日本明慧


チャットルームで真相を伝え 縁ある人を救う

 文/陳羽霄(米国カリフォルニア)

 【明慧ネット2004年4月12日】
 
 皆さん:こんにちは、

 私は1999年7月20日のすぐ後に法を得ました。だから私の個人修煉は法を正す路と結びついていました。私は真相を伝えるのに、インターネットのチャットルームを利用することを選びました。この方法は平坦で簡単ではありますが、それでも真相を伝えると同時に心性を修めることが可能でした。この機会をもって私は、インターネットを通して真相を伝えながら学んだ体験を、お話出来るのを嬉しく思います。

 1.性急すぎたり切望しすぎは、逆効果となる; 心を浄化し、相手を思いやる

 最初にチャットルームを利用し始めた時、私はたった一度の捜査で数百ものチャットルームを得て、チャットするのに多くの場所があることに気づいたのです。それで私は自分で書いた中国語の詩 (大体の訳)「私は一羽の白鳥のごとく、あなた方の為に真相を伝える歌を一つ唄いに来ました。私はあなた方のおしゃべりの邪魔はしません。。。」を挨拶の言葉に使い始めました。始め私はおどおどし、手が震えました。私はどんな質問にも返事をするのを、恐れていました。真相をさっさとタイプすることだけをやってしまいたかったのです。しかし、真相は爆弾のように、皆の注目を引きました。ところが、画面に私がタイプした多くのことが現れるのを見て、私は歓喜心が起きました。すると私はしばしばチャットルームから追い出されました。あまりに多くのチャットルームがありましたので、私は気にしませんでした。次々とチャットルームに入り、入るなり真相を伝え続けました。結果として、私はこれらのチャットルームからしばしば拒まれました。しかしこれらの経験は、私が持っていた多くの問題を暴きました: 成し遂げることへの執着、歓喜心、忍耐のなさ、恐れ、私心、等々。私の無頓着な態度は、自分のやり方で真相を伝えるだけで、他の人達への思いやりがなく、しばしば追い出される原因となりました。私は真相を伝えることの難しさに気づき始めました。成功するには、純心が必要でした!

 2.観念を除去し、適当な時期を選び、心性を守り、慈悲ある平静を保つ

 私はチャットする前に正念を送り始めました。そして純心を保つよう試みました。すぐに真相を伝えないで、私は最初人とおしゃべりし、同修が書いた詩を見せて、徐々に関係を深めて行きました。その後人々は私と密談したがりました。時々人々は私の意見に挑戦し、罵りましたが、それは真相を伝える機会をもたらしました。騙されていた人々は初めて真相を知って、衝撃を受けました。彼らはよく私を罵り、追い出そうとしましたが、質問をし続けました。チャットルームのホストは口論を無視しました。表面では私が攻撃され、罵られているように見えましたが、実は、大法の真相は人々の心の中に浸透しました。多くの人が目覚めました。

 始めの頃、私は顕示心理や競争心を抑制することが出来ず、完全に常人の討論に陥ってしまいました。多くの人が一緒になって対抗し、「法輪功に勝たせるわけにはいかない」等と言いました。傍観者達は、「あなたは簡潔明瞭だが、攻撃的だ!」と言いました。始め私は正しいことをしているのだと思いましたが、その後すぐ、師父が人の批判を使って私に善を修めるよう言っているのだと、気づきました。執着のために、私の真相を伝える努力は全く効果がありませんでした。

 実際は、会話を攻撃的にするか抑制されたものにするかは、情況によります。重要なのは自分が慈悲の心を持っていたかどうかでした。真相を伝えることは又心性の修煉でもあることを学びました。自己の修煉を怠ると、私の全ての行為は単なる常人の次元のものとなります。

 3.内に向けて探す

 始め私は個人的会話が好きではありませんでした。多くの聴衆無しには私の努力は効率が悪いと思いました。しかしながら、ある日チャットルームに多くの人と居る時に、密談の要求を何度も受けました。ついに私は同意し、私達は長い時間話ました。彼は警察官でした。彼は言いました、「私を変えることが出来るなら、他の多くの人を変えることが出来るだろう」。私はそのことをあまり考えませんでした。彼一人にでもうまく真相を伝えることが出来るなら良いと、思っていました。彼は真相を知りませんでしたが、多くの考えさせる質問をして来ました。彼はタイプの仕方がとても早く、私は追い付く為に英語を使わなければなりませんでした。大法弟子の詩が彼を深く感動させ、私達の会話はとても平和でした。師父が側に居て、明智を与えており、真善忍をもって私を加持していることが分かりました。その警察官は昼食をコンピューターの前に持って来てまで、会話を続けました。後に私達は電話で話しました。彼は私が話した事(大法弟子の迫害)が、彼の処では起こらないようにすると言いました。彼は又私達のウエブサイトに入ることを覚え、才能ある大法弟子達に印象付けられると同時に、現在起きていることに心痛を感じました。彼は私達がもっと多くの説得性ある事実と、理性的分析や、感情を述べる記事を出し、読者がその観点を簡単に受け入れられるようにすることを望んでいました。

