日本明慧


一九九九年四月、五月の陰謀(一)
--ある記者の独自調査から

作者:楚天行

 【明慧ネット2004年5月12日】 五月がまたやってきた。1999年7月20日から全面的に法輪功を迫害し始めてから、五年間が経とうとしている。

 コンピュータを開いて、まず目に入ったのは明慧ネット2004年5月11日の報道である。中国大陸の94の地区の法輪功学習者が師父の誕生日と法輪大法12周年を祝う詩と祝辞であったり、ワシントンDCの法輪功学習者が第五回世界法輪大法デーを迎えてその活動に関する報道であったり、また、イギリスの法輪功学習者がロンドンのトラファルガー広場で観光客と一緒に法輪大法12周年を祝う活動の報道や、オタワの法輪功学習者が法輪功12周年を祝う活動の報道、関貴敏さんが新しい歌『師恩を謳う』をリリースしたこと、明慧シリーズ『福宝宝の童話集』がもうすぐ出版されること等である。

 調べなければならない資料があって、探しているうちに、しばらく開いてない本の中に色あせたファックスが出てきた。1999年5月と6月に届いたファックスである。この瞬間、私の記憶が再び蘇った。

 これは1999年弾圧が始まる前に大陸から届いた機密ファックスです。

その一、1999年4月25日、江沢民の私信『共産党員の信仰の問題について』(極秘)

その二、1999年4月27日『江沢民主席から政治局常務委員会及びその他の関係者への書簡』の配布について(極秘)

その三、1999年5月10日『法輪功問題に関する通知』(機密)

その四、1999年5月11日『法輪功に関する二つの書類の配布について』

その五、1999年6月13日海外に伝わった『さらに社会の安定を守ることについて』(使用後破棄)



 1999年7月全面的に始まり、そしていまだに続いている「法輪功問題を解決する」という運動は、実は極秘文書を通じて、秘密裏に行われたのである。「法輪功問題を解決する」過程で政府から通達してきた文書の多さとその頻繁さは今までに類を見ないものだった。長く政治運動を経験してきた中国人でさえ驚いた。これらの「国家機密文書」は全部4月25日江沢民が政治局宛に出した手紙「共産党員の信仰の問題について」から始まった。その後、様々な文書が出され、内容もエスカレートし、現在の「法輪功に対して法律に従わなくても良い、法輪功学習者を殴り殺しても責任はない、自殺と言えばよい」というところまで発展した。これは既に警察官の間の常識になっている。

1999年4月の不透明な動き

 1999年4月27日、政府は「中央と各地方政府は法輪功を禁止したことはない」と発表しましたが、実は大量な内部の機密文書が通達され、法輪功学習者が監視、拘留、盗聴、家宅捜査され、さらに暴力を受け、誹謗中傷されることがしばしば起きていた。

 1999年6月14日、政府は、国は法輪功を禁止したことはないという約束を繰り返し、法輪功への誹謗中傷は事実無根なことだと言っていたが、実は法輪功学習者はさらに厳しい脅迫と圧力を受けていた。

 当時、多くの法輪功学習者はこれについて不可解に思い、政府に問い合わせたところ、「政府の談話は国際社会に見せるためのものであり、国内は機密文書にしたがって対処する」と教えられた。

 一ヶ月後、つまり同年7月20日、江沢民の個人の意思に従い、民政部というまったく関係ない部門から、七千万人から一億人の学習者を持つ法輪功を取り締まるという決定が出された。しかも、赤裸々に三ヶ月以内に法輪功を撲滅すると宣言したという(江沢民が1999年に言った話)

1999年5月10日、『法輪功の問題に関する通知』機密、公通字[1997]27号

 これは1999年5月12日公安部が中華人民共和国公安部、中華人民共和国教育部、国家体育総局、中国人民共和国新聞出版署の名義で出した通知である。

 この通知が秘密裏に出されたとき、数千万人の法輪功学習者が陳情の円満解決に喜んでいたので、機密文書の存在についてそれがデマであり、政府が4月27日に発表した「中央と各地方政府は法輪功を禁止したことはない」を信用すべきだと思っていた。

資料によると、当時公安部の中で権力を握っているのは、天津の法輪功学習者が暴力で逮捕殴打された事件の画策者の一人である羅幹である。

迫害陰謀の伏線

 全面的に法輪功を弾圧する目的を達成するために、一部の人がそっと裏側に動きを出し始めた。羅幹は、弾圧命令を下される前に裏側で積極的に動いた連中の一人である。(この動きに積極的に参与したもう一人は、その後成立した「法輪功取締本部」の責任者である李嵐清かどうかは要確認である)

 1996年6月17日、国務院の機関紙『光明日報』が法輪功を批判する社説を発表した。1996年7月24日、中国新聞出版署は全国に法輪功出版物を全面的に禁止する通知を発表した。

