日本明慧


師父へのエジプトとモーリシャスからの特別なご挨拶(上)
──全世界にあまねく伝わる大法

文/麗莎(アメリカ・ウィスコンシン)

 【明慧ネット2004年5月27日】

 師父、こんにちは!

 みなさん、こんにちは!

 一月に私は旅行に出かける機会がありました。私は自分のために小さな会社を作りたいと思い、いくつかの製品を買い、そのついでにそこにいる友人を訪ねました。しかし、大法のことを聞いたり、これだけ素晴らしい功法は見たことがないという、そんな所に法輪大法を紹介したい、そう心の中では思っていたのです。師父は2003年アトランタ大法会で「あなたたちは真相を説明して世間の人々を救い済度することを第一位にすべきです」と教えて下さいました。

 今回の旅行は、私自身、自ら考えて決めたことです。いったん決めますと旅行の目的地が次から次へと出てきました。師父はすでにすべてを按配して下さっていたのです。パリは私の第一の旅先でした。そこでは、彼らの中国の新年祝賀活動をお手伝いすることが出来ます。エジプト、タンザニア、ザンジバルなど、これらの土地はすべて私の旅の目的地の一部となりました。そして南米法会、最後はペルーです。私は一人で旅立ちました。今回の私の旅の経験をみなさんと共に共有し、旅の途中で出会った一部の特殊な人々についてご紹介したいと思います。まず、私は目的地の国家指導者に一部の資料を用意させていただきました(パリ、アルゼンチンとペルーを除きます)。同時に、私は彼らに電子メールを送らせていただきました。そして、ある同修の助けで沢山の真相資料を用意することが出来たのです。中にはフランス語、アラビア語、英語、そして中国語のものもありました。私はまた南米でいくつかのスペイン語の資料を手に入れることもできました。私はリュックサックいっぱいに資料を詰め、1月20日、未知の旅へと旅立ったのです。


 パリ

 私がパリに着いた時は、気温はまだとても低かったのです。外国語はようやく「こんにちは」「水」「手洗い」などの簡単な単語を話せるくらいのものでした。私は一人のレストラン支配人とバーで接待をしている男性に出会いました。彼らは私を色々と助けてくれました。彼らが法輪功を理解してからというもの、あのバーで接待をしていた男性は私に付き添い、私が行く予定をしていた地方の活動に参加してくれたのです。彼はまた、私と一緒に真相資料を配布してくれました。彼は功法を学び、一冊の『轉法輪』を受け取りました。

 パレードの際は、町の人々は約1.5メートル幅に並び、うれしそうに手を伸ばしては真相資料を受け取っていました。そして、人々は再び私たちを囲み、さらに法輪功について知りたがっていました。夜、学習者たちはパリのエッフェル塔の下で蝋燭を灯し、中国語で真善忍の三文字を浮かび上がらせました。そして、一部の中国人と多くの観光客が真相資料を受け取ってゆきました。 

 最後の日、ヴァーシ行きの列車内で何人かのスーツ姿の中国人男性が私のリュックサックに付いている法輪マークを見て、私に法輪功を修煉しているのかと険しい表情で質問してきました。私は当然、「そうです」と彼らに伝えました。そして、彼らに「法輪功はとても素晴らしいですよ」と教えたのです。さらに彼らに真相資料を渡しましたが、彼らは受け取らず、よけて行ってしまいました。私はただ笑顔で彼らに「あなたたちは一体何を失っているのかを知らないのです」と言いました。私がヴァーシに到着した時、もともと迎えに来る予定だった同修が来ていませんでした。加えて大雪も降り出しました。私はお城の周りを当てもなく歩き回りました。その時、再び、身を切り刻むような寒風の中、震えている例の中国人男性らを見かけたのです。彼らは私を見てちょっとうなずき、私に微笑んでくれました。その時、私は傘を持っていたので彼らに私の傘に入るよう合図をしましたが、彼らは頭を振って要らないと返事をしたのです。しかし、ずっと私に笑顔を見せてくれていました。私が彼らに手を振って別れを告げると、彼らは吹雪をさえぎる場所へ行き、私に手を振ってくれました。身に染みる、いてつく大雪の日でしたが、私にとってはこの地での最も美しい一日だったのです。