 時間はどんどん過ぎて行きます。修煉者はおしゃべりを続ける中で、路を歩み続けます。チャットルームに居る時、もう私は聴衆の数を気にせず、法輪功と縁ある人のことだけを気にします。チャットルームにもしも誰も居なくても、私は真相を貼り付けるでしょう。誰かがそれを見ればやった価値があります。師父は言いました、「日常通り過ぎるだけの人で話す機会がなくても、慈悲の心で対するべきです。救われるべき人を救う機会を逃さないように、特に縁ある人々を失いたくありません」。(2003年アトランタ法会にての説法)

 4.行為で示すのが最高の講真相

 ある日私はコンピューター愛好者のチャットルームに行きました。彼らにどうやって大法のウエブサイト封鎖を突破するか、教えたかったのです。入るとすぐに、コンピューターを買ったばかりで、使い方を知らない人が私に助けを求めました。私は家庭の主婦で、コンピューターのことはあまり知らない、と言いました。しかし、彼の助けになれる人を探す努力をすることは出来ました。ところが誰も見つかりません。彼をがっかりさせたくなかったので、私は自分で彼に教え始めました。誰かが私のことを嘲笑しました。私は親切に彼を招き、説明するよう頼みましたが、彼は時間を無駄にしたくありませんでした。それで私は二時間程かけて、全部説明しました。その男は非情に感謝し、私のことを「先生」と呼び始めました。私は真相を伝える時間があまりありませんでしたので、私が真善忍の修煉をしており、李先生がいつも相手のことをまず思いやるよう、私達に言うと、彼に言いました。私を嘲笑していた人が「主婦でさえそのようにコンピューターのことをよく知っているとは、感心した」と言いました。私が去る時には、幾人か、さようなら、を言った人がおり、それは私の講真相体験において珍しいことでした。

 又別の時、私は夜遅くにチャットルームに入りました。そこには一人しか居ませんでした。彼は私に声を掛けて来、彼が真相を知るのを待っていることは、明白でした。彼は長春人であると言いましたが、私が大法のことを話すと、聞くのを拒みました。彼が鬱であることが感じられ、私は彼とおしゃべりし続けました。私はいくつかおもしろい話をし、その合間に真相を話しました。彼のムードはゆっくりと良くなって行き、次第に真相に耳を貸すようになりました。会話の途中で何度か切れてしまいましたが、私はインプットし続け、彼を助ける為に正念を発しました。彼は戻って来る度に感動的に言いました、「あなたはまだ居たのですか! とっくに行ってしまっただろうと、とても心配していたのです」。彼の状態が変ったことが私には感じられました。彼は人生に自信を取り戻しました。私は彼に言いました、「真相を知ることは祝福です。好運を祈ります!」

 何日か後、彼は私に長いイーメールを寄越し、欝状態を脱出したと説明しました。あの夜の私との会話が彼を深く感動させたと言い、真善忍の三つの言葉をいつも覚えているだろうと、言いました。彼は又、困難に出逢った時はいつも私達大法弟子のことを想い出すだろうと言いました。

 その通り、真相を知ることは祝福です。まだ多くの人が大法のことを知らず、騙されたままでいます。

 時々私はチャットルームのホストに話します。一人のホストは、チャットルームの名を「あなたの為に来る」に変えました。もう一人のホストは言いました、「あなた方(修煉者)はインターネット上で最も偉大な人達です!」 私は又気づいたのですが、人気のなかったチャットルームが、講真相後人気が出、時に四、五百人を引き付けています。

 5.静心をもって法の勉強を行うと自信が増す、固い決意は情から脱け出る助けとなる

 純心と正念無しにチャットすると、邪悪の妨害が大きくなり、良い効果は得られません。私の全身が突然冷たくなり、邪悪の力が私を捕えているように感じたことがあります。手指は硬直し、タイプが出来なくなる程震えました。それに真相を伝えることを義務として扱うと、良い効果はありません。

