日本明慧


難病にかかったPurdue大学博士が煉功により再び命を取り戻した

 文/台湾桃園大法弟子

 【明慧ネット2004年5月3日】私はアメリカのPurdue大学の婚姻・家庭諮問博士課程の一年生です。縁あって法輪大法と出会ったことに、心より感謝いたします。

 2004年旧正月が過ぎたころから、私の指と手首は痛むようになり、皮がむけはじめ、学校のお医者さんから手根管症候群と言われて、それから抗菌剤を飲み、回復治療を受ける毎日でした。しかし、一日一錠の薬と週2回の回復治療は私の病気には効き目がなく、胃の痛みを招きました。2月末、痛みは両腕からひじと肩にまで広がりました。3月初旬からは、背中とひざまで焼けるような痛みで、夜中の2時、3時頃に目が覚めることが多くなりました。学校のお医者さんも手の施しようがなく、現地の大きな病院の痛風の専門科を紹介したのです。血液検査を受けましたが、どの病気が確認できませんでした。お医者さんからは「もし症状が3ヶ月以上続くようなら、リューマチ性関節炎の可能性が高い」と言い渡されました。診断結果も知らされることなく、病状はどんどん悪くなる一方だったのです。

 私は病気にかかった日々を、次のことに費やしました。すなわち、すべての関節炎の症状を覚えるほど一所懸命に、ネット上での類似症状の資料探しにあてることです。そして、私のあらゆる症状がほぼリューマチ性関節炎のもののようだと自ら感じ取ったわけです。しかし、お箸さえ持ちにくくなっているにも関わらす、私は諦めることなく、何通かの電子メールを台湾各地の有名な病院のリューマチ専門科に送り、尋ねたのです。回答はみな同じで「あなたの症状はリューマチ性関節炎と思われますが、診断は台湾にお帰りになって最終検査を受けていただいてから可能となります」とのことでしたので、がっかりしました。

 両足が歩行不能となったことで、私も恐怖を感じるようになりました。ネット上の検索でリューマチ性関節の項目に何回もアクセスしたことで、これは西洋医学・漢方の両面からみても頑固な病気であるとされていることが分かったのです。病気の原因は不明で、症状のプロセスだけは分かっていますが、具体的な治療法はなく、漢方も西洋医学もみな痛みを止め、患者の苦痛を抑えるたけで、病状のプロセスを先延ばしすることさえ出来ないのが現状でした。リューマチは最初は関節から始まり、各関節がひどく変形し、それから心臓や他の内臓器官にまで進行し、何十年かののちには、最終的に苦痛の中で息絶えてしまうのです。25歳の私がこの病気にかかったことで、自分だけでなく、60代になっている両親もろとも苦しませることになりました。弟と妹はまた未成年で、父母のわずかな年金で自分や弟、妹の生活を支えてくれているのに、さらに私の重病で莫大な医療費まで負担しなければならなくなったのです。私は家族にこのような苦しみを与えたくなかったので、死んだ方がましだと思いました。台湾に帰ったところで、自殺するのはとても無理なことだと分かっていましたので、大峡谷まで行き、飛び降り自殺をしようと思ったのです。遺書を書くと同時に、ネットで大峡谷への切符を予約しました。その時の私のことは、肉体的苦痛で絶望のどん底にあったことをお考えいただければ想像に難くないでしょう。

 その時、ネット上で最後に読んだのが、リューマチ性関節炎に関する資料でしたが、その中で突然、目に飛び込んできたのが「リューマチ性関節炎が奇跡的に快癒」の一文でした。私はすぐにアクセスして読んでみました。これは中国大陸の法輪功学習者が書いた文章でした。その時は本当に奇跡などあるものだろうかと疑っていたのです。続いてそのホームページの文章をすべて読んでみました。各種の癌、骨質増殖など、さまざまな病気の事例が書いてありました。そして、私も救われるかも知れない、と思ったのです。この法輪功がそれほどまでに素晴らしいのなら、私も早く教えてもらわねばなりません。検索エンジン上に法輪功の三文字を入力すると、香港のホームページにはじまって世界中のネットワークにまでリンクされていました。それからアメリカの各大学にも、みなボランティアで教えてくれる人がいることを発見しました。当時、Purdue大学で教えていらっしゃる方はアメリカ人の方でした。私はすぐメールを送り、電話をかけましたが、彼は卒業しました、とのことで連絡がつかなかったのです。どうしようもなくなり、香港のホームページの音声資料を選択していると、李洪志先生の五つの気功動作を指導するビデオ・ファイルを見つけました。すぐにダウンロードし、見てみたのです。煉功を始めると同時に、ネット上の同修(編集者注:法輪功を共に学ぶ仲間)の勧めで、李先生の広州での9日間の講演の録音を一通り聞きましたし、《轉法輪》もプリントして拝読しました。