 エジプト

 私がエジプト空港に到着した時、一人の政府部門の旅行スタッフが私のところへ歩み寄り、「一人で旅をしているのですか?」と尋ねました。彼は私にいくつかの旅行手帳をくれました。その後の何日間か、私には個人の運転手さんとガイドさん一人がついていました。私は旅行代理人にすべてのアラブ文の真相資料を配りました。彼らは「エジプトのどこに行けば煉功場を見つけられますか?」と私に聞きました。私は「もしあなたたちが学びたいのなら、インターネット上でも学ぶことができますよ」と教えました。彼らは口をそろえて「それはとても良いですね」と言いました。多くの人が、本とビデオを買いたく思っていました。

 翌日、あの運転手さんが法輪功に関するすべての事情を調べてくれ、自ら私を手伝い、数百枚の真相資料を配布してくれました。彼はまた、真相を知りたがっている現地の人々にアラビア語で紹介してくれたのです。彼は個人のガイドさんで、エジプトに分布している異なる旅行会社で働いていました。ある日、彼は私を迎えに来たのち、すべての旅行会社と彼のすべてのガイドの友人に真相資料を配りました。その中には中国語版、フランス語版と英語版がありました。

 特に彼は、各地方、そしてガイドさんに「必ずエジプトに来る中国からの観光客に法輪功は素晴らしいと伝えるように」と教えていました。そして彼らに資料も手渡したのです。彼一人だけで数百枚以上の真相資料を配布したわけです。砂漠にいる時、私たちは何人かのラバの牧人に出会いました。私たちは彼らに真相資料を配りました。そして、彼らの部落長はこう言ったのです。「私達は毎夜、50?60人くらいのラバの牧人を集めています。今夜、私たちはこれをすべての人に伝えることができます。私たちはこの法がとても良いものだと分かりました」

 まるでエジプト全体に伝わるかのように……もしあなたが一人に説明すると、彼は10人20人の知り合いに説明するのですが……「私は私のすべての知り合いに伝えます!」と、彼らはこう言うのです。そして彼らは、知り合いに順々に伝えるのです! 多くの店の支配人が、窓に真相資料を貼りました。ある日の夜、ルクソールのとある教会でガイドさんの一人が定刻に祈祷をしていました。その時間はちょうど発正念の時間でもあったので、私は彼に簡単に発正念を紹介しました。そこで私たち二人は、肩を並べ各自の特殊な修煉に入りました。一部の観光客が私たちの写真を撮りました。私たちの発正念が終ったのち、彼は「私は中国法輪功修練者のために祈ります」と言ってくれたのです。

 エジプトを離れる前日、私たちは一軒のお店を訪れ、普段と同様に真相資料を配布していました。店長は私を見ると、中国の事情を尋ねました。私は彼に江沢民と彼が犯したその他のことについて話しました。彼はとても驚き、また激怒しました。彼は「この悪漢は明日、エジプトに来ますよ!」と言いました。私はまったく彼の言っていることを信じることができませんでした。「本当ですか?」と聞きますと、彼は大声で「確実です!」と言ったのです。部屋にいるすべの人が、魔の江沢民がやって来るということを知っていました。なぜならば、彼らはテレビであの醜悪な顔を見たことがあるからです。彼らは「自分たちに何ができるか」を知りたがっていました。私は「他の人にこの悪漢のことを知らせることです」と言いました。彼らは「モスクのすべての人にこの殺人犯が来ることを伝えます」と言いました。彼らは婦人と老人を殺害したこの悪漢が彼らの国に来ることを望んでいませんでした。その中のガイドの一人は「法輪大法は素晴らしい」という看板を作り、高く捧げ挙げると言ったのです!

