日本明慧


師父が功を伝え説法された日々

 文/長春大法弟子 法来

 【明慧ネット2004年5月1日】1992年5月法輪大法が長春で伝えられ、宇宙の法理はこの世にやってきて、わたし達普通の常人は大法弟子になりました。師父が長春で功を伝え説法された日々は私の生涯の中の最も嬉しい一時でした。まさに師父がおっしゃったように、「直接私の法を聞き、功の伝授を受けられる人は本当に・・・・・・今のことの時間が最も喜ばしい時だと、将来お分かりになることでしょう」。ここで師父から法を聞き、伝授を受けた日々を記し、皆さんと分かち合いたいと思います。
 
 師を四方に探し、師は故郷にいらっしゃった

 1999年の秋、師父に会えることができ、私はやっと帰路につくようになりました。

 人生の中で様々なことを経験した後、考えさせられるものはたくさんありました。抗日戦争、国内の解放戦争、北朝鮮戦争、三反運動、五反運動、公私合併、大躍進、右派反対運動、粛清運動、文化大革命などを遍歴した私は、心身とも疲れてしまい、生きることがあまりに苦しいことだと思ったのです。この苦界から抜け出すために、私は修煉の道を選び、いつもお寺に行ってお経を読んだりしていました。病気治療と健康保持のため、各種の気功講習も受けました。当時、有名な師父に弟子入りして修煉したいと思って、師を探す道を歩み始めた。数年間の間、私は普陀寺、少林寺、白馬寺、霊隠寺、法門寺、峨眉山、楽山、青城山に行ったことがありますが、弟子入りしたい師父に出会えませんでした。

 92年秋、隣の人が法輪功を教えてくれて、「あなたが探している師父は李先生かもしれないので、李先生が長春に帰ってきたら、会いに行こうと」と約束しました。師父が帰ってきたとき、私たち四人が師父のお家にお邪魔しました。師父の家が道沿いの建物にありました。部屋に入ると、多くの人が立っており、師父も立っていたのですが、私は一目で誰が師父なのかが分かりました。私は合掌し、「師父こんにちは」と挨拶しながら、恭しく師父に一礼しました。「師父にやっと出会えた」と思い、涙があふれ出ました。師父は微笑みながら私と握手し、その時の感動は言葉で言い表せないほどのものでした。あたかも迷子になった子供がやっと家にたどり着いたかのようでした。一緒に行った人が私のことを師父に紹介して、師父はとても喜んでいらっしゃいました。北京の講習班に参加したいと師父にお願いしたら、師父は長春で講習班を開かれるから、長春で参加してくださいと答えてくださいました。

 師父が他の人とお話をされたとき、私はやっと部屋の中を見回る余裕ができました。これは2Kのお部屋で、中の寝室はダブルベッドしか置けないほどの広さで、外の部屋はわたし達がいる部屋で、ソファとテーブル、二脚の丸椅子だけです。師父が長春に帰るたびに、部屋は来訪客でいっぱいです。壁に師父がお書きになった佛像が飾っており、佛像は皆小さな塔が重なっている蓮華座に座っています。師父がお作りになった佛像の泥人形も置かれていました。師父の説法ビデオの冒頭に、師父の法像が遠いところから近づいてくる画面がありましたが、その遠いところに置かれているのは、師父のお家にあった佛像です。

 数年来、私は汽車、船と飛行機に乗って師父を探していましたが、やっと出会えた師父は歩いて会いにいったのです。私の自宅は師父のお家と僅か一駅しか離れていません。「我々の修煉界では、高い次元へ修煉したいと思っている人が少なくはありません。あちこちへ法を求めて出かけ、お金をたくさん費やしあらゆるところを回ってきましたが、結局求めている有名な師に出会えていないのです。有名の名は本当に明白に分かっているという明ではありません。結局無駄足を踏み、人力と財力を無駄にして、何も得られませんでした。それに対し、我々は今日、これほど素晴らしい功法をあなたのために持ち出し、しかも私は既にそれをあなたの目の前に捧げ、あなたの家の玄関先まで送り届けているのです。」 私は夢のように本当に師父に出会い、師父に従って最後まで修煉し、圓満成就して本当の家に帰るとその日そう誓いました。

 師父の説法講習班

 1993年7月、師父がやっと長春に里帰りし、第五期講習班を開きました。参加した人が多いので、続けて吉林大学で第六期講習班を開き、94年5月、師父はさらに第七期と第八期の講習班を開きました。私はこの四回の講習に全部参加しました。その後、ハルビンでの講習班にも参加しました。千人以上の説法場はとても静かで、少しの騒音もありませんでした。師父が説法される時、スタッフの学習者も手元の仕事を止めて、心静かに法を聞くように要求しています。

 師父はいつも早めに講習班に着いて、教壇から学習者の入場を見ていました。私はこの時間を利用して、家族全員と写真を撮るように師父にお願いしました。写真の中に師父は紙を持っており、中に他の人に分からない何行の字があります。これは師父が説法の時唯一持っているものです。師父は説法の時原稿や教案はありません。法輪大法は師父が自らの口からわたし達に伝えたものです。「佛法があまねく照らし、礼儀が圓明である」という説法の場に身を置かしたとき、私はいつも足を組んで、結印していました。師父の姿が光り輝いており、師父は透き通る声で宇宙の法理を説いてくださり、真善忍が佛法であるという宇宙の特徴、帰本帰真が人生の真諦であり、無我無私の人間になることを教えてくださいました。