 法の勉強と、正念を発することと、真相を伝えることは、法を正す時期の大法弟子にとって、欠かすことが出来ません。これら三つのことの一つをも欠かすことが出来ません。法の勉強に注意を怠ると必ず、常人の心が邪魔することとなります。チャットルームでうまく行くと、自分を誇りに思い、うまく行かないと、がっかりしました。チャットルームを去った後、よく眠れないことがありました。私の心は会話で一杯で、このようなことが堆積し、取除くのが難しくなりました。チャットルームでは名利よりも情が関係して来ました。多くの人がいかがわしい情、所謂「インターネットラブ」に執着していました。チャットルームにおける私の目的は明らかに真相を伝え、縁ある人が法を得られるようにすることでしたが、一度私は情の妨害に会いました。それは私の取除けない執着が、旧勢力に利用されたことにありました。私が「親密な友人たち」に会い、彼らとの会話を楽しむように、または、誰かが私を愛慕し、執着するように按配されました。それは私の中の自我を拡大し、常人の親切を修煉者の善と勘違いさせました。その結果、私の正念は情によって徐々に溶解されて行きました。チャットルームの窓を閉めるのは簡単でしたが、執着を取除くのは難しいことでした。しかしながら、静かな心で法の勉強をすれば、これらの難に打ち勝つことが出来ます。慈悲の心が少しずつ現れるにつれ、情が少しずつ去って行きます。慈悲の心が高まると、情が消えて行きます。真に修煉する限りは、法が出来ないことはありません。

 情を放下した後は、私はチャットルームに入る度に、優しいおばあさんのようでした。私は自然に話し相手を「わが子」と呼び、彼は私と同じ年頃であるにもかかわらず、私を「お姉さん」と見ました。相手が私の年や職業を知っているかどうか、私は気にしませんでした。より多くの観念を放下する程、より多くの人が話したがりました。インターネットは常人が正体を隠すことが出来る虚の世界ですが、法輪大法の代表として私達は、真善忍に従って行動し、智慧を用いて真相を伝える必用があります。

 6.あなたにやる意志さえあれば、師父は助けてくれます

 最初私はオンラインで一人と話すのに苦労しましたが、今では同時に二人や三人と話します。タイプが早く出来るからではありません。他の人達が何を言おうとしているか推測することが出来るので、より早く応答出来るのです。一度私は法律愛好者のチャットルームにに行きましたが、メンバーではないため、入れてもらえませんでした。いくつものパスワードを試しましたが、だめでした。そのチャットルームに入ることは重要でしたので、私は正念を発し師父の加持を求めました。正念を発した後成功しました。

 ある人が私と英語で話したがったことがあります。私は英語が下手なので、それは避けようとしましたが、彼女を救う機会を逃したくなかったので、気を変えました。驚くべきことに、私は彼女と二時間以上もチャットしました。自分がタイプした英文のうまさに驚きました。彼女は三年前に米国に来て以来、初めて真相を知りました。彼女は真心から私に感謝し、真善忍を信じる人を信用すると言いました。

 詩歌愛好者のチャットルームに行ったことがあります。皆は互いに対句を作り、長い詩を作ったりして、楽しんでいました。私は概して詩を作るのが上手くないのですが、その日はよく出来、全ての参加者を感心させました。そこではセンチメンタルな詩が多く作られました。私は同修が作った詩を紹介することにしました。これらの法を証す詩を書いた同修に、本当に感謝しました。それは修煉者の無私で執着の無い高い境界にあり、衆生を救おうとする慈悲に満ちていました。幾人かは「これらの詩をもっと多くの人に見せるべきです!」と言いました。その通りです。

 法輪大法は良い
 徐々に人間の世界に入りつつある。
 (師父の詩「大法は良い」)

 あらゆる方法を用いて大法の美を讃えましょう。私達がそうする限り、師父は助けてくれます。

 私はしばしば質問することで、人々の関心を得ようとしました。例えば、「中国人で2001年と2002年にノーベル賞候補に推薦されたのは誰か?」「中国の気功で世界60ヶ国に広まったのはどれか?」「生老病死から抜け出し、愛恨情愁を超越、何がそれを可能にするか分かりますか?」「中国人リーダーで多国にて訴えられたのは誰でしょうか? 何故でしょうか?」「中国の中枢と見做される人々は誰でしょう? そして何故でしょう?」、等々。

 多くの人は答えを知りたがり、私と密談したがりました。そして私達は討論を開始しました。大多数は善良な人達でした。最後に私はタイプします、「真善忍の為に自分を犠牲にした大法弟子に敬礼!」「人類の道徳向上を導いた、偉大な李洪志先生に敬礼!」字幕は非常にゆっくりと動きました。より多くの人が思考を巡らせていることを、私は知っていました。そして、更に多くの人が将来同様の思いを持つことを、私は知っています。チャットルームの数は増えており、真相は洪まっています。真相が到る処、

 朽ちたものは灰となり、
 光明は輝く
 (洪吟「新生」)

 その日がもう来たように思います:

 法を正すことがこの世でおこなわれ、神佛が大いに顕れ、乱世の悪縁はすべて善なる形で解消される。大法に悪行を働く者は生きることのない門に落ち、残る者は人心が正に帰し、徳を重んじ善をおこない、万物は新しく生まれ変って、大法の救いと済度の恩に敬わぬ衆生はなく、天はあまねくともに慶び、ともに祝い、ともに讃える。世間における大法の全盛期はこの時より始まる。(「法がこの世を正す予告」精進要旨2)

 皆さん有難う!

 (2004年ニューヨーク法会での発言)


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/4/12/72175.html