な面でとても正しく、とても自覚した表われだと彼女が言った。

 包囲攻撃の言い方は適切ではない

 陳剛は「その後彼らは私達が“包囲攻撃した”と言ったが、本当に不公平である。いわゆる“囲む”というのは警官が私達をどこそこに立たせたものである。私達が“攻撃する”と言われたが、私達は外で静かに臨時に作った代表と国務院陳情弁公室の指導者との談話を待っていただけだ。いかなる過激な言行もなく、スローガンもなくて、プラカードなどもなくて、大声で騒がしいこともなかった」と言った。

 平和な申し立てと暴力迫害

 “4.25陳情”は法輪功学習者にとって、一回の平和的なの申し立ての機会であるが、江沢民にとって、鎮圧を発動できる便宜を図った口実になった。7月20日後に、江沢民政府は法輪功に対する全面的な鎮圧を始めた。「名誉の上で崩し、経済の上で断ち切り、肉体の上で消滅させろ」、「打ち殺しても、自殺したことと見なせ」、「身元を調べないで、直接火葬しろ」と言う絶滅作戦を始めた。 

 陳剛は法輪功を修煉したため、北京の団河労動教養所で18ヶ月間長期拘禁されたことがある。かつて何度も11本の数万ボルトの高圧電力棒に全身を電撃された。肉はやけどになり焦げ、電撃されたつど蛇に噛まれたような感じだった。 

 「私個人は4年間の中国での迫害を経験した。その上私は何度も死の覚悟を経験した。もう一歩進むと死んでしまった」と陳剛は思い出して、「私の身の回りで迫害されて死に至った法輪功学習者は二人いた」と言った。

 家族の気持ち 

 迫害された人の親族もとても大きな圧力に耐えた。「幾千幾万の彼と同じ遭遇のある人が、真善忍を信奉したため労動教養所の中で拘禁されて、苦難を蒙っている。以前の気持ちを思い出すと、私はこの人たちの家族のことを思い出す…」夫が労動教養所に拘禁される時のことを思い出して、陳剛の奥さん白品はすでに声も立てずに泣いてしまった。国家安全局がかつて彼女の勤め先へきて彼女を調査したことがあったし、宿泊所の廊下はモニターがあったと彼女が言った。 

 陳剛の母陳凝芳は「私の息子が中にいた時、私も本当に彼のために心配した。私は彼らが何でもやることができると知っていったからだ」と言った。

 大陸の法輪功学習者のために呼びかける

 陳剛は「私達はとても幸運に米国に来れたが、しかし私の多くの友達はこの時まだ苦難を蒙っている」と言った。 

 今年4月にニューヨークのチャイナタウンで法輪功学習者がパレードする時、陳剛の母、もと中央交響楽団の国家の1級役者であった陳凝芳は中国の法輪功学習者が刑務所の中で遭った残虐な体刑の苦難を実演して民衆にみせた。 

 「あなたが今家族と集まっている時、あなたが祝日を祝っている時、あなたがとてもうれしい時、労動教養所の中であれらの学習者はこのような残虐な体刑を受けている。」陳剛の母は「私達が今していることは、この迫害を停止させ、幾千幾万の粉砕した家庭を再び元に戻し、幾千幾万の法輪功学習者が自由に修煉でき、彼らが自由の身の権利があるようにさせることです」と言った。 

 これもまさに、5年前の4.25に一万人を超えた法輪功学習者が表したかったものであるとと思う。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/26/73211.html