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二人の法輪功学習者が内モンゴル第一女子刑務所で受けた迫害

 文/内モンゴル法輪功学習者

 【明慧ネット2004年5月12日】法輪功学習者の思沁さん(女性、30歳くらい)は内モンゴル赤峰市元宝山区平庄中学校の教師を勤めている。2001年8月4日、真相を伝えたため、邪悪に誘拐され、非合法に留置所に監禁され、迫害された。思沁さんはどの留置所でも煉功を堅持し、真相を伝えた。邪悪は彼女を怖がり、彼女を虐待し、痛めた。時には毎日手錠で両手を嵌めて吊るし上げ、数時間も吊るし上げた。時には深夜12時まで吊るし上げた。思沁さんは邪悪に屈服しなかった。邪悪なものらは彼女を元宝山留置所(平庄鎮)、敖漢旗留置所、赤峰市留置所など、いくつかの留置所に送り回し、最後には元宝山留置所に送って帰ってきた。どの留置所でも思沁さんは邪悪に屈服しなかった。邪悪は彼女に仕方なく、非合法に3年の刑を言い渡し、2002年10月15日彼女を呼和浩特[フフホト]市第一女子刑務所に送り迫害を行なった。

 内モンゴル第一女子刑務所で、思沁さんは邪悪により単独で拘禁され、犯人らが住まない一階の個室に入れられ、窓には新聞紙がのりで張っていた。外には偽ってここには患者が拘禁されていると称された。その目的は世間を欺き、密かに迫害を行うためであった。

 2003年4月13日、女子刑務所は法輪功学習者に対して強制的な洗脳を行なう際、思沁さんに対して更なる残酷な迫害を始めた。刑務所の警察は思沁さんを暗い「蹂躪転化室」に監禁し、昼夜睡眠を与えず、立たせる罰を与えた。両足、すね、ひざ、股とも腫れて、靴を履けなくなり、裸足で昼夜コンクリートの地面に立たされる。17、18日経ったらようやく数日休みを与える。その後、再び次の周期の迫害に入り、昼夜睡眠を与えず、ずっと立たせる。

 こうして一周期、一周期迫害する。刑務所所長倪栄香、刑務所区長呉桂琴、もっぱら法輪功学習者を迫害する警察王延文は毎日「蹂躪転化室」に行く。「蹂躪転化室」からは大声でののしる声が聞こえて来て、3階でさえ聞こえる。思沁さんはこうして半年以上蹂躙された。

 法輪功学習者于鳳傑さん(女性、三十数歳)は内モンゴル赤峰市紅廟子の住まいで、炭鉱の従業員である。2001年真相を伝えるとき邪悪に誘拐され非合法に4年の刑を言い渡された。2002年呼和浩特[フフホト]市郊外地区の小黒河地区の内モンゴル第一女子刑務所に送られ、迫害された。2002年の夏、于鳳傑さんは煉功を堅持したため、邪悪な刑務所区長肖潔により電気棒で電撃された。

 2003年5月10日労働教養所は突然狂ったように于鳳傑さんを虐待しはじめた。彼女を単独で終日日当たりがない小屋に拘禁し、六、七人の犯罪者が順番に監視した。昼夜于鳳傑さんに睡眠を与えなかった。ちょうど“新型肺炎”で刑務所の封鎖時期であって、警察らは家に戻れなく、刑務所内に住んだ。もっぱら法輪功学習者を迫害する警察王延文、刑務所区長呉桂琴をはじめとする凶悪な警察たちは、昼夜順番に繰り返して強制し、大きい声で罵り、大法を中傷する内容を絶えずテレビで放送し、またその音は特に大きく、上下のフロアでも聞こえて、夜は良く休めない。犯人らは心中の怒りを口に出せなく、一部の犯人は不満を法輪功学習者に転化した。警察は于鳳傑さんに対して数ヶ月強制洗脳を行い、部屋を出て服を日に当てて干すことも許さず、服を洗うときは人が監視し、必ず洗面場に人が居ないときだけ洗面場が使えた。

 2003年11月、内モンゴル第一女子刑務所は呼和浩特[フフホト]市の近郊地区帥家営に移った。新しい刑務所には暗い小部屋がなく、于鳳傑さんは陰面[北側]の監禁室に按配された。室内には洗面設備がなく、只列車の車両の中の便所のような小さい便所が一つあって、一人でしゃがむことができるだけで、角には手を洗える位の一つの小さな桶があり、蛇口の水はとても小さくて、1つのうがいコップを使って水をもらうのもとても困難だった。然し邪悪なものらは于鳳傑さんにこのような小さな便所で洗面させ、洋服を洗わせ、洋服を日に当てて干すことも許さず、また于鳳傑さんと他の法輪功学習者が公共洗面間に行くことを禁止した。監禁室内にはベットの上に布団が置いている以外、他の用品は全て倉庫に置いている。誰でも一日何回も用品を取り出すことができる。しかし于鳳傑さんなど法輪功学習者は出入れが禁止され、他人が代わりにするしかなかった。要するに法輪功学習者は部屋を出ることが許されないのだ。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/12/74416.html