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唐山市の優秀技師の戚玉娜さんは心身共に迫害されたが耐えている

 【明慧ネット2004年5月7日】戚玉娜さんは信仰を堅持したため深刻な迫害に遭った。これが原因で精神が正常でなくなり併せて深刻な心臓病を招いたので、今は家の中で療養している。彼女の経歴をみなさんに紹介する。

 戚玉娜は1963年生まれ(41歳)の女性である。中等専門学校の卒業で、唐山市の古冶区食品会社の製冷技師、もとの設備建設科の副課長だった。彼女は法輪功を修煉したために党籍を剥奪され、党のすべての職務を取り消された。

 1999 年7月21日、午前中に局党委員の王淑美は戚玉娜さんと話し合って、法輪功に対する信仰と修煉を放棄させようとしたが、戚玉娜さんは断固として受け入れなかった。そして午後になって彼女は北京へ大法を実証しに行ったが、長距離バスの停留所にいた時悪人に取り押さえられ、当地の派出所に戻された。その後彼女は元の職場に戻されて指導を受けたが、その巨大な精神的圧力によく耐えた。彼女の家族の王錦興さんも大法弟子であり、しかも指導員だったので、北京に大法を実証しに行ったが、その後やはり当地に戻された。家には7〜8歳の息子が依然として一人で居た。24日に解放されて家に戻ったが、家はすでに家宅捜査されていて、大量の大法書籍や資料は全部略奪されていた。

 1999年9月13日、王錦興さんは再度当地の派出所の警官と職場の悪人に理不尽に逮捕された。同年9月15日、戚玉娜さんは脱党届を提出して、法輪大法の信仰を堅持した。

 2000年2月19日(正月15日)、王錦興さんは再度理不尽に留置場に拘禁された。戚玉娜さんは家族通知の署名を拒絶して、晩に北京へ大法を実証しに行った。

 20日朝、天安門広場で一人の大連の大法弟子と偶然に出会って、天安門広場の東側、軍事博物館の前に置いてあった一台のパトカーの前で大連の大法弟子と煉功した。すると警官の殴打に遭ってパトカーに引きずり込まれ、天安門近くの派出所に連行された。それから数時間後に唐山駐北京事務所に連れて行かれて、晩に当地に戻された。

 当地の派出所に着いたのはすでに夜8時くらいで、彼女は一日ご飯を食べていなかった。彼女を庭に入れると警察は中庭にある鉄柱に手錠をはめた彼女を繋いだ。数時間後に身体は凍ってしまったが、公安局一科の何所長は酒も食事も十分に食べてから、戚玉娜さんを尋問し始めた。彼は署名と北京の大法弟子曹凱さんの事を知っていると言ったが、戚玉娜さんは知らないと言った。所長の王××は力一杯左側から戚玉娜さんを蹴ったので、弱小の戚玉娜さんは倒れそうになった。なんとか体制を取り戻すと、すぐ右手で戚玉娜さんの顔を思いっきり殴った。顔は殴られて熱くなり、腫れて来たと感じた。彼女がまた知らないと言うと、一本の細い麻縄を持ってきて、彼女の両腕を後で、手を上向きにして、力任せにきつく結んだ。そして両腕を身体の後で身体と90度くらいになるまで引き上げと、彼女を折畳式の椅子の上に座らせて、腕のひじを折畳式の椅子の後に置かせた。(椅子の背は動けるから、平に置くことができる。)この時、一科の記録している宋××はまた皮肉っぽく言った:おい、柔らかい功を訓練するな! 彼らはすでに人の耐えられる極限を上回ったと思ったのか、王××は縄を解いた。彼等は多分彼女に障害を負わすと責任を取ることになるのを恐れたのだろう。彼女が腕を少し動かすと、彼女の腕は意外にもスムーズに動けたので、彼らはびっくりした。同時に邪悪を震え上がらせることになり、大胆な迫害に激化することなく、置留室に送られて監視された。

