日本明慧


悔いなき生命

 文/葫芦島の大法弟子 

 【明慧ネット2004年6月4日】7年の修練の中で、私はますます誠実に、ますます善良に、ますます度量が大きく、ますます明るくなりました。まるで日光で満たされたようです。窓の外を見てみましょう。花が咲いたら鮮やかな花を鑑賞します。花が落ちても、緑の葉を鑑賞することができます。葉が落ちてしまってもかまいません。あの勇壮な枝を見てごらんなさい。まさに冬に対する恐れがないことを表しているでしょう?ただ大法を修煉するだけで、生命は悔いがないものとなりました。

 私はいわゆるとても不運な人で、小さいときから楽しいことがほとんどありませんでした。その頃は比較的貧しかったので、両親ともよく節約していました。だから私の筆箱は友達のよりきれいでなく、鉛筆も友達より多くありませんでした。花柄の服も着たこともなく、カステラやビスケットも食べたことがなく、3分(日本円で約50銭)のアイスキャンデーさえもほとんど買えませんでした。これらはすべて小さい事ですが、実は私はとても気にしていました。大きくなってからも私の仕事は思いどおりにならず、とても疲れて、しかも少ない儲けにしかなりませんでした。苦労する所ほどトラブルが多くて、同僚達は少しばかり早く一日の仕事を終えるために争いあったり、少しばかり仕事をなまけるためにずるいことをしたりしていました。実際に頭から血を流すわけではないですが、しかし私にとっては砲煙が充満しているように感じました。私は何もかも彼女たちに負けていたのですが、しかし私は争わずにはいられませんでした。たぶん苦しみのためであり、あるいは別の理由で、私はふだんは無口で、偏屈な性格で、利己的な個性で、友達がおらず、私の父にさえ好かれませんでした。私は一度、自殺を考えました。生きる勇気がなく、いつも一人で家の中でむせび泣いて、不運を嘆いていました。

 ある日、私は法輪大法に出会いました。法輪大法は強い日光のように、私の心の中の曇りを散らし、人の身体を得難いことと人生の意義とを私にわからせてくれました。私はしだいに気が付きました。私と奪い合いをする人や、生活が砲煙に満ちていることに対して不平をこぼす時、私も決して他の人に譲歩していませんでした。私が他の人の狡猾さと怠惰に対して不平を抱く時、実は私も狡猾な人間でした。世間の人情が薄いことや他の人が私に対してよくないことをしたことに対して不平をこぼした時に、私は人のために真心を差し出したことがあったでしょうか?私の苦痛はすべて自分がもたらしたのではないでしょうか?

 法輪大法を修練することを通じて、私はたくさんの私自身の欠点と不足を見つけ出しました。それ以後汚い仕事や、面倒な仕事を先にするようになりました。法輪大法を修練してから、私は万事においてまず他の人のことを考えるべきであることを知り、他の人の善し悪しを気にかけなくなりました。法輪大法を修練してから、私のたくさんの病気はすべてよくなり、身体が軽くなり、いくら仕事をしても疲れを感じなくなりました。法輪大法を修練してから、友達や同僚はいつも私を褒めるようになりました。まるで生活が日光に満たされたようです。私は法輪大法を修練してから、苦しみに耐えるのはよい事で、享楽はかえってよくないことが分かりました。人は苦しいことや悲しいことに耐えることによって修練することができます。修練することによって生命は誠実になり、善良になり、忍耐強くなり、心が無私で、高尚なものに変わります。先生の慈悲の教えの中で大法の「真・善・忍」の光があまねく照らすもとで、私は初めて幸福とは何かを知りました。

