日本明慧


私が知っている王宏斌さん

  河北省法輪功学習者

 【明慧ネット2004年5月9日】王宏斌の奥さんが書いた陳情の手紙と公開状を見て初めて、宏斌がすでに亡くなっていることを知り、とても沈痛している。私と宏斌は深く付き合ったことはなかったが、彼の人格に対してたいへん敬服し、彼の誠実、慎重、謙虚、温和、善良さは私に深い印象を残した。このような静かな青年が死んだ。本当に心を痛めている!

 いま特に彼のいくつかの情況に関して新たに整理して、また悪事を働いている人に良心と道義の非難を受けさせることができるように望む。正義の人が法輪功に対する弾圧の凶暴残虐さ、そしてそれによって誘発する法律の破壊、人間性の壊滅の民族危機を見えるように望む。子孫後裔の未来のために、共に行動しこの民族の悲劇を制止する!

 王宏斌(男性、石家荘)は県西杜村の人、長春郵電学院を卒業した元河北省電話設備工場の技師だった。彼は法輪功の修煉を堅持したため、不法に労働教養を言い渡され、2年間の精神と肉体の苦難を被り、肺癌によって2003年10月9日、39歳で死んだ。

 宏斌は中ぐらいの体つきで、白くて眼鏡をかけている。口下手で、見たところ青白いインテリだ。彼は誠実で、謙虚で、温厚で、本当に知っている人はみんな良い人だと言っている。
このような良い人を苦しめるのは、どのぐらい残忍な悪人だろうか?!

 彼が亡くなったことを知ると、知人はみんな憤慨した。十数歳の子供はこう言っている:“おじさんがただで死ぬことは許されない、おじさんを殺した凶悪犯を訴えなければならない!”

 宏斌の家は豊かではなくて、父は脳血栓で死亡し、母も胃癌を患っていた。母が病気にかかった時、彼は一生懸命母のために治療方法を探していたが、それにしても母は亡くなり、彼にとって大きな衝撃だった。あまりにも悲痛なため、彼の体は悪くなり、いつも胃薬を飲み、時々正常に食事をすることができないほどだった。その時ちょうど気功が流行っていて、勤め先の労働組合が職員に教えていた。彼は多数の気功を勉強したが、体にプラスになることはなかった。

 94年3月、宏斌は一枚の法輪功を紹介するチラシをもらい、法輪功の修煉を始めた。法輪功を修煉してから、宏斌の体は非常によくなった。不法労働教養される前まで病気にかかったことはなかった。

 修煉してから、彼の体重は60数キロから75キロぐらいまで増加し、体は健康で、気持ちも晴れ晴れとしていた。彼は全身に力があって、すすんで家事を手伝い、工場での仕事もとても素晴らしくこなしていた;しかし彼は決して名利を争わず、住宅を割り当てる時に部屋を譲ったこともある。上司、同僚、取引先はみんな彼に対して高く評価していた。宏斌家の生活は楽しかった。もし2年間の労働教養の苦難がなければ、彼は決して病気になることはなかった。もちろん若くして死ぬこともなかったはずだ。

 市公安局の610の悪人馬文生は、長安公安支局に王宏斌に罪を陥れるように指図して、いわゆる“徹底取り締まり”を行なう時に彼を誘拐して、家から連行され3年の強制労働をさせた。
彼に対する強制労働は根本的に判決もされてなかった。彼も上訴資料を書いて、上訴をずっとしていたが、全然返事がなかった。

 宏斌は労働教養所で心身虐共に虐待されていた。特に家族との面会の権利が剥奪されて、2年間彼は全然家族と会うことを許されなかったので、更に独りで耐えられなくなった;同時に彼の休み時間も剥奪されて、長い時間奴隷のような仕事を強制的にさせられ、命がけで働かされた。労働教養所は強制労働者の労働によって稼いだ金をこのように搾り取っており、これらの方法は上司に黙認され、あるいは上司が取り分を山分けすることにも参与するのだ。

 彼は残虐な体刑を実施されて、長期にわたり睡眠を剥奪され、転化させるために強制的に洗脳されていた。ある時彼が寝ていると、管理者は彼を監視する人にライターを使って爪を根まで焼き尽くすように指図した。

 ある日、王宏斌は片手で手錠をつかって窓の鉄柵の上に3日3晩吊るされ、管理者は人に棒を持って近くて監視するよう指図し、王宏斌の足が壁を踏むと棒を使って足首の骨が殴られた。
侮辱されたり、殴られたりすることも日常茶飯事のようだった。

 王宏斌は深刻な人権侵害を受けていた。毎日24時間管理者に指定されている犯罪者が彼のことを監視し、便所に行く時さえも自由ではなかった。

 強制労働者は随時罰監禁される可能性がある(つまり外部と通信を許さない、服を送ることを許さない、食堂に行くことも許さない、日用品を買うことも許さない、外部との一切の連絡はすべて断ち切られる)。

 彼はある女性の法輪功学習者が30日間睡眠を剥奪されたため、精神がおかしくなった姿を自分の目で見たので、精神は長期にわたり緊張していてふさぎ込み状態になり、深刻な心の傷をもたらした。

 労働教養所は王宏斌に対して精神的な迫害を実施して、詐欺手段を使って彼とその他の学習者の関係を引き離し、彼に圧力を加えた;彼を隔離し、単独で4階に閉じ込め、周囲にいるのはよく下品な言葉を口にする刑事犯だけだった。

 労働教養所の中で、2001年末、王宏斌は一時的に正常に食事をとることができなくなっていた。体はとても虚弱で、特にやせていた。

 家族は彼の重病のため一時出所を求めていたが、労働教養所は意外にもだまして言った:王宏斌の体は大丈夫だ、すでに病院に行ったことがある。家族が病院の診断結果を見たいと要求した時にも、彼らはまだ資格がないと言って拒否した。それからまた重病で生命の危険があるため一時出所することができないと言っていたが、今考えてみるとあれは肺癌の初期だ。労働教養所はわざと宏斌の病気を治療する時期を遅らせていた。あの時から宏斌の体はずっと回復しないままであった。労働教養所はずるずると長引かせて“重病のための服役中の一時出所”を許さず、王宏斌の生命が危篤な時期になると、責任を逃れるため、やっと早めに彼を釈放した。

 2002年11月23日に王宏斌はつい家に戻されたが、38歳の彼は、髪の毛の大半がすでに白くなっていた。体はとてもやせて、咳が出て、体の調子はとても悪く、強制労働をさせる前と比べるとまるで別人のようで、常に一人でぼんやりして、人に会いたくなく、心の中はいつも暗く、扉をたたく音を聞いたら緊張していた。

 彼はこう言ったことがある:強制的に洗脳された苦痛は死ぬほどひどくて、男は気骨を失うこと、女性は強姦されるようなことだ。彼は社会に直面することができず、過去のことを忘れて生まれ変わることはできない!彼は精神崩壊に近い状態で、体の調子がますます悪くなり、労働教養所から帰ってきて10ヶ月と14日間しか生きられなかった。2003年10月9日に亡くなった。

 彼が亡くなったことで、奥さんと子供が残され、苦難な日々を過ごしている。

 王宏斌が死亡したことは、市の公安局、610事務室と労働教養所が法律執行者なのに、法を犯して、人を思うままに殺している。これはみんな法輪功に対して血生臭い弾圧によってもたらされたことだ。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/9/74245.html