 1997年初、公安部は全国で調査を行い、法輪功を邪教にする証拠を探していた。

 1998年7月21日、公安部一局は公政[1998]第555号『法輪功に対して調査を行うことの通知』を発表し、まず罪名を定め、その後調査するという手口で、李洪志先生が虚言と邪説を広め、法輪功を利用して犯罪活動を行う人がいると言い、そして法輪功の内部情況を把握し、法輪功を利用して犯罪活動をする証拠を掴むよう命じた。さらに、各地の公安と政府部門に綿密な調査を行うよう指示した。

 この通知が出された後、全国の多くの地方公安部門は何の証拠もない情況下で違法に煉功点を取り締まり、煉功者を強行に追い散らし、煉功者の家を家宅捜査し、個人の財産を押収したりした。マスコミが報道しないという態度を取っていたため、煉功していない多くの人々はこの異変に気づかなかった。

 これらの秘密裏に行われたことの主要な画策者と執行者も羅幹であった。1999年7月20日全面的な弾圧が始まった後、羅幹は中央で江沢民の弾圧計画を積極的に推し進めた人の一人である。

 1997年初、各地の公安局が十分な調査を行った上、「いかなる問題もなかった」と報告したため、公安部の秘密調査は中止することになった。

国家スポーツ管理局と人民代表大会の一部の幹部による調査結果

 公安部の幾人の妨害活動を止めさせるために、1998年5月国家体育総局は法輪功に対して全面的に調査を行い、法輪功の病気治療と健康増進の有効率が97.9%に達していると結論付けた。10月20日、国家体育総局は煉功者が集中している長春とハルピンに調査団を派遣し、調査団の団長は「法輪功の効果は非常に素晴らしい。社会の安定と精神文明の建設に著しい効果がある。これを評価すべきである」と述べた。また、大連と北京で行われた法輪功の効果に対する調査も国家体育総局の結論を支持する結果を提出した。

 1998年7月21日公安部一局の調査が始まってから、1998年下半期以後、喬石を始めとする全国人民代表大会から引退した元幹部は民衆からの手紙で公安の法輪功の学習者に対する不法な扱いを知り、法輪功について詳しく調査し、「法輪功は国民に百利があり、一害なし」との結論に至り、年末に江沢民を始めとする政治常務委員会に調査報告を提出した。

 しかし、上述の1999年5月10日付の機密文書は、「法輪功の活動に対して各部門は細心の注意を払い、有効な対策を講じ、煉功の名の下で社会秩序をかく乱し、社会の安定を乱し、人々の健康を損なうことと他の違法な犯罪活動を防ぐべきである」と述べ、法輪功に罪を定めようとする気持ちの強さを窺えることができる。このことから、憲法、法律と国家体制は江沢民の心の中でまったく意味のないことだと分かる。

でたらめな機密ファイル——公通字「1999」27号

 公通字[1997]27号文書は合わせて810部が印刷された。保存用の3部以外、全部公安部事務局経由で各省、自治区、直轄市の公安庁、公安局、党委員会教育部門、教育委員会、体育委員会、新聞出版局、中央政府弁公庁、国務院弁公庁、中央政治法律委員会、民政部、国家工商行政管理局、国家宗教事務局、国務院法制弁公室、教育部、国家体育総局、新聞出版署、公安部党委員会などの機関に通達し、多くの人々がこのことに不安を感じ、社会の安定に悪影響を及ぼした。

 この文書は冒頭で、「4月25日一部の法輪功学習者は中南海付近での不法集会は中央政府、国務院及び付近の市民の正常な生活に影響した」と述べた。これらの文書は江沢民4月25日政治局あての私信を広めるためのものである。この手紙の中で、「誰も知らない間、共産党と国家権力の中枢である中南海に一万あまりの人が集まり、中南海を丸一日取り囲んだ。その規律の厳しさ、情報伝達の速さは類の見ないものである」と書かれていた。

 この数年来、陳情に参加した法輪功学習者は情報の封鎖を突破し、明慧ネットで当時の情況を証言した。これらの証言の中で、皆同じことを言及した。「市民を妨害しないように、歩道を空けていた。トイレを使わないように、一日お水を飲まなかった。政府側との会談の結果を静かに待っているとき、本を読む人もいれば、煉功している人もいた。皆とても静かであり、子供もおとなしかった」と言う。この陳情には参加した人が多く、多くの市民も真相を知っているため、政府の文書は秘密裏に通達されるしかなかった。

 同時に、この機密文書は、「既に禁止された法輪功の書籍は引き続き押収すべきであり、既に公に出版されたが、また押収の決まった法輪功と音声資料に対して直ちに審査すべきである」と述べた。ここから、法輪功に対する弾圧は1996年に既に公式に決まっていたということが分かる。

 文書の中には、「海外の反中勢力の参与を防ぐべきである」と書かれていた。「海外の反中勢力」は一般庶民の言葉で言うと、米帝国主義ということになる。この言葉から海外の勢力に対する江沢民の敵視を赤裸々に表した。しかし、江沢民はいつも人の前で英語力を見せびらかし、直接クリントンに法輪功を誹謗中傷する小冊子を渡した。また、自分の子供をアメリカに移住させ、アメリカの記者に取材されることを最大の栄光だと思っているのだ。

 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/5/12/74477.html