 21日朝尚紀冬は人をつれて戚玉娜さんの家を家宅捜査に来たが、素手で帰った。家はとっくに彼ら悪人に家宅捜査されてなにもなかったためだ。帰ってしばらくすると、彼等は石炭掛け小屋をまだ検査してなかったのを思い出したと言って、また人を連れて二回目の家宅捜査をした。そして石炭掛け小屋の中に隠していた大法書籍とビデオなど資料が没収された。彼等は迫害を強める口実を探し当てたため、宋××はまた一群の人を連れて彼女の家の中まで入り込み、家中にあった値打ちの物——テレビとビデオ機を持ち去られた。

 大法書籍と大法資料の返還を要求して、戚玉娜さんは24日朝から絶食を始めて抗議した。午後警察たちは弟子の公判会を作り、20名ぐらいの大法弟子に対して不法な判決を言い渡し、留置場に送り届けた。彼女は引き続き絶食した。そして強制的に安康病院へ送られた。その時の体重はすでに69斤まで下がった。煉功を続けたため病院のベッドに何日も縛られた。その後病院から留置場に戻されたが、理不尽に継続して拘禁された。何度も屈しないで迫害に抵抗したので、ついに2000年8月18日に無罪で釈放された。そしてこの時不法に党籍と職務を剥奪された。

 戚玉娜さんは大法弟子としていつも一生懸命だった。彼女は仕事に対しても常に責任感があり、同僚や上司からの信頼も厚く、職場の評判も人づきあいも良かった。商業局の指導者は戚玉娜さんの心身を傷つけないために、一週間休養してから、正常に出勤したと言った。復職したが、仕事の内容は不変だった。9月14日に設備メーカーと16万元の設備工事を予約したが、契約書に署名した後に、メーカーは2千元の世話料を取り出して、戚玉娜さん渡そうとした。彼女はすぐに大法弟子としてこれらの金銭を受け取ることは出来ないと言った。しかしメーカーは強引にお金をその場に置いて離れた。この時、すでに仕事が終わる時間だったので、15日に戚玉娜さんは一部の材料を書き添えて2000元の人民元と一緒に党総支部に手渡した(戚玉娜さんと王錦興さんは二人とも半年に亘り長期拘禁されていたので、まったく収入がなかった)材料の中で書いた:大法弟子としていかなる一切の汚物に汚染したくない、それは法輪大法の功徳に許されないものだ。(16日と17日は二日連休)、18日昼ごろ戚玉 娜さんはまた罪がないのに労働による再教育に連行された。その日の午前中、部門の指導者と局の指導者は戚玉娜さんがその部門でただ一人の製冷技術者であり、仕事が彼女を必要としていたので労働による再教育を受け入れようとしなかった。彼女のすばらしい仕事振りと仕事の特殊性を考えて、彼等指導者は保障して保釈しようとした。しかし江氏グループは人民、企業の生死に関わらず、やはり強行にその労働による再教育を譲らなかった。ずっと昼ごろまで意見を調整したが保釈できなかったので、派出所の警察はやっと昼過ぎになって彼女を部門からまっすぐ派出所に連れて行った。そして労動教養所に送り込んだ。公務の公安の幹部も戚玉娜さんの優秀な人柄に感動して、彼女について極めて大きい同情を与えた。健康診断の前に、たとえば自分は心臓病があると言ったら、私達は帰れるでしょうと彼女に言った(この公安部門の幹部を保護するため、私達は彼の姓名を隠すが、歴史はこの善念をしっかり覚えることができ、自分の生命に輝かしい1ページを記した)それでも戚玉娜さんは私達の大法弟子はうそをつかないと言った。その後間もない10月に王錦興さんも適当な罪名を付けられて二年間の労働教養の判決を言い渡された。

