日本明慧


"法律は正義の道具であり良心の代表である" — 米国第七巡回法院法官への手紙

大陸学習者筆

法官殿

私は中国の市民です。私は前中国国家元首江沢民に対する訴訟に関して筆をとっています。この手紙の目的は、法輪功学習者に対する江沢民の不法で残忍な迫害と大量虐殺政策の被害者として、簡単に私の観点と建議とを表明することにあります。私はあなたがこの訴訟を公平に正しく審理されると確信しております。判事としての責任と正義を全うし、あなたの判決は私達の正義と良心が勝つという信念を強く支持することでしょう。

私の観点は次の通りです。

 1. ある法律に熟知した者が指摘したように、外国の高官に対する米国住民による訴訟で、金銭的賠償を勝ち取る可能性は非常に低いものです。にもかかわらずこの種の訴訟は意味あるものです。何故ならそれは犠牲者にとって一種の心理的、精神的治療作用となるからです。更に重要なことは、それがこの迫害の下に犯された犯罪を咎め、記録することになります。[See William J. Aceves, "Liberalism and International Legal Scholarship, The Pinochet Case and the Move Toward a Universal System of Transnational Law Litigation"(2000) 41 Harvard International Law Journal 129 at 145] 特に指摘すべきことは中国で5年近く持続している、一千人近くの死亡と数十万人の監禁をもたらした大量絶滅のような暴行が今も尚進行中である時、このような訴訟は重大です。

 2. 前国家元首に対する免責権は絶対的ではありません。それは公的任務内の行為にのみ当てはまるものです。つまり彼が彼の任務関係又は公的立場にてとった行為を意味し、任務外で個人的にとった性質の行為には該当しません。

 江氏が彼の任期期間中に大量絶滅罪を犯し、それが彼の権力維持の為にとった手段である事は事実です。しかし、

 (1) 彼は国際法中の強行法 (jus cogens或いはperemptory norm)に違反しました。その激しさと犯罪の規模は国際法秩序の攻撃と見做されるべきであり、彼の犯罪は公務行為として見るべきではありません。従って彼は、免責権を持つ資格がありません。

 (2) 中国憲法と法律は拷問と大量絶滅行為を許しません。故に江氏の拷問と絶滅行為の犯罪は彼の職務範囲を越えたと推論することが出来、そのことは彼の国家元首としての免責権による保護を受ける資格を失わせます。
 (3)米中両国が1984年「拷問禁止協定」に加入して以来、中国は拷問が公務の一部であると主張することは出来ず、彼らは米国が江を裁くことで免責権を主張して反対することは出来ません。この協定の第一条は、「拷問とは、肉体的或いは精神的に激しい痛みや苦しみを意図的に負わす行為を意味する。そのような痛苦が公職にある者又は、その他の正式の権限をもつ者の煽動又は同意或いは黙認により負わされた時・・・」この定義は私的な動機で成された拷問を意味し、もしも公務にある者が行う拷問が公務と,見做され免除の基となるなら、それでは拷問を犯罪と見做し、拷問禁止協定遂行の為の法律を作ることは意味のないことになります。

 これは二つの可能性のみを残すことになります: 被告人が拷問を私的な動機で行ったのなら、公務につく者として免責権を主張することは出来ません。又は被告人が政府の名の下に拷問罪を犯した場合は、彼は免責権を享受し、起訴されることは出来ません。更に外国前国家元首の免責権は、他の外国官員の公務行為としての免責権と一致するべきであります。もしも前国家元首の拷問行為が免責権を享受するなら、他の官員達の拷問行為も免責権を享受することになります。それは事実上「拷問禁止協定」を無効にすることになります。このように、前国家元首の公務任務期間中の拷問行為に対する免責権を承認することは、協定の条文と精神と矛盾します。

 3.2004年3月5日、米国行政部門が2004年1月19日に上訴された免責権と召喚状に異議を唱える文件に応えて、法廷の友として申立書を提出しました。貴国には一種の非常に流行した観点があります。それは、対外関係は行政部門が主導すべきであるという認識です。それで、国家元首の免責権は米国と外国との関係に影響すると、認めます。実際の状況では、貴国裁判所がこのような免責権を処理する時、英国で審理されたピノチェトの一案よりも、行政部門の意見を重要視したがります。自ら国際法を適用して関係する問題を裁決することはしません。(See Curtis A. Bradley and jack L. Goldsmith, "Pinochet and International Human Rights Litigation" (1999) 97 Michigan Law Review 2129 at 2148)

 貴国の善良な法治は、アメリカの法廷のプライドであり、強みであると私は信じます。それは立法と行政部門からの参与と維持を尊重します。貴国の国会両院は、中国の法輪功迫害と咎める決議を通し、行政部門も又迫害に反対しました。貴国の数十名の国会議員は、2003年6月、法廷の友としての申立書にサインし、功沢民に対する訴訟に関し彼らの論点を陳述しました。更にこれらの国会議員は、外国主権免責法の適当な解釈を終始保持しました。(28 U.S.C. 1602 et. Seq) 

 3. 拷問等の国際的人権違反に関わる民事訴訟は、米国において新しいことではありません。以前の例では、人権を犯した外国の元首に免責権を与えるかどうかにおいて、一致しませんでした。国際法又は国際習慣法の規範が直接適用するかどうかは、貴国の法律では不明瞭です。この種の情況は法官殿にとり、自然法に従う良い機会であると私は思います。

 人権は人類文明社会の目標であります。第二次世界大戦以来、人権保護は世界的規模で発展して来ました。しかしその様な発展は現実の苦難と比較して、まだ十分ではありません。世界的に人権を執行することは、人類がまだ達成するべき目標であります。米国は過去においても、現在においても、又未来においても、人権保護の偉大な戦士であると、私は信じます。有名なピノチェト訴訟が、国際人権法の訴訟における普遍性を示した強力な例を提供しました。

 前世界の法輪功学習者達の、江沢民の大量絶滅政策に対する反対は、世界的人権運動の偉大な組成部分となりました。今回この米国における江に対する訴訟と、人権組織や各界の人々からのこの訴訟の支持は、如何なる国も犯してはならない自然法(至上の正義)、の現れであります。歴史は一歩一歩築き上げられます; 良心に従うことが正義を維持します。

 Cherif Bassiouni教授のこのような話があります、"文明は科学的業績や国家の富強の程度によって評価されない; それは人道主義的評価と法に対する尊重で決まる。これは人類に対する世界的挑戦である。これに関し、我々法学専門家は重い責任を負う。何故なら我々の仕事は法律を案出し、制定し、執行することであるから。我々が任務を履行する時、国際法が重要な道具となる。新しい世界秩序が出現するなら、正義が疑いなく重要な要素となる。" [(1998) 4 A11 ER 897 at 927]

 中国における法輪功学習者の真実の情況に関心をもち、その背景と原因をはっきりと認識することが、この件の受理を決定する為に必要であるというのが、私の意見であります。

 以上述べた理由により、法廷がこの訴訟の審理を取り消さず、真実性に基づいて手続きされるよう、恭しくお願い致します。



敬具

2004年6月6日