 のちに私たちはカイロへ行き、商店街で数百枚を超える真相資料を急いで配りました。私がちょうどそこを離れようとしている時、一人のガイドさんを見かけました。見た目にも彼は他の人とは違いました。高い身長、強健な筋肉、赤っぽい色の皮膚を持っていたのです。彼のまつげはとても長く、目は大きく広がっていたのです。見た目にも彼はまるで「象形文字」のようでした。彼は次のように言ったのです。「私の人種フェロニアンは次第に消滅しつつあります。最後にして真のエジプトの子孫なのです。あなたの師父によろしくお伝え下さい。あなたがエジプトまでやって来てくださったことに、とても感謝しておりますと」

 タンザニア

 私の家のある友人は、タンザニアのアルーシャのとある旅行会社で働いていますが、ここ数年間、彼女はずっと私たちに彼女らの所に遊びに来るよう望んでいました。私がこれだけ勇敢に、思い切りよくこのような旅を決めたことについて、とても喜んでくれていたのです。彼女らは、私のために二つの旅行会社を使って予約をしてくれました。彼女は法輪功にとても興味があったのです。しかし、彼女は両親の一人が病気でアメリカへ行かねばならなかったのです。私は彼女に本とビデオテープを送ってあげると伝えました。セレンゲティ国立公園に行く途中、運転手兼ガイドさんは、私が『轉法輪』を読み、煉功しているのを見ていました。彼は私に「運転している間、『轉法輪』を読んでくれませんか?」と尋ねたのです。そこで私はすぐ、彼のために『轉法輪』を読み上げました。彼はたびたび微笑んだり、うなずいたりしながら私が読んだ段落について繰り返し、こう言うのです。「本当です、正しくその通りです。まったく正しいことですよ!」と。私たちは、オランダの新婚旅行中のご夫妻と一緒に旅行しました。彼らはかつて法輪功に関する報道を聞いたことがあるそうで、私に多くの質問をしました。旅行が終わる頃、彼らは大法資料を受け取りました。彼らは、敬虔なキリスト教信者ではありましたが、最後に「法輪功はとても素晴らしいですね」と認めました。ある日、私たちはマサイという村落に泊まりました。村民たちは、はじめて法輪大法の実演を見ました。多くの観光客は夜、私たちの宿に私たちが煉功しているのを見に来ました。そして真相資料を受け取ったのです。

 アルーシャに帰って来きてのこと、とある公園では私たちが煉功を終えると、多くの人が私たちを囲むようにして資料を受け取りました。私たちは数百枚の真相資料を配りました。また、幸運にもスワヒリ語ができる人に助けられ、人々に向け、通訳をしてもらったのです。すべての人がより多くの資料を欲しがり、しかも、一部の人たちは功法の動作まで習ったのです。私たちはスワヒリ語の真相資料を持っていなかったため、多少の不便もありました。私はガイドさんに私の気持ちを伝えました。翌日、私が旅行会社に戻って来てみますと、あのガイドさんが私にびっくりするほどの英文の真相資料を見せてくれました。またスワヒリ語に訳したものもあったのです。私たちはたいそう感激しました!

 私は、このような広大にして古い文化を有する地方にあって、これだけ多くのやるべきのことがあり、私たちを必要としている、と感じながらもアフリカを離れたのです。この新しい真相資料があることで、より多くの人に、より分かりやすく真相を理解してもらえることでしょう。

 ザンジバル島国はタンザニア海岸に位置している香料の島です。歴史上かつて奴隷を売り、運び出す要路として使われていたという悲惨な歴史を持っています。そこの大多数の人はアフリカ人で、スワヒリ語を使っています。また多くはムスリムの信者でした。私が泊まっていた旅館の一人の召使の人は、自ら積極的に私を手伝い、資料を配ってくれました。彼は「ザンジバルの人はまさにこの大法を必要としている」と思ったのです。私たちはストーンタウンの町を歩きながら日が暮れるまで資料を配布しました。

 女性が一人で夜の町に出掛けるということは、ザンジバルでは決して安全なことではありませんでしたが、この召使の男性のお陰で大法は、海辺の料理大会に参加した人々に伝わっていったのです。ある観光でにぎわうビーチでは、人々は真相資料を受け取り、功法の実演も見てゆきました。短いふれあいの場でしたが、私たちはずっとこの小さな町で数百枚の真相資料を配布していました。多くの人が、これだけ素晴らしい功法に出会ったことを大変嬉しく思っていたのです。