 2001年正月中旬の春節前に、邪悪は気が狂ったように大法弟子を迫害したので、労動教養所の中は反革命的な恐怖で充満した。この時の戚玉娜さんは黙々として、静かに出てくると、別の一人と一緒に、毎日煉功を堅持した。しかし毎回手印を始めると悪者が報告に行った。するとすぐに警察が飛んで来て、彼女を引っ張っていった。そして凍るような日陰の雪の上に半日間立たせたり、あるいは半日間縛った。その時彼女の信念はひとつしかなかった:堅持する。河北の第一労動教養所(開平労動教養所とも言う)内では公に学法と煉功が止まっていなかった。ずっと2月21日まで堅持したが、邪悪は彼女に焦点を合わせて、彼女に黒い手を伸ばしてきた。彼女が就寝すると、すぐに外に叫ばれ、当番室の中で迫害を受けた。(何日か前に警察の王学礼は戚玉娜さんに、もしまだ煉功するなら、暴力をとると脅したことがあったが、彼女は恐れていなかった。)王学礼は怒鳴って、戚玉娜さんを彼にひざまずかせようとしたが、彼女は依然として静かに立っていてひざまずかなかった。彼女は心の中では先生にひざまずくことしかできないと考えていた。王学礼は彼女がひざまずかないとみると彼女を蹴ったので彼女は地面に倒れた。王学礼は他の一人と一緒に高圧電気棒で彼女の全頭部を電撃した(聞くところによると後頭部は電気棒で電撃することは許されていない)、パンという電気スパークが頭部で何度も聞こえた。電流の衝撃力が大きくて、頭部の衝撃は、全身に及んだ。この時、戚玉娜さんは意識が朦朧となっていた。他の人はもうすでに手を休めていたが、王学礼は放置しないでまだ人中脈を押し、戚玉娜さんの髪の毛を引っ張って屈服させた。その時戚玉娜さんの体はけいれんをし始めて、一本の棒のようになった。すると彼らは彼女をベッドに上げて、人中脈を押したり、人工呼吸をしたが生還しなかった。呼吸が停止したので、所内の当番の医者が急いで来たがもうだめだと見ると、急いで酸素マスクを付けて病院へ緊急措置をとるように送った。病院に着いて、緊急措置を済ませた後で、王学礼はやっとほっとした。廊下で戚玉娜さんが気絶した後の過程を述べて、どのように人工呼吸をしても目を覚まさなくて、今日彼女が死んだら、自分は投獄されるに違いがないと言った。しかし、この時、女性警察の閻紅麗は「大丈夫よ、今日彼女が死んだら、私はあなたの証人になって、彼女が心臓病で死んだと言う。」と言った。

 戚玉娜さんが目を覚ますと、全部の肋骨の胸腔に痛みがあった。多分人工呼吸をした時に激しく力を入れて人中脈を押したので、人中脈は腫れて、爪痕も残り、表面で固まった血の形は一分のお金の大きさであった。人は生き返ったが、心身と精神は重傷を負った。彼女は夢の中でうわごとを言って、一日中血を吐いた。吐血のちり紙は昼間も晩もビニール袋を一杯にし、全身は震えて歩くことが困難になり、心臓も重い傷を受けた。それでも戚玉娜さんはずっと黙々として黙り込んで耐えた。しかし監視者はずっとこの様子をチームに報告している。4月24日晩、警察は大法弟子全員に映画を見るように言った。大法弟子達は一日疲れていたので、しばらく休憩しょうと思っていたが、警察はすべての人が行くようにと同意しなかった。王学礼は再度室内に入って、名前を呼んだ:戚玉娜さんは、依然として静かにしていて動かなかった。王学礼は苛立って、彼女をぐっと引っ張って外へ出したが、彼女はもはや苦しめられることに耐えられない状態だった。室外に引っ張り出されると、人々はこの様子に震えた。それでも隊長は彼女に映画を見させに行かそうとしたが、支えても歩けず、全身がすごく震えたので、隊長はこれでやっとやめて、彼女を室内に帰らせた。ベッドに上がっても胸腔が圧力できつく、呼吸が困難で、横になることも出来ず、また病院へ緊急措置をとるために送った。それ以来度々呼吸困難になり、酸素マスクを付けても、血圧は50-70と低い。病院へ検査に行ったが、戚玉娜さんの脳には深刻な問題が現れ、生命は危篤状態にあったので、労動教養所はどうしても上へ報告しなければならなくなり、情報は古冶区委員会まで伝わった。