 第六期の講習班で、師父は高い次元の法を説いてくださりました。天目のことに言及した時、師父は他の空間について説明なさいました。つまり、同時に他の空間も存在しており、如何なる物体も他の空間でその存在形式を持っています。わたし達がこれを理解できないのを見て、師父はテーブルに置かれているコップを右手において、天目が開いている人も開いていない人も見えるので、注意してみるようにとおっしゃいました。師父は左手の中指と親指でコップからもう一つの小さなコップをゆっくり引き出しました。元のコップと全く同じですが、それの四分の一の大きさしかなかったのです。見えましたかと師父に聞かれ、皆さんは感動して見えたと答えました。そして、師父はゆっくりと小さいコップを元のコップに戻しました。この時、小さいコップが元のコップと徐々に重なったのがはっきり見えました。師父はわたし達に他の空間をはっきりと見せ、これは現代科学には突破できないことです。ですから、「この宇宙がどれほど広いのかと人々はよく質問しています。皆さんに教えますが、この宇宙は果てがあるのです。しかし、如来のこのような次元においても、この宇宙を果てしなく限りなく大きいものと見ています。とても摩訶不思議に聞こえますが、人間の身体の内部は分子からミクロの微粒子までこの宇宙と同じ大きいのです。一つの人間、一つ生命を造るとき、極めてミクロなところで既にその生命独自の成分と本質が既に構成されました。ですから、わたし達の現代科学はこのことを研究するには、まだ程遠いのです。宇宙全体の中に存在している高いレベルの智慧を持つ星にいる生命と比べて、わたし達人類の科学技術のレベルはまだ相当低いのです。同時に存在しているほかの空間さえ突破することができないのに対し、他の星からの空飛ぶ円盤は直接他の空間を飛んでおり、時空の概念まで変化しました。ですから、空飛ぶ円盤は瞬時にやってきて、また瞬時にドンで行くのです。その速さは人間の観念で受け入れることができません」

 師父が私の執着を取り除いてくださった

 「更に皆さんに教えますが、この本の内容は何回かの講習班で説いた法を合わせたものです。皆私が説いたものであり、一字一句も私が説いたのです。皆録音テープから一字一字文字化し転写したのです。私の弟子と学習者に録音から転写してもらい、私は何回か修正をしたのです。皆私の法であり、私が説いたのはこの法だけです。」

 当時、私は幸運にもこの文字化の仕事に参加しました。第七期の講習班のとき、師父が説いた法はとてもレベルが高かったのです。説法の後、師父から今回の説法テープを文字化するようにと言われました。文字化の仕事に対する要求はとても厳しく、必ず一字も漏らさずに起こさなければなりません。しかも時間も短かったのです。テープを受け取って、師父に信頼されていると思い、とても嬉しかったのです。師父は「修煉のほかの方面と過程においても歓喜の心が現れないように気をつけるべきです。この心はとても魔に利用されやすいのです」とおっしゃいましたが、「この仕事は難しくなく、ただのテープ起こしで、いとも簡単なことだ」と思い、歓喜の心が現れました。ですから、私はテープを起こす時、意あまって力が足らぬと感じ、記憶力が劣ってしまい、書き下ろす時もとても遅かったのです。一文を聞き取る時ために、テープレコーダーを二回ほど止めなければなりませんでした。このように止めたり巻き戻したりして、なかなか進まず、そのために焦ってしまい、他の人に取り残され、時間通りに完成できなければ面子がないとまた恐れる心が生じました。この時、テープレコーダーが壊れてしまい、作業が遅れないように新しい機械を買う羽目になってしまいました。結局、私はやはり皆さんに取り残され、他の学習者の助けで最後に完成する人になりました。当時師父は説いた法を本にまとめ、私たちの法の勉強のために使うと知っていましたが、この本の名前は『転法輪』であるとは知らなかったのです。

 1994年9月、師父は小規模の法会を開き、学習者に修煉の中でぶつかった問題を回答しました。学習者からたくさんの質問が出され、師父はそれぞれに詳しく解答しました。法会が終わった時、既にお昼を過ぎたため、師父と一緒にお昼を食べに行きました。この時、私の執着心はまた生じました。私は急いで家に帰ってカメラを取ってきて、新しいフィルムを入れ、写真を撮り始めました。師父がもうすぐ海外に功をひらめに行かれるので、これから師父にお会いする機会が少なくなると思って、師父との写真をたくさん撮りたかったのです。私はあれこれを背景に写真を撮り、その場にいた人と師父の記念写真を全部取ったのですが、まだ足りないと感じ、取り続けていました。師父のそばに座っている主人はやめるようにと目配せをしてくれましたが、師父が何も言っておらず、ずっと私を見て微笑んでいるのにと思って、全く気にせず、フィルムが終わるまで写真を撮っていました。食事後、すぐ現像に出しましたが、次の日取りに行ったとき、思いがけないことが起きました。フィルムが真っ黒で、何の画像も映っていません。この時、これは師父が私の執着心を取り除いてくださっているとすぐ悟りました。このような広大な佛恩を浴び、師父に対する感謝と敬服の気持ちを言い表す言葉はありません。今になっても、執着心に気づいたら、師父が微笑みながら私を見ている時の光景は目の前に浮かび、自分の執着に恥ずかしく思い、師父に申し訳ないと感じるのです。

 師父の慈悲深い見守りの中、私はやっと今日まで至りました。師父と大法を固く信じ、いささかのいい加減もなく、法を師にし、執着を取り除くことに堅持し、師父のお話にしたがって行い、極端に走らず、最大の努力を尽くして衆生を救い済度することができれば、これが大法であると深く感じました。

 師父、ご安心ください。私たち師父の故郷の大法弟子は必ず法を正す時期の大法弟子の責任を果たし、三つのことをしっかり行い、法を正す進展についていくようにいたします。師父の慈悲深い済度に深く感謝します。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/1/73587.html