日本明慧


私が自分の目で見た師父

 【明慧ネット2004年5月8日】私は一人の農民です。人生の中で、夢にも思わなかったが幸運にも、李洪志先生が自ら功法を伝授するクラスに参加することができました。 

 私は湖北省のある辺鄙な村に住んでいます。小学校も卒業しないうちから泥と付き合い始め、農業に従事することになりました。その後、人の紹介で禅宗を修練し始めました。法がないため、座禅ぐらいしか知らず、愚かに18年間修練して、何の進歩もなかったのです。ただ天地は広大であり、茫々たる人の海に、明師はかならず現れるといつも思っていました。 

 とうとうその日はやってきました。1994年の前半、ある太陽がきらきら輝く日のことでした。偶然の機会から、友人に「法輪功の李洪志先生が近日中に広州で功法を伝授されます。これは本当の仏法であり、最後の法を伝授するクラスです。」と聞かされました。これは私が求めていたものではないかと思いました。このチャンスを逃がしたら、二度とないのです。必ずこの最後のチャンスを掴まなければならないのです。私は躊躇もなく、少しの金と着替えの服を持って旅に出ました。 

 広州の法輪功クラスに着くと、師父が最後に功法を伝授するクラスなので、全国各地から大勢の同修が来ていました。東北の方、北京の方、新疆の方、武漢の方などがいました。ホール内は上も下も満席となり、ホール外の通路にもたくさんの方が立っていました。おおまかに推定しても三千余名の参加者がいました。参加者がいくら多くても、師父が法を説かれるときは、ホールは始終、静まりかえっていました。師父は弁舌さわやかに、奥深い内容を分かりやすく説明されました。長く続いた旱魃後の甘露のようで、私たちの心を潤していました。当時、最も印象的だったのは、師父は「功を伸ばすために、必ず『真・善・忍』の原則に基づいて道徳を重視し、心を修練しなければならない。」と明確に示されました。師父が功法を伝授される日々は、いつも学習者と主催者の立場から配慮していたことを自分の目で見ました。いつも慈悲なる父親のようにすべての学習者のことを思われていました。遅れることや時間を延長することがなく、例え時間を延長する必要がある時でも、主催者の意見を伺っておられました。師父は学習者と同じ、普通の食事をし、普通の部屋で泊まっておられました。私は高徳の大法と出会ったことに喜びを感じました。師父こそ私が捜していた明師だと確信しました。それから私は法輪功を修練する道に入りました。 

 一生、忘れられないことは、広州クラスが終えるその日、師父が学習者たちと一緒に記念撮影をされた時のことでした。その日の参加者の大半は都会の方が多かったのです。私1人が農民だったので、コンプレックスが出てきました。撮影で列を作る時に、後へ隠れました。師父は非常に遠く離れておられたが、私の心を見抜いたようです。撮影が終わったあとすぐ自分のそばに歩いてこられて、父親のようにいちばんはじめに握手をしてくれました。慈悲深くて優しくて「あなたは田舎から来たと知っています。法を勉強するために遠いところから…」(次の話はあまりにも嬉しかったので、聞き取れなかったのです。)と話しかけてくれました。師父の手は、ぼかぼかと暖かかったのです。師父の手を握った瞬間、電流のようなものが頭から全身を突き通ったのです。その時、本当に世外のすごい人に出会ったと思いました。師父は本当に非凡でした。私は禅宗を18年間勉強して、灌頂の気持ちよさを体験したことがなかったのです。これで私は師父と大法に対して、もっと信頼になりました。心から明師に出会ったことに喜んでいました。そして、師父の慈悲と親しみやすさに感動させられました。 

 師父のこれなど人を感動させる場面を思い出すたびに、師父との記念撮影を眺めながら、涙が止まりません。師父と大法への確固たる信念で、私は多くの同修とともに、師父に従い、いろいろな困難を乗り越え、今日まで歩んできました。


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/5/8/74134.html