日本明慧


ある老夫婦の修煉物語

 【明慧ネット2004年6月4日】山東省諸城市在住の劉さんは今年83歳を迎えたお爺さんで、お連れ合いのお婆さんは今年85歳を迎えました。老夫婦がめでたく法輪大法に出会ったのは1998年でした。農村住まいのお二人は若い頃からの過労のせいで、体中が多くの病気に蝕まれていました。その上、学歴もなかったので法輪大法の学習と修煉には大変苦労しました。しかし、お二人は修煉の過程で常に前向きに努力し、ついに今日まで歩んできました。以下はお二人の修煉中のいくつかのストーリを記したものです.

 一、 縁があって大法に巡り会う

 劉爺さんは法輪大法を得て間もない頃、大法に対する認識はとても浅いものでした。息子娘たちが大法を学び煉功するのを見て、好奇心を持ち学んでみようと考えるようになりました。子供たちは父親が善に向かい修煉しようとする心があると分かり、皆うれしく思いました。娘は早速テープレコーダーを買ってきて、師父の講習会の録音テープをかけました。お二人は修煉を始めて間も無く、体の浄化が始まりました:劉爺さんの家は貧しく、長年の過労により多くの病気を患っていました。よく胃痛があり、発作が起きると昼も夜も絶え間なく痛む始末でした。それに関節炎、足の痛みなどもあり、色々なところで見てもらっても治らず、年中薬に頼っていました。大法を得てまだ5式の功法も学んでいないうちに、なんとすべての病気が治ってしまいました。

 お婆さんはというと、もっと珍しい病気を患っていました。彼女は「私は小さい頃から動物に憑かれ、70年にも亘って苦痛を味わってきた。」と話しています。この病気の現れ方は、ある一定の時間が経つ度に彼女に動物の憑き物が憑き、それと同時に彼女の体のある部分が激痛に襲われます。その痛みはというと本当に激しい痛みで、一旦発作が起こると何日も動くこともできず、何も食べられなくなり、精神も正常でなくなります。一旦発病すると、短くて10〜20日、長い時は1,2ヶ月にも及び、彼女自身の苦痛は言葉では言い表せない程で、家族にも大変な思いをさせていました。お婆さんが修煉を始めてから、あの怪病もだんだん良くなってきました。最後にあの病気が現れたのは2001年の春でした。長い間姿を消していたあの病気が再び現れた時、大法弟子である二人の息子と娘は母親のこの状態はきっと邪悪な勢力の迫害であると判断し、母親の傍で強い正念を発し、大法弟子を迫害する一切の邪悪なものを取り除きました。間も無く、彼女も意識がはっきりしてきました。これでお婆さんを70年余り苦しめてきた症状が完全に消え、85歳の高齢の今でも、顔色がとてもよく体もとても軽くなり、隣近所の人はみな羨ましがっています。

 二.大法修煉を堅持し新たな人生が始まる

 1999年7.20以降、天地を覆い隠すかのように邪悪な勢力が押しかけ、全国各地至る所で大法弟子が捕えられ始めました。劉爺さん一家も江沢民集団の迫害から免れることができず、彼の息子、娘は捕えられてしまいました。息子と娘は当地の警察に拘束され、お互い顔を合わせることもできなくなりました。このように突然やってきた迫害に直面し、老人は息子と娘を見舞う機会を利用して、同修に情報を伝え、同修間の連携を保つことができ、共に難関を乗り越えられるよう手助けをしてあげました。

 2001年の秋のある日、老人は突然脳血栓のような症状が現れ、半身不随になりました。息子と娘達は皆怖くなり、長女(修煉していない)は老人を彼女の家で治療を受けさせることにしました。お爺さんはその時心性をしっかり守ることができず、長女の提案を受け入れ、鍼灸の医者を呼び、さらに薬物の治療も加えて、10日余りすると、次第に立つことができ、家に帰ってからは徐々に回復してきました。ただ足どりは全く以前のようにはなりませんでした。しかしこの事を知っている人は皆、そんなに高齢で脳血栓になって、鍼灸の先生に針をしてもらっただけで治ったの?と不思議に思っていました。私達にはこれは法輪大法の威力であると分かっています。この大きい難関と同修との交流を通して、老人は修煉の厳粛性を認識し、自分の心性と本当の大法弟子との間の開きがあまりに大きいことが分かり、それからは固く決心し常に師父の言われたとおり実行し、心性の向上を第一に置くよう心がけました。

 師父は《転法輪》第一講“本当に高い次元へ人を導く”の中でおっしゃいました:“私はここで病気治療の話をしませんし、病気治療などもしません。しかし本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですから私は身体を浄化してあげなければなりません。しかし体の浄化をしてあげるのは本当に法輪功を学びに来た人、本当に大法を学びにきた人だけに限ります。もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もして上げられないし、どうすることもできないことを強調しておきます。なぜかというと、この宇宙には次のような理があるからです。佛家によれば、常人の中のことは、すべて因縁関係があり、生老病死は常人にとって当然のことです。”

 師父は≪精進要旨≫の“病業”の一文の中で次のようにおっしゃっています。“そこで我々修煉者は師父が消してくれた業のほかに、自分も一部分を返さなければならないので、身体が辛く病気のような感じがあるはずですが、修煉はまさに人の生命の本源から片付けてあげることです。木の年輪のように各層にすべて病業がありますから、中心となるところからあなたの身体を整理しなければなりませんが、一遍で全部推し出したら人間は耐えられず、生命の危険があります。ですから、暫くして一つか二つを推し出すことしかできず、こうすれば人は耐えられるだけではなく、苦しむ過程の中でまた業を返済できます。しかし、これはわたしがあなたのために業を消した後、あなた自身で耐えるように残したごく僅かな一部にすぎません。”

 2003年正月、老人は突然消化器系の重病にかかったように、血便が数日間続きました。今回の老人は心性をしっかり守り、師父と大法を堅く信じ、次男が買ってきた薬には見向きもせず、いかなる紛らわしい現われにも戸惑わされませんでした。今回の血便は一年と一ヶ月も続きましたが、彼は心に留めないで、普段は講習会の録音テープを聞き続け、自己のベストを尽くして煉功を続け、心を修めることに努めました。そしてついにこの難関を突破しました。今は体が浄化され、食事の量も大いに増え、常人のみんなも不思議に思うくらいでした。一つ又一つの試練を経て、老人の心性はとても速く向上していきました。

 2003年の春、夏、2004年の春、老人は3回に分けて、自分が若い頃から生活を切り詰めて貯めておいたすべての貯金1500元のすべてを、真相を伝えることに使いました。息子と娘は父親の衆生を済度するための慈悲の心を、とてもうれしく思いました。しかし老人の生活を考慮して、娘は父に全額は出さなくてもいいと勧めましたが、老人はきっぱり言いました。:“持って行って使いなさい、安心して。食べるもの、着るものに困らなければいいんだから。師父は私の体をここまで浄化してくださり、私はいくら払ってもこの健康を手に入れることはできなかったのだから。”老人は学歴もなければ、大言壮語もしない、しかし、大法に対する堅い信念は長年修煉してきた子供たちをも感動させました。

 このような数回にわたる難関と試練を経て、お二人の体の状況は益々よくなり、大法に対する信念も一層堅くなり、さらに修煉に励んで益々よくなるように決心しました。

 以上はこのお二人の老人大法弟子の修煉物語でした。文字にしたのは似たような病業の現象がある同修と交流するためです。間違っているところがあれば、慈悲のご叱正をお願いします。


 (中国語:http://www.minghui.cc/mh/articles/2004/6/4/76143.html