 しかし、1999年の7月、突然巨大な災難がやって来ました。両親は私が修練し始めた時から反対していました。そのうちの重要な原因は、両親は一生涯ずっと××党の運動の中を今日までかいくぐってきたためです。××党の「運動の癖」をよく分かっており、××党が行った運動一つ一つに対してぞっとしていました。だから、私が修練している間、日ごとに優秀になって行く間、両親に繰り返し繰り返し法輪大法とは何かとか、なぜ私は修煉するのかということを話すたびに、この問題に触れた途端に話しが止まってしまいました。両親の常に言うひと言は「もし『政府』が禁止したときはどうする。」というものでした。私は「こんなによい功法をどうしてやってはいけないの、今は政府が支持していますよ。」と言いました。しかし、邪悪な「運動」が、やはり始まってしまいました。

 このような邪悪な「運動」の中で私が受けた迫害は同修よりとても少ないと思います。しかし私は依然として、いつも迫害の存在を感じています。この迫害が始まってから、両親の私に対する態度は更に強硬になりました。私が外に出て行かないように、1日中門に鍵を掛けていました。ただ私が出勤する時だけ出て行くことができました。しかも両親は尾行して、監視していました。邪悪な宣伝と××党の「運動」に対する恐怖心があるため、両親は私が法を学ぶことや煉功をすることを許してくれませんでした。そればかりでなく、私を殴り、ビルから跳び降りろうと追いつめました。それは自分たちが巻き添えをくらうのを免れるためでした。

 しかし私は放棄することができませんでした。もし私に間違いがあるならば、私は必ず直します。しかし私は間違っていません。私は正しいのです。法輪大法が私を救ったのです。法輪大法が生命に授けたものは言葉で表し尽くすことはできません。どうして放棄することができるでしょうか?私にはできません!私はすべての人が法輪大法を修練することを希望しています。大法の中で心身ともに恩恵を受けて、大法の中で元の姿に帰るのです!

 会社で各社員はいわゆる「保証書」を書くことを強制されました。書かなければ解雇されるだけではなくて、洗脳のクラスに入れられて、更には拘留され、強制労働所に入れられ、刑務所に入れられます。しばしば身近な同修が不法に連行されたニュースを耳にしていました。時には2日前にはまだいっしょにいて、3日目の朝に不測の事態に遭遇し、何年後に再会できるかわからなくなった人もいます。悪い警察は連行した法輪功学習者とその家族のほとんどに対して他の学習者のことを喋らせるために「もし二人あるいは三人の情報を話したらすぐ釈放する。そうでなければ××強制労働所におくる。」と言って脅迫します。実は、これはすべて邪悪のうそでしかないことが証明されています。邪悪はただ善良の人々の身体を苦しめるだけではなく、また善良な人の心をねじ曲げるのです。

 私がこの文章を書いている間にも、私達の地域の法輪功学習者数名が不法に連行されて行方不明になったり、あるいは不法に拘禁されてしまっています。私は善良で正義感を持つ全ての人に対して援助の手を差し伸ばし、正義の声を発するよう呼びかけます。善良で正義感を持つ全ての国家と全ての民族に対して呼びかけます。法輪功学習者の境遇に関心を持ち、彼らを救援するよう呼びかけます。日々の生活の中で、ふだんの付き合いの中で、私は彼らがすべて最もよい人であることを知っています。彼らの笑顔とさわやかな笑い声を、私はいつまでも忘れられません。しかし今、彼らは最も邪悪で最も残忍な迫害を受けています!

 中国で迫害を受けているという現実は厳しいですが、しかし私は法輪大法を心から愛しており、法輪大法を修煉しています。今生縁があって修練ができたため、生命は悔いがないものとなりました。7年の修練の中で、私はますます誠実に、ますます善良に、ますます度量が大きく、ますます明るくなりました。まるで日光で満たされたようです。窓の外を見てみましょう。花が咲いたら鮮やかな花を鑑賞します。花が落ちても、緑の葉を鑑賞することができます。葉が落ちてしまってもかまいません。あの勇壮な枝を見てごらんなさい。まさに冬に対する恐れがないことを表しているでしょう?


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/4/76310.html