日本明慧


一九九九年四月、五月の陰謀(四)
                    --ある記者の独自調査から

 作者:楚天行

 【明慧ネット2004年5月15日】

 (前文につづく)

 年寄りの李其華さんの物語
1999年7月弾圧が始まる前に、北京市豊台区75号院の法輪功煉功場には李其華という年配の元紅軍の幹部がいた。この老人は以前『原則は科学技術の出発点ではなく、科学には更なる探索および実践が必要である』をテーマとした文章を書いた。中では自分の修煉の経験および認識について述べられていたが、その後江沢民の手中に届けられた。

 李其華さんは80過ぎの経験豊富な紅軍の幹部で、解放軍301医院の院長を務め、また著名な医学エキスパートでもあった。彼は1993年から法輪功を修煉するようになり、その起因は妻の長年にわたる重病であった。自分は医院の院長として最高の医療待遇を与えられているものの、その病には全く手を出せなかった。しかし妻が法輪功を修煉してまもなく長年の病気が治ってしまった。彼はこれを見て大法の不思議さにひかれて、李洪志先生の講法に出席し、法輪功こそまさに最高の科学であると深く実感した。伝えられたところによると江沢民が4月25日の事件に対して非常に怒った原因のひとつとして、彼が防弾自動車でひそかに巡視をしていたときに、陳情に訪れる法輪功学習者たちの中には軍服を着た軍人が混ざっているのをその目で見たことからなると言われている。それから彼は政治局および軍委に数通の手紙を出し、それから数回にわたる談話を経てから法輪功を徹底的に調査することを決意した。彼は特に軍部隊の三人の名前を点呼し警告したが、その中の一人目が最高の身分にある李其華さんであった。それからこの80歳過ぎの老人が圧力を受けるようになり、組織の者が毎日彼を訪れて談話を交わし、検討を書きそして修煉を放棄するように強いられた。

 江沢民がはばかりなく法輪功を弾圧し始める直前に、中央文書の伝達によって広がった李其華さんの“検討”が群衆の中では非常に大きい影響がもたされた。ではその“検討”はいかにして出されたのか? それは党組織が江沢民の下された意思に沿って行なった李其華さんとの会話における記録であった。“組織”の人は疲労戦術を取り、毎日絶えず彼を訪れ、その記録手稿にサインするように求めた。彼は最初から頑固として拒否し、その記録にあるたくさんの会話文は彼の本意ではないと指摘した。しかし毎日人がやってきて、毎日苦しめられて、老人は疲れきってどうしようもなかった。それから口々に:サインしろよ、サインさえすればすむことだら、お前も休めるし、俺たちも休むことができるから、とせがまれて、この80過ぎの老人はやむなくサインした。しかし事実上流された“検討”文章は実際当時サインした記録とは大きな差異があった。最初の段落は他人が代わって書かれたもので、李其華さん本人はこのことについて全く知らなかった。

 しかしながら、サインした後も老人は休むことを許されなかった。以前と同前に毎日人に尋ねられて会話を強いられた。かつ彼の一切の行動は“組織”に派遣された三人の人に厳密に監視されるようになった。自宅の階段を下りてはならないし、電話に出ることはできず外界と完全に絶たれた。それ以降の伝聞によると、三人の監視役の一人で、老人に代わって“検討”の初段落を書いた人は、ある日寝てからそれ以来覚めることなく急死した。

 李其華さんが『原則は科学技術の出発点ではなく、科学には更なる探索および実践が必要である』の文章の中の最初の部分の自己紹介によると:

 “私は李其華です、男性、1918年明暦6月6日に湖北省紅安県高橋郷の叶家田村のある貧しい農家に生まれました。私は1928人に地元のソビエト革命活動に参加し、1931年に紅軍に従軍し、医院で勤務兵を務めていました。1934年に第25軍の長征で峡北に着き、1936年に入党しました。1937年8月に紅軍が八路軍、新四軍へと改編されてから、私は八路軍三四四旅軍医処司薬、医師助手、医師、そして二十三団衛生隊長などに任命されました。解放戦争の期間において、東北民主聯軍の総衛生部双城兵駅医院の院長、師、軍の衛生部長などに任命されました。ベトナム戦争が開戦されてから、志願軍後勤部第一分部医管処処長、第三十八軍後勤部副部長兼衛生部長を務めました。1953年に第一軍医大学に転任され、1959年に卒業しました。それ以降では後勤学院衛勤系主任、第四軍医大学副校長、政委、第二軍医大学校長、総後衛生部政委、そして解放軍総医院長に任命されました。すばらしい手柄を立てたことや、数回にわたって賞を受賞し、1984年に退職した。1993年から法輪功を修煉し始めるようになり、李洪志先生の講法伝功学習クラスに二回参加しました。”

 “そのため、たくさんの人がなぜ私が法輪功を修煉するのか分かりませんでした。特に私を熟知していた古い同僚たち、および古い戦友たち、さらに親戚友人たちも理解してくれませんでした。彼らは私のような六、七十年の軍人生涯のような古い共産党員が、なぜこんなに年をとってから神仏を信じるようになったのかどうしても理解できなかったようです。特に一生に渡って医療関係の仕事についてきたインテリ階層の者が、まさか“修煉”の道に入るとは思いもよらなかったようです。彼らは非常に不思議がっていました。これに対して、私は自分の身をもって経験した諸経歴を説明に加えながら、理解に苦しむ人たちに説明します。”

 李其華さんの文章は以下の三部分に分けられる:

一、法輪功は病気の治療はしないが、私の糟糠の妻の長年の病気を癒してくれ、私に修煉の道を歩むようになった。
二、マルクス・レーニン主義を信じてから法輪功を信じることはできないのか
1、マルクス・レーニン主義は人類社会科学においてもひとつの重要な部分をなしている
2、“迷信”とはいかなるものなのかをはっきりしなければならない
3、法輪功ははたして宗教なのか?
4、法輪功は仏を信じる、仏を修めることは“迷信”なのか?
三、法輪功は人の心に重心を置き、“二つの文明の建設”に大いに有益である

 李其華さんは文章の終結の部分で「私が人生をかけて追い求めてきた、探索し、一生のうちにたくさんの重大な問題を考え、人生観、世界観の問題、それから医学生命科学の問題、社会科学の問題などが皆、『転法輪』の一冊の本の中ですべてその答えを見つけ出すことができました。それに私が法を得てから、一度たりとも動揺したことはありませんでした。というのは私の思想および心境がある大きく昇華を高めたためだと言えます。実は私だけがこのようになったのではなく、私の知る限りにおいて、私の所在する北京老年学法組の中で、平均年齢70歳、中には80歳以上の者が何名もいました。党に従事する経験も数十年を数えます。たくさんの人は“老革命”、“老幹部”、“老科学家”、“老教授”と呼ばれた高い地位にある指導者および知識階級ばかりでした。〔なお、この場合に用いる“老”とは経験、年齢などの諸方面において豊富である意味〕この人たちもみな盲目に飛び込んだわけではなく、頭脳においても簡単に騙されるようなものでもありません。みな真剣に考えてから、法輪功を修煉する道に入ったのです。彼らは私と同じように、古希の年に初めて李洪志先生の大法に出会えることができ、本当に幸運に恵まれ、縁に結ばれた貴重な機会だと言わざるを得ません。と同時にみなそれぞれに願い事があり、それはわれわれの古い戦友、古い同僚、古い指導者たち、そしてわれわれの中年代、青年、および少年の年齢層のそれぞれが常人の“硬化された観念”、“固有の観念”を捨て、さまざまな障碍を排除し、気持ちを引き締めて静めた心で『転法輪』を読み、法輪功を修煉してみたり、それから自分で私達のような老年者の言ったことが多少とも道理をわきまえているかどうか、そして大法がわれわれの精神文明の建設にはたして有益であるかどうかをしっかり考えてほしい。」と誠意を込めた言葉が並べられていた。

 たしかに、この80過ぎの古い紅軍の軍人が、彼ら夫婦二人が何十年と解放軍301総医院の看護を受けながらも常に病に苦しめられた。しかし法輪功を修煉してからまもなく病気は“治療を受けてないのに、自ら治った”、“五年間に渡って薬、および医院と関わらなくなった”、このような鉄の事実が、江沢民が“理解し難い、受け入れ難い”、そして主観的な唯心的な“それは可能だろうか?”ということで抹消することができるのだろうか?