 戚玉娜さんの一貫しているすばらしい態度と食品会社の技術と安全を考えて、部門の指導者が全力で救った。そしてやっと5月12日に重病のため、服役中の一時出所で、商業病院へ送った。しかし610オフィスはまだ彼女を見逃さず、毎日三度監視するように求めた。彼女の体は極度に衰弱し、精神的な圧力は巨大であった。彼女の家族の王錦興さんはまだ労動教養所の中で、息子さんは実家に預けたが、その実家には70数歳の両親と麻痺のあるお姉さんがいて、家庭はすでに崩壊の状態であった。この時関係者は戚玉娜さんを探して、もし彼女の病状が少でもし好転したならば、また労動教養所へ返すと言った。すでに彼女の神経は電気棒によって重傷を負わされ、深刻な衝撃を受けていたが、この巨大な圧力がさらに加わって、精神は完全に崩壊し、精神錯乱状態になった。部門は彼女を精神病院へ送って、精神病院で半年過ごさせた。巨大な精神的な苦痛を被って、家族は何度も退院を求めたが、610オフィスの鄭××・李××は、また彼女を見逃さなかった。部門にはお金がなくなり、病院に医薬費を支払えなくなったので、精神病院は彼女を元の勤め先に返した。610オフィスはまた彼女を見逃さないで、翌日2002年正月15日にまた洗脳班に送った。610オフィスも彼女が衰弱しているのでさらに酷い体罰ができないことを知っていて、そこでは誰も彼女に関与しなかった。しかし彼女は解放されず、このようにまた半年くらい拘禁された。この期間、医者は毎日検査して、ずっと上層部へ戚玉娜さんの心臓と精神には問題があると報告していた。2002年6月4日、洗脳班は精神病として元の勤め先に戻し、やっと釈放されて家に帰った。

 精神病院から出てくる時、戚玉娜さんの髪の毛は真っ白で、薬物の蹂躪のため、体型と容貌は変形して、眼光は鈍く、人を見分けることも難しかった。全く以前のような聡明さと嫻淑さがなくなり、人に見分ける勇気もなくさせた。今はある程度好転したが、体は極度に衰弱し、ふだんの動悸は百数回あり、不整脈で、少しでも動くと息が上がり、手は震えて、刺激に遭うと痙攣して硬直する。記憶力は減退して、精神状態は悪く、刺激に遭うと精神が錯乱する。自分一人で生活することが出来ず、家からも出られない。ここままで二年近くいても、隣近所の人は彼女が階段から降りる姿を見たことがない。

 圧力を懸けられて、今は部門も彼女を監視しているが、直接彼女を刺激しないように、たまに彼女の家族に電話をかけるようにしている。またいくらかの果物、食品を持って同僚が見舞って彼女を見ている。ここ数年来、食品会社の冷庫は技術上戚玉娜さんが再び職場に戻ることを必要としている。使用方法や、補修、拡張等の改築に関わらず深刻な損失と困難を被った。特に今全国で労働災害の事故は頻繁に発生している。国家もだんだん安全生産を重視して、部門は戚玉娜さんのような専門技術者を早急に必要としている。食品会社はしきりに急を告げて、何度も戚玉娜さんを出勤させるように要請している。製冷専門技術者は社会上できわめて得難い人材だが、現在の戚玉娜さんの健康状態から見て、しばらくはまだ職場に戻ることができない。これは江氏グループが法輪功を迫害したために起きた悪の報いの現れである。

 二年に亘り、戚玉娜さんは部門にいかなる要求も、少しの面倒もかけたことがない、彼女はこのすべては部門がもたらしたのではないと思っている。根本的な問題は江××が全てもたらしたものであり、そのために企業を困らせたくなくて、何の面倒もかけず、黙々として耐えている。

 このように心身ともに深刻に迫害された彼女を、警察の尚紀冬はまた狂気じみて、欲に目がくらんで、わざと彼女の家の中にまで入り込み彼女をかき乱している。良心はどこにあるか!良心はどこにあるか!


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/5/7/74051.html