日本明慧


台湾教師の修煉体験

——失わないものは得られず、得ようとすれば失わなければならぬ

 文/王秀蓮(台南)

 【明慧ネット2004年6月4日】李洪志先生はこのようにおっしゃいました。「この宇宙には、“失わないものは得られず、得ようとすれば失わなければならぬ”という理がありますから、失いたくなくても強制的に失うようにさせられるのです。」

 一般の人は、いつも食べられるなら福であり、世間の美味しいものをすべて食べ尽くすことは人生の1つの楽しみであると思っている。宵越しの金は持たない。だから、人々は思う存分に食べたり、飲んだり、遊んだりする。しかし、これらを極度に楽しんでいるうちに、金銭、感情、健康さらに生命を失って行った。

 大法を得る前に、私もこのように思っていた。金が多ければ多いほどいい、金が多ければ、生活は裕福となり、暮らしを楽しむことができ、これこそ幸せだ。世間の名、利、色、情、欲に深く惑溺して苦痛を感じず、逆にうぬぼれと感じていた。しかし、時間が経つに連れ、体の機能が衰退してしまい、健康に赤信号がつくようになった時に、世間の栄耀栄華は去っていく雲に過ぎない事をはじめて感じた。年を取ったら、病気と苦痛の苦しみを嘗めてから土に戻らなければならない。生、老、病、死は常人が世間で引き受けなければならない自然過程であり、この自然規律から逃げられる者はいない。私は幸いに大法を得てからこそ、人が修煉を通して円満成就でき、六道輪廻の苦しみから逃れられることをはじめて知った。もちろん病気の苦痛からも逃れられる。なぜなら、師父はこのようにおっしゃった。「本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません。」

 法輪大法は宇宙の根本的な特性「真善忍」にしたがって修煉するものである。心性を高めるのは功が伸びる鍵であり、心性の高さは功の高さである。法を得てから私は師父の教戒に照らしながら、自分を修煉者と自覚し、しっかりと法を学び、心性を修煉している。果たして師父のおっしゃった通り、私の周りの環境が変わった。同僚達も私が変わったと言った。私は他人に対してもう文句を言わなくなった。以前なら、わたしは他人の忍耐力や感触を考えずに自分の考えをそのまま口にし、知らないうちにたくさんの業をつくった。現在、何をするにおいても、いつも他人を先に考慮し、家庭でも自己中心的でなくなり、ひたすらに自分の意見を堅持しなくなり、喋るときにも大きい声を出さず、どんなことにおいても他人を先に考えるようになった。すると、家庭生活はより睦まじくなった。学生に対しても、学生の意見に耳を傾けるようになり、学生を包容するようになった。昔ほど気が短くなくなった。仕事をすることも効率的となった。睡眠は減少したが、精神状態が非常にいい。身体の健康状態も大きく改善された。昔から治らなかった頭痛も治った。自分の親身に体験したこととその前後の変化を家族や同僚に語り、法輪功を紹介した。その後たくさんの縁のある人が法輪功を始め、現在、学校でも煉功場所を作った。

 より多くの子供に「真善忍」を修煉する機会を与えるために、私は学校でも児童煉功班をつくった。これは効果が非常に良かった。子供達は煉功するだけでなく、真面目に法を学ぶようになった。修煉後、子供達の心性が高まったし、学業においても、大きく進歩した。ほかの教師も、「これらの子供は法輪功を修煉してから、礼儀が正しくなったし、成績も良くなった」と言った。この褒め言葉を聞いて、本当により多くの人々にこの素晴らしい大法を得てもらいたいと思っている。

 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/6/4/76252.html