 信仰の問題が迫害の直接の口実となった

 山東省長の呉官正が江沢民の弾圧を推進するために発布された『共産党員の根本的な信仰問題について』をテーマとする江沢民の手紙に配合するため、手紙の中に李其華さんを批判の典型とみなし、それをもってどうして共産党員が法輪功と相容れないのかを陳述した。江沢民は1999年4月に『共産党員の根本的な信仰問題について』の中で“この古い同志がマルクス・レーニン主義を信じることは法輪功を信じることと矛盾しないといっているが、矛盾しないことなどあろうか? マルクス・レーニン主義は無神論を主張し、唯物主義を堅持するのに対し、法輪功は有神論、唯心主義を主張している、世界観が全く両立しているのに、混同して調和することができるものか?”と述べられた。—神の存在を信じたからといって弾圧され、基本的な生存権を剥奪されるのか? 中国はいにしえより仏、タオを信じてきた社会であり、中国五千年の文明の中における修煉文化は否認されることのできない存在、宝庫である。ただ赤の共産党がこのような赤の専制下にここ五十年で初めて“無神論”を宣伝するようになっただけのことで、いまや全世界70億にも上る人口の大半が未だ神の存在を信じている。なぜ中国で神を信じるだけで共産党の手で“その名誉を腐らせ、その経済を遮断し、その肉体を滅ぼされる”〔2〕のだろうか?

 江沢民は上述の手紙の中でまた“われわれが法輪功のこの事件を掴んで離さないのは、その中に反映される状況は共産党員の根本的な信仰の問題に関わっているからであり、全国の人民たちが一致団結し努力する根本的な思想の基点に問題があり、そしてわれわれ党および国家の前途および命運に関わる大問題からである。”—神を信じるから党や国の生存が危ういという、なんと命がけな姿勢だろう。まさか世界中の先進国はみな無神論であるゆえに発展してきたのだとでも言うのか? 中国のここ五十年に絶えることのない政治運動、それが毎回起きるたびに国家の前途を滅ぼすような民族の大惨事、それはみな無神論者の作り出した災難ではないか? まさか江沢民が九九年四月からもうすでに正常人の理性を失っていたのか?!

 私は昔にネットからダウンロードで保存したある詩歌を思い出した。今日になって再びこの『中国で、ある人が狂った』の詩歌を読んでみると、また格別な味がするものだ—

あいつが狂ったとき
憲法および諸法律をトイレット・ペーパーのように揉みつぶし
目には凶悪な光が走り、手に刀を持って振るい
億万の善良を頑強な敵だとみなし
中国で、あいつが最高の権力を簒奪し
一連の犯罪指令状が打ち出され
十万の無辜な身が監獄に陥り
どれだけの冷静な叡知の頭脳が
精神病院での“転化”によって痴呆となり
どれだけの健全で新鮮な生命が
一万ボルトの電圧棒に“枯れ薪”までに虐げられ
あいつは狂った、メディアもただあいつに従い
愚歌を唱え、愚話を言う
あいつは持った手中の権力と国有巨資を利用し
人を雇い動力を与え、ほらを吹かせ
あいつはただ気立てが小さいため狂った
あいつの狂った三年もの日々の中
六月に、時に雪花が舞い
厳冬に、時に低雷が鳴る

(つづき)

〔2〕これは1999年7月20日に弾圧が公にされてから、江沢民政権が法輪功を消滅させるために立てた著名な“口頭文書”である。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/15/74567.html