 モーリシャス

 モーリシャスはマダガスカル島海岸に位置している小さな島で、一つの悲惨な奴隷の歴史を持っています。この国の民族はインド人を含め、中国人、アフリカ人、イギリス人、フランスの末裔からなっています。人々は主としてフランス語のクレオール(編集部注:異なる言語が接触することで生まれた新しい言語をその子孫が整理・体系化していった言語)を使っています。私がモーリシャスに着く前に、同修(編集部注:法輪功を共に学ぶ仲間)から連絡がありました。私たちに功を教えてもらいたい、『轉法輪』を購入したいという人がいる、とのことでした。私はその人に「すぐにそちらに到着いたします」とお教えしました。

 モーリシャスに到着した時には、すでに日も落ち、泊まるところが見付かりませんでした。タクシーの運転手さんは、島の他の地域に行かないかと提案しつつ、そこがすべての観光客が最も好んでいる場所だと告げたのです。私はとても疲れていて、「聞いている限りでは悪くないと思います」と答えました。翌日、私は真相資料を配りはじめながら、同時に周囲の環境を調べました。一番最初に真相資料を受け取った人の中には観光客向けのブティックで働いている人がいました。彼は資料を見ると、一緒に食事をしないかと私を彼の家に誘い、家族と会わせてくれました。彼のお父さんは資料とVCD(編集部注:CDに映像を記録した簡易版DVDのようなメディア)を見て驚愕し、私に座りなさいと言いました。彼は私に「私はこれまでずっと佛家の法門を学びたいと思っていました。真の師父がおわすならば、法を乱す勇気のある者はいません。功法もあるというなら、煉功すべきですね……このような機会がこの家に訪れるとは誰が思ったことでしょう? これはまさに奇跡以外の何ものでもありません!」と感激しながら語っていたのです。

 同日、彼は私に七年間患っていた皮膚病が治りはじめていることを話してくれました。その後、私たちは本を買いたいと連絡があった方に連絡を取り、時間と場所を決め、一緒に煉功する約束をしました。その日は雨が降りました。私たちはその店で煉功をしたのです。大勢の人が資料を受け取り、私たちの煉功の様子を見ていました。私たちはそこで何日間か、数百枚の資料を配っていました。

 私たちは大法の多くの面について説明し、また煉功と法を得る重要性に関しても説明したのです。モーリシャスに初の煉功場ができました。その後、ある多忙な日曜日の朝、私たちは海辺で煉功をしました。彼らは写真まで撮り、非常に誇りに思っていました。

 それから、モーリシャス唯一のテレビ局から人が訪れ、中国警察の法輪功に対する残虐な体刑について手短に集材をし、現地のテレビで放送をしました。私たちも現地の新聞社レ・モーリシャンと、レ・エクスプレス の2社と連絡を取りました(私がそこを離れて一週間後、レ・モーリシャンが彼らの取材文を発表しました)。

 私たちがそこを離れる時、あのお父さんは私を見てこう話されました。「師父にお伝え下さい、私たちは師父が私たちを救い済度に来てくださったことをとても嬉しく思っています……師父に会われましたらこのことをよろしくお伝え下さい」と。

 アルゼンチン

 ブエノスアイレスは、南米で法会がはじめて開かれた地方です。世界各地の学習者がこの法会に参加しました。法会の期間中、公園では多くの活動とパレードが行われました。私たちは数千枚以上の真相資料を配布し、また功法を実演しました。私たちは中国領事館の前に集まり、私と、ドイツからやって来た一名の学習者が中に入り、真相の説明をおこないました。私たちは領事と会見の約束をし、面会を果たしたのです。私たちは彼女に私たちの友人の李祥春さんが中国に拘禁されていることを伝えると同時に、法輪功に対する中国の状況も説明しました。私たちは彼女に法輪功の修練と法輪功の素晴らしさについて話しました。彼女は真剣に受け入れ、とても関心を持っているようでした。しかも、彼女は私たちに外交部の電話番号を教え、電話するよう言いました。最後に、彼女は私たちのすべての資料を受け入れ、私たちと握手を交わし、私たちの好運を祈ります、と励ましてくれたのです。

 その時の法会は特別なものでした。南米の学習者たちは心を開き、互いに大法と正法に関する素晴らしい交流をおこない、とても良い経験と悟りを得ることができたのです。他の国からやって来た大勢の学習者たちも、私たちに大変、深い印象を持ったようです。とても感動的なものでした。私は自分がこのように歴史上、記録に残るような大きなことの小さな一部分となったことを、とても嬉しく思っています。

