日本明慧


私が身をもって体験したことが、師父はお金目当てではないことを証明している

 文/广西大法弟子 

 【明慧ネット2004年5月15日】宣伝の影響、さらに社会全体の風潮の影響を受けている人たちは、法輪功はお金目当てであり、師父にはあんなにたくさんの弟子がいるので、絶対にかなりの利益をあげているはずだと思っています。しかし、実は違います。今から、私が身をもって体験したことでみなさんに真相を分かってもらいたいと思います!

 私は1997年から法輪大法を修煉し始めました。私は広西人で、私の親戚の一人が大法のことを私に教えてくれました。私は今まで一度も師父に会ったことがありません。私は師父の《転法輪》や他の関係する本を通して法を学びました。それから私はいっしょに煉功をしました。私はいままで一銭の煉功の費用も払ったことがありません。

 私がまだ煉功を始めたばかりのころのことです。ある朝、私は輔導站に煉功しに行きました。輔動員がカセットデッキを持っているのを見ました。屋外なので、充電電池を使っていました。私は「あの電池はきっとお金がかかる。いったい誰が買うのだろう。修煉者がお金を出し合って買うのだろうか、煉功をする人はみな電池の費用を払わなければいけないのだろうか。」と、心の中で思いました。私は情況がよく分からなかったので、知り合いの修煉者に尋ねました。その修煉者ははっきりと、「いいえ、いりませんよ。お金はいりません。師父はボランティアで功を教えているのであり、修煉者が法を伝えるときもこうしなくてはなりません。あのカセットデッキは熱心な輔導員が持ってきてくれたのです。私たちは費用を払わなくてもいいのです。」と教えてくれました。その後、煉功をするにつれて、大法に対する理解も深まっていき、大法はお金を払わなくてもいいと分かりました。

 私たちはときどき、体験交流会を開いたり、師父の海外での説法を聞いたりする活動をします。使用する場所はすべて修煉者が自分たちで連絡を取って確保した場所です。あるときは学校の教室を使い、あるときは工場の中の比較的大きい事務室を使い、またあるときは遊園地を使います。教師をしている修煉者や、工場で働いている修煉者がいて、彼らが人を知っているので、責任者に場所を提供してくれるよう頼むことができるというわけです。また、使用している音の設備は修煉者が家から持ってきたものです。他の修煉者はただ参加すればよいということで、何の費用も払う必要はありません。大法弟子でない通りがかりの人も無料で入場できるのです。

 法を学ぶ過程で、師父は一銭のお金も私たちから集めたことはありません。法を学ぶのに必要な本を買うだけでよいのです。本の費用は修煉者が負担しますが、多くはありません。本の価格は本に表示されたとおりです。本を買うだけの経済能力のない貧困な地域に対しては、師父は《手移しの経文の処理》の文中で“大法を学ぶ人はますます多くなり、一週間で2倍に増えるほどの勢いです。出版部門の出版不足のため、本が買えない地域や農村があります。手写しの大法の本の処理について私に尋ねてくる人がいます。みなさんにお答えしましょう。今の間だけは、法を学ぶ時の手写しの《転法輪》や他の経文を、農村に法を伝えにいく人が持っていってそこのひとにあげ、彼らの負担を軽くすることができます。だから、文化のレベルの高くない人でも分かりやすいように、手写しの本の字が丁寧であることが要求されます。さらに、手写しの本は印刷された本と同様に法の威力があります。”

 私だけでなく、私の知っているすべての同修たちも同じようにお金を払っていません。私の身をもっての体験から分かるように、師父はお金目当てではなく、完全に他人だけのためにこの洪大で美しい大法を伝え、広大な人々に良いことをもたらしているのです。テレビで報道されている、師父はお金目当てであるということはまったくのうそです。

 他の一面から言うと、たとえ師父の収入が全国最低ではないにしても、それによって嘘をでっち上げられて被害を受けるべきではありません。そうでなければ、中国はこの問題において法律を破っていることになります。法律は事実を重んじるべきです。そうでなければ、中国の、“かなりの利益をあげているに違いない”と言われているすべての人たちは、私たちと同じように“お金目当て”のレッテルを貼られ、同じような非法な待遇を受けるのでしょうか。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/15/74700.html