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山東省の濰坊市昌邑県の大法学習者・劉述春さんは迫害により死亡した

 【明慧ネット2004年4月26日】劉述春さん(男性・38歳前後、山東省濰坊市の昌邑県宋庄鎮の三大丈村居住)、“真・善・忍”の基準に従い修煉を堅持している為、2000年の年末に、現地の公安に不法に拘禁された。拘禁中も煉功を続け、断食により抗議をした。拘禁中の3日間、全く食べ物を口にしなかった。2001年初頭、濰坊市の昌樂労働教養所内で撲殺された。

 劉さんは、法輪功の修煉を堅持したため、不法に懲役3年の判決を下ろされた。2001年1月3日の午前10時、昌樂労働教養所の2大隊の2中隊へ入れられた。凶悪なリーダー韓会月、陳XXらの指示を受けた受刑者:劉春祥(昌楽人)、張経涛(青州人)、田偉祥(寿光人)、韓喜財(安丘人)、許文諮(寒亭人)等は、彼を裸にさせて身体検査を行った。それから、労働教養所内でいつも行っている様に:入浴といっては、長時間をかけて水浴させ、モップ、棒や小さい腰掛けなどの道具を使い擦り、殴打し、また扇風機を使い風に与てるといった手段で、彼を苦しめた。

 この残虐行為の過程で、劉さんのあまりの苦痛に叫ぶ声が漏れてきていたという。そして、息も絶え絶えとなり、苦痛に叫ぶ声すら出なくなった。午後には、わずかな意識だけがあるが、人を見分けることも出来なくなった。そして、車が来て劉さんを運び出して行った。目撃した人によると、劉さんは“携帯用腰掛け”に座らされ、打ち殺されていたという。死の直前まで着ていた血に染まった服は、証拠として保存されている。事件後は、張経涛1人のみを処罰した。

 死亡直後の劉さんの遺体は、広い範囲で黒ずんだ紫色になっていた。警官らは犯行を覆い隠すために、劉さんの頭部をくるんだ上、掛け布団で全身を隠し、彼の傷だらけの姿を隠蔽した。翌日遺体は労働教養所から担いで搬送された(人民病院の関係者が暗に漏らしたことによると、労働教養所は病院に1体の遺体を届けた。明らかに撲殺であるのに、労働教養所は、病院に病死にするよう言った)。

 数日後、ようやく遺族に知らせ、劉さんは病死であると伝え、強引に火葬をした。2001年1月3日、家族には知らせたが、彼の妻には知らせなかった。なぜならば、妻も法輪功を修煉しており、済南の女性労働教養所に拘禁されているからである。家には、年老いた両親と、7歳の娘が残されている。

 劉さんは、濰坊市で迫害により死亡した18番目の学習者である。濰坊市の市民らは濰坊市長・曹学成の起訴を求めている。曹学成の管轄範囲中では、市民はただ本当の話を言うだけで、様々な非人道的な虐待を受け、死亡することもある。同時に濰坊市公安局長・王志華の起訴も求めていた。その指揮下、公安員らは気の向くままに殴り、罰金を徴収し、拘禁し、家財を没収し、学習者らは拘留されているのである。

 その警棒と握りこぶしで、どれだけの罪の無い大法学習者を殴り傷つけたことであろうか。どれだけの善良なる生命が死に至っていったことであろうか。どれだけの子供が、その両親を失い、お年よりが息子と娘を失い、どれだけの家庭に恐怖と不幸が訪れ、一家離散の苦痛を受けているのかは、数え切れない。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/26/73175.html