 当初、《轉法輪》を読んでいた時は、半信半疑でした。法身、天目は私にとって迷信に過ぎなかったのです。しかし、同修から言われた通りに読んでいきますと、《轉法輪》は最初から最後まで人を善に導いていて、そこには他の多くの宗教では解けることのない疑問に対する答が説かれていたのです。先生のビデオを拝見する時、最初、寝てしまうまで観ていたのですが、先生のほほ笑みと人を善良にするそのお心が一番、印象的でした。さらに驚愕したのは、ネット上ですべての功法を習い、正式に煉功を始めた翌日の夜には全身が熱くなり、布団もかけていられないほどになったことです。その後、発病につれ生じていた口臭が消えました。そして、三日目には腹前抱輪(編集者注:法輪功の気功動作のうちのひとつ)の際、お腹で何かが回っている気がしました。最初はまた気のせいか、と思いましたが、毎日のようにお腹で何かが回っていることに気付きましたので、法輪(編集者注:以下《轉法輪日本語版》参照)だと確信したのです。
http://jp.minghui.org/works/worksindex.htm

 煉功(編集者注:気功動作のこと)を怠らぬよう行うにつれ、よく寝られるようになり、食欲も出て、死のうという想いも消えました。そこで、私は台湾に帰ろうと決意したのです。その理由の一つは、歩行不能だったため、Purdue大学の級友と先輩たちに迷惑をかけているということ。もう一つは、自分で病気を治せる希望がある、ということにあったのです。そして、台湾には多くの同修がいますので、あまり正確ではなかった動作について、教えてもらえるだろうと思ったからです。そこで、私は4月13日の夜9時過ぎに、車椅子で台湾への帰国の途につきました(飛行機では乗務員の方に助けられました)。そして夜11時過ぎには帰宅したのです。4月14日朝5時頃、私は桃園農工学院の煉功站(編集者注:“れんこうてん”と読む。気功動作を行う場所のこと)へ行き、同修と共に煉功し、(編集者注:一学習者である)郭さんからの指導も受け、動作の要領をおぼえたのです。

 4月15日午前、私は両親に連れられて、林口長庚病院へおもむき検査を受けました。超音波の検査と以前行った血液検査の結果、二人の医学教授は、リューマチ性関節炎、硬質性脊髄炎、そして紅斑性狼瘡であることを否定しました。その時、診断された病名はHypermobility Syndromeでした。お医者さんがおっしゃるには、私のこの病気は一生痛みで苦しまねばならぬもので、いわゆる「皇女病」であり、この病気にかかると重い荷物をかかえることもできず、粗っぽい仕事もできず、ずっと痛み止めの薬を飲まないといけないもので、一生腕当て、ひじ当て、ひざ当て、腰当てをしなければならず、継続的にリハビリ治療を受けなければならないというものでした。車椅子に乗って診療室を出た途端、私は両親に「私は法輪功を修煉します」と言ったことしか憶えていません。

 当日、父は《轉法輪》を買って私にくれました。私は2度目を読むと同時に、煉功も怠らず行ったのです。長庚病院よりいただいた薬は机の上に置いたままで、触ろうともしませんでした。4月16日夜、私は足を引きずりながら法輪大法を学ぶ交流会に参加しました。4月17日朝、私は四時に起き、ネットにアクセスして、明慧ネットの病気治療と健康促進のページを読み、「もし私が自分の足で桃園農工まで行けるのなら、お父さんに送ってもらうまでもないだろう」と思いつきました。私は一歩一歩、少しずつ桃園農工の煉功站まで歩いて行ったのですが、同修の皆さんはみな私のことを嬉しく思ってくださいました。4月19日、私が再び、9日間の講習会に参加した時には、首が赤くなり、かゆくなって、我慢できなくなりました。お父さんが薬を塗ってくれようとしましたが、私は本気で「これは業を滅する過程なので、心配はいらないよ」と言ったのです。(編集者注:同じく一学習者である)仕念さんからも「これは難関を乗り越えるチャンスですよ」と激励されました。その後、私はかゆくなると第5功法(編集者注:5つある動作のうちのひとつで座禅を組む)をしました。

 今日は4月18日です。私の首のあせもは昨日からなくなっており、今ではひざの痛みがまれに出る程度で、普通の人と同じように道を歩けるようになったのです。第5功法も以前の十分しかできない状態から、今では五十分出来るようになりました。私の叔母、叔父、お母さんの友達、それから近所の人たちもみな私のことがあって法輪大法を修煉し始めました。ですから、私は「法輪大法は素晴らしい」ということを皆さんに言いたいのです。中国大陸での実態のないねつ造報道にどれほどの国民がだまされていることでしょうか? 私は幸いにも大法弟子になりましたので、この万古の縁を重んじ、精進して真に修練し、さらに自分の能力を尽くし、より多くの人々に法輪大法が中国大陸で迫害されている事実を知らせようと思っているのです。

 最後に、偉大にして尊い師に感謝いたします! 同修に感謝いたします!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/3/73784.html