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甘粛省天水市の大法弟子である姚輝さんは、警察によって
拉致され、そして殴打された後、精神異常になった

 【明慧ネット2004年5月3日】甘粛省天水市秦城区の大法弟子の姚輝さんは、北京へ陳情に行くため、違法に強制労働収容所での二年二ヶ月の禁固刑を下された。2004年旧暦12月、秦城区の警察は姚輝さんを拉致して、そして犯人に彼を殴打するよう唆した。この残酷な拷問の下で、姚輝さんは精神異常になった。

 大法弟子である姚輝さんは、男性、今は24歳、甘粛省天水市秦城区太京郷二十里舗村の住民である。彼は、2000年12月に北京へ陳情に行くために拘束され、数日後に地方の留置所に移送されたが、一ヵ月たっても、警察は彼を釈放しなかった。その後、姚輝さんはまた、洗脳クラスに送られ、続けて迫害され続けた。彼は自分の信念を変えずに、法輪大法への修煉を放棄しなかったため、2001年3月9日夜明け、警察に蘭州市第一留置所へ密かに移送された。移送の途中警察は、始めて姚輝さんに、彼が強制労働収容所に一年半の懲役を下されたことを告げた。(彼とともに強制労働収容所に移送される法輪功学習者は、あわせて15名、男性6名、女性9名)警察はこれを家族にも知らせなかったので、家族には大きな苦しみを与えた。

 このことで、姚輝さんの親は非常に苦労した。2004年1月18日、旧暦の12月27日、午前10時くらい、彼は家で新年を迎えるために壁を塗装しようとするとき、突然二人の警察が家の庭に駆けてきて、一人は秦城区公安局の政治保安課課長である裴貴林、もう一人は王という人物である。この二人は何の証明書類を見せず、家に入って捜査をしようとした際、姚輝さんは彼らに、あなたたちは誰かと尋ねたが、彼らは答えず、まっすぐに家に入ろうとしたが、姚輝さんは立ち上がって止め、ついでにドアを閉め、ドアノブを掴まえていた。この二人の悪徳警察は、これを頓着せず、中に突進し、また二人は姚輝さんの両側に立ち、一人ずつ片手を背中へ回そうとしても、どうしても回れなかった。それで、裴貴林は電話で三人の警察を呼んで、中の一人は張保勇と言った。この五人の悪徳警察は、姚輝さんの手を掴まえて、姚輝さんは必死にもがきながら、なぜ勝手に人を捕まえるか、と大声で彼らに聞いた。そのとき、また何人かの警察が入ってきた。それで十数人の警察は彼を酷く殴った。村には野次馬がだんだん多くなったので、警察は少し慌てることとなった。張保勇は飛び込んで、片手で姚輝さんの髪の毛を厳しく掴まえ、片手で姚輝さんの手を背中へ回した。そのとき、姚輝さんは痛くて大声で叫んでいたので、彼らは初めて彼を地面に倒して、彼の手と足を縛ってパトカーに投げ、強引に彼を秦城区公安局の二階にある事務室に送り、尋問をした。

 この尋問は、裴貴林、張保勇らの三人によってやったのである。悪徳警察は、旗をかけるのは誰がやったことだ、と彼に聞いたが、姚輝さんは、彼がやったことではない、と答えた。警察はまた彼に靴を脱がせたが、見た後「この靴ではなかった」と言った。ずっと8時くらいして、裴貴林は初めて学習者にまず監視しようと言った。その後、彼はその晩で呂二?留置所に移送された。当時、彼らは姚輝さんを拘束する際、手続きもなしに、また何の証拠もなしに、一人の公民を勝手に捕まえて、そして殴り、罵ったり、そして拘束したりする。

 翌日、警察署は逮捕状を作成し、そして彼の母を呼んで、彼らは、姚輝さんに拘留証にサインするよう脅迫した。姚輝さんはサインを拒否した。彼らは、サインすれば、数日後にあなたを釈放されるが、サインしないと、あなたは強制労働の判決になる、と脅迫した。何人かの悪徳警察は、姚輝さんの手を掴まえて、拘留状にサインさせた。その後、彼を留置所に送り、二人の犯人を唆して、彼を殴打させた結果、彼の左手の中指の骨が折れ、今でもまだはっきりした痕跡が残っている、門歯は四個落ち、頭への連打によって気を失い、警察に坊主頭に剃られた。この残酷な拷問の下で、姚輝さんの精神状態は恍惚になり、政治保安課は病状がさらに悪化して、責任を負うのを恐れて、初めて彼をそそくさと釈放したが、そのとき姚輝さんはもう話がはっきり言えない状態で、自立して生活する能力を失った。

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/5/3/73776.html