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湖南省湘潭市経済師の李震さんが迫害され死亡(写真)

 文/湘潭大法弟子

 【明慧ネット2004年6月6日】

 李震さんは享年52歳の男性で、元湖南省湘潭市科委器材会社の経済師であり、雨湖工人新村社区に住んでいた1997年より法輪大法の修煉を始めた。

李震さん


 2000年2月に法を擁護するために上京し、2002年2月に真相資料を配布した理由で湘潭市国安局に不法に拉致され負傷させられた。そして労働教養を2年科される。しかし湖南省新開鋪労働教養所に拒絶され、家族が3000元の保証金を支払い、医院に転入したが、2004年5月26日午前9時にその冤罪が晴れることなくこの世を去った。
 2002年2月湘潭市国安局が全市で新たな法輪大法弟子を逮捕する行動を展開した。8名の大法弟子が不法に逮捕された(王慶生さん、張艶君さん、李震さん、潭愛華さん、趙麗珍さん、潭春梅さん、張俊潔さん、成玲輝さん);自宅を追い出されたのは張杏其さんで;七軒が家財を没収された。

 2002年2月2日午前九時ごろ、バイク運送の仕事で生計を立てていた大法弟子の李震さんが蓮城書店の前で客を待っていたとき、ある30歳前後の男性がそのバイクで煤場に行きたいと頼み、到着したバイクが完全に止まる前に、7、8名の国安警察が一斉に李震さんを地面に押さえつけ、彼が身にまとっていた綿入れの服を上にあげ、すばやく頭を覆い拉致した。その時彼は危うく窒息しそうになった。

 こうして国安局に拉致された彼は、即座に身につけて持っていた携帯電話、運転免許証、、現金190元*(注①)および二つの鍵等を警察に奪い取られ、免許証および鍵以外のものは、今日になっても未だ返してもらっていない。その後国家安全局の黄志、譚継剛が大勢の人を連れ、父である李震さんを助けようと国安局へ要望に行った娘を強行に家へ連れ帰った。そして不法に取り上げた鍵で無断でドアを開け、不法に家財を差し押さえた。ステレオ二台および大法の音楽カセット、写し取った経文を持ち出し、そして黄色い布を一枚、10箱のカラオケ音楽カセットも取り上げた。離れる前に彼の娘に“貯金通帳はあるのか?”と尋ねた。彼らの意図は言うまでもない。その現場にいた目撃者の劉××はその後、彼らを“まるで泥棒のようでした”と語っていた。

 李震さんは最初に政法委に監禁されていた。警察は彼に対し脅しすかしの不法の尋問を行い、彼に資料の出所および届け先を“はっきり述べる”ように強い、言わなければ寝ることさえ許さなかった。ある1メートル80センチの大男が彼の肋骨がへこむまで(肋骨が折れた)殴り、何もなかったかのように去った。しかし夜になって李震さんが煉功すると奇跡的にも回復した。国安局のある張姓の局長は彼に対し:“上から授けられた権力を行使すれば、お前たちなんかすぐにでもこの世から消せるぜ”と暴言を吐いた。

 2002年2月10日、彼らは李震さんを不法に刑事拘留し湘潭市三角坪看守所に監禁した。家族との面会は許されず、看守所の中は混み合っていて、長時間湿気ている床の上で寝ていたため、彼は咳が止まらず、心臓の鼓動も高鳴り、血圧が高くなり、食事内容も悪く、ほとんど食べられなかった。その時彼の身体は大きな打撃を受けていた。

 3月28日、国安局が李震さんを不法に二年の労働教養に科した。湖南省新開鋪労働教養所に送られたとき、労働教養所の者が彼の虐げられた後の惨めな姿を見て、“病気なのか?”と聞き、“いいえ、国安に殴られた後の傷です”と国安の人を指していった。労働教養所は責任を避けるために入所を拒否した。それから国安のものが李震さんを連れて省脳科医院で検査を受けさせ、その診断は:心臓、脳に異常ありであった。しかし国安の者がそれでも止めることなく、再度に新開鋪労働教養所に送還した。しかし労働教養所の関係者が心電図および脳の検査共に異常があるのをみて、再び拒否した。それで始めて彼を湘潭市に連れ戻した。帰ってから、国安局はその家族に4000元の保証金を払って医院に転入させるよう通知し、さもなければ再び牢屋にいれると強迫した。家族がようやく3000元を集めることができたが、さらに200元の検査費が追加され、それら全額支払い初めて釈放された。

 悪い警察が李震さんの肉体に対して—特にその精神面に対し長期にわたって大きな打撃を与え続けたため、李震さんは2004年5月26日に冤罪が晴れないままこの世を去った。

*(注①)普通の地方都市の平均的な月給が300元前後である。


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/6/76438.html