 大勢の同修は近隣の他の都市へ行きました。例えばコルドバなどです。私はペルーへと旅立ちました。

 ペルー

 ペルーは私の旅の最後の地です。私は飛行機でクスコへと飛び、アンデス山脈の中心に位置する小さな都市へとやって来たのです。私の友達の一人は、常に精神的探求のためこの地を訪れていて、ここはどんなに良いところかといったことについて教えてくれていたのです。私はかえってここは洪法にとても良い場所だと思いました。クスコは、スペイン人からカトリック教の影響を強く受けている地でした。しかもインカ文明の影響も強く受けています。今の私の次元から見ますと、この地方は大法の訪れをこれ以上待ちきれずにいるように感じられたのです。多くの観光客がここにやって来ては祈祷師を求め、これを崇拝し、エネルギーを得ようとしていたのです。毎日、私は数百の真相資料を配布し、都市周辺の小さなショッピングセンターの広場で煉功をしました。そこには芝生を植えている公園などありませんでした。ですから、それはとてもチャレンジングなことだったのです。警官への真相説明を通じて、私はその場所でも唯一、芝生のある所で煉功できる許可をいただきました。私が煉功している時、村の一人の主婦が連続して3日間、手伝ってくれました。真相資料を配布し、スペイン語で通行人にずっと法輪功に関して説明をしてくれたのです。彼女は「私は、知れば知るほどこの功法が並のものではない、と感じました。私はできるだけあなたをお手伝いいたします」と言ってくださったのです。

 私はマチュピチュに登り、大法に興味を持つ大勢の人に出会いました。私が座禅を組んでいる時、多くの人が真相資料を受け取りました。そこはとても美しい所でした。

 多くの人が「いつクスコにも煉功場ができ、大法の本が買えるようになるか」を知りたがっていました。数百、数千の真相資料を見て、人々は心から大法を受け入れてくれたのです。静かに座禅を組んでいる時、私は山々の周囲にかかる巨大な虹、インカの神が幸せそうに微笑んでいるのを見ることが出来ました。なぜならば、一つの正法がとうとうクスコの地を訪れたからです。

 すべての旅行の中では、少なからぬ妨害もありました。コピー機や真相資料のコピーは決していつも順調とはいきませんでした。多くの地方は貧しく、コンピューターや、ビデオカセットや、ビデオカセットレコーダなどの機械がありませんでした。電源の設定が異なるため、私は音楽のない情況で煉功しなければなりませんでした。私はまた、いつも普通の観光客にならないようにと自分に言い聞かせていました。現れてきたある観念をもって、感覚に任せ、何かを過度に評価しないようにも心掛けました。これは私にとって、とても重要なことでした。師父が私たちに切り開いてくださった最も素晴らしい道を信じています。

 飛行機の中、旅館、タクシーの中、レストラン、どこへ行こうとも、例えばドバイ、ナイロビ、そしてヨハネスブルクなどでは、たった数時間か一日だけの宿泊でしたが、私はずっと真相資料を配り続けていました。師父は以前、どのような地方や国家であっても、もし大法学習者、そして大法がなければ、将来面倒なことがあります、とおっしゃいました。ですから、こうした地区も、とても重要なのです。

 すべての旅行を終えるのに、約二ヶ月近くを要しました。一番信じ難かったことは、私が真相資料を持って行った地で、威徳を築くことを待っていた、あれらの人々のことでした。彼らは、次から次へと私の前にやって来てはこの重要な機会を逃さぬよう資料を受け取り、引き続き前へと歩みだしたのです。彼らは自らの母国に素晴らしい未来をもたらしたわけです。

 最後に私は、私を助け今回のこの旅を成功に導いてくれた同修に、感謝の意を申し上げます。彼らの助けがあったからこそ、私は自分の責任を意識することができ、励まされ、決断することが出来たのです。以上が、私の修煉で体得したことです。不適切なところなどございましたら、是非、慈悲をもってご指摘いただきたくお願いする次第です。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/5/27/75745.html