日本明慧

目覚めよ:我々の道を正しく歩む(上)

 【明慧ネット2004年6月6日】1999年7月、邪悪な迫害が全面的に開始されてから、真相を説明し、江氏集団が国家のメディアを利用して大量のうそを作り広げたことを暴露するために、大陸の大法弟子は厳しい環境下で自発的にホームページや資料ステーションを立ち上げて、明慧ネットから法輪功に関するニュースや様々な真相資料をダウンロードしました。5年の間、大陸の大法弟子が作った資料ステーションはますます多くなり、次から次へと絶えることなく出来ました。大勢の大法の同修は長期にわたって黙々と、しっかりした意識、そして粘り強さと個人の名利などを考えずに資料ステーションで大法弟子としてやるべきことをやり続けていました。自分を清めるための努力をして、自分の正法修煉の道を歩んできました。これらの同修は、全世界の大法弟子と共に大法を実証し、衆生を救い済度する中で形はないが、しかし極めて重要な役割を果たしました。

 しかし、資料ステーションのような特殊な修煉環境、仕事環境の中で一部の学習者は常人の心を持って迫害を見ており、心の中で大法弟子の反迫害を常人の社会の政治闘争だと思っていました。迫害に対抗するために大法の仕事をやっていたわけで、修煉者として迫害を一掃するためではありませんでした。やっている事を修煉に取って代えたりして、長期間法の勉強を続けることができませんでした。心を修めるということは修煉者として日々厳しく対応し、丁寧に良くやるべき本分なのです。多くの地区には、ごく少数の一部にこのような学習者がいますが、大法弟子の心性上の行為の基準に甚だしく反するたくさんの事を行ったため、現地の資料ステーションは破壊されて、多くの大法弟子が逮捕されたり、甚だしきに至っては迫害を受けて早すぎる死を迎えるに至り、その損失は深刻なものでした。

 現在すでに調べて明らかになった情況によると、資料ステーションが破壊された原因はとても複雑です。しかし、大法の仕事という旗を掲げて、大法原則に反している現象がほとんどでした。一部の人は、現代人の変異した観念と常人の心の執着下で、卑劣な事をすばらしいことと見なして、根本的に他人の批判と意見に耳を貸そうともしませんでした。同時に、他の同修もしっかりとすべての大法原則に反することに対して防ぎ止めようとする動きがなかったため、一部の人に市場を提供して、邪悪が大規模で資料ステーションを破壊して、大法弟子を迫害する口実を提供しました。

 大法に責任を持って、衆生に責任を持って、同修と自分自身に責任を持つことを原則として、我々はここで厳粛に破壊性が大きく、代表性のあるいくつかの問題に関して指摘を行いたいと思います。これは何人かの人をだめであると決めるためではなく、まだ良く行っていない同修に一刻も早く目を覚ましてもらうためです。我々大法弟子は、この機会に目覚めて、自省して、そして過ちを直して更に正法時期の修煉という千古の機縁を大切にして、共に精進すべきです。

 1、大法原則に反した資金集めと真相資料資金を濫用した問題

 一部の人は、資料ステーションの仕事を口実に至る所で同修を探して金を求めました。甚だしきに至っては資料作成に当てるべき資金を自分の私欲のために使い尽くしました。これらは大法原則に深刻に反しています。

 ある学習者は、資料を作るための資金を持ち歩いて、買い物の時とかに金遣いが荒くて、高消費で、気の向くままにタクシーに乗り、賃貸した資料ステーションは一件の電話あるいはその他の事で簡単に使わず放棄しました。一箇所の家賃は何千元(人民元)で、しかも生活用具とその他の物件もまだ含まれていません。

 ある人は“大法の仕事をやるには大法の金を使っても良い”などの気軽で平気な認識を持っていました。

 実のところ、冷静に考えてみると修煉者はみな分かっています。大法そのものは金も物も貯めず、一途に修煉だけをします。これは金剛不動なものです。大法弟子の真相説明あるいはその他の正法修煉の中でやるべきことは、すべて自分自身のためではありませんか? すべてが自ら願って衆生を救い済度するために行っているのではありませんか? 大法弟子がやっていることすべては大法弟子個人が大法を実証する道の中で自分自身のことをやっているだけです。厳格に言うと決して“大法の事”だと称することはできません。迫害に直面している特殊な環境の中で、大法弟子個人が生活を切り詰めて資料を作るということは大勢の衆生の未来に関わることであって、だとすれば本心で修煉を行う人であれば、自ら立ち上がって大法を実証して本当のことを言うべきです。まさか、同修甚だしき至っては大法に駆け引きでもするのではないでしょうか? その上、現地の資金源は非常に困難で、同修達の生活状況をみると大半はサラリーマンで収入が少なくて、年間の貯蓄といったらちょっとしたものです・・・。

 2、長期にわたって学法をないがしろにし、“熱意”と“仕事をやる”ことを心性修煉に取って代えて、大法修煉原則を無視した問題

 例えば、一部の地区の元資料ステーションが破壊された後、熱意のある一部の人だけが資料ステーションの仕事に参加または新しい資料ステーションの“責任者”になりました。その結果、一部の人は勝手に真相資料の資金を使って、甚だしきに至っては様々な口実を探して同修から金を騙し取って、長期にわたって資料作成という看板を掲げて大法修煉原則に反することをしました。また一部の学習者は熱心にやっていれば、また多くやればそれこそが修煉を良く行うことであると認識して、修煉とやっている仕事を混同していました。常人の心が舞い上がると冷静でしっかりと大法修煉原則を維持することができなくなります。

 ある地区の例は最も典型的です。ある所の第一回目の資料ステーションは2000年から運営を始めて2001年の初めのごろ破壊されて、10名の同修が逮捕されて損失は数十万元で全員重刑と労教(労働による教育)懲役を受けました。事件の原因は資料ステーションのある一人の同修が自らの金で1台のコピー機を買って、市場価格を上回る値段で同修に真相資料を提供したことから起きました。これは大法弟子の持つべき“真善忍”の言行基準に深刻にかけ離れていましたが周囲の同修は誰も止めようとせず、却って、ずっと彼女をおだて上げたりする人さえいました。その理由としてコピー機を買って多くの事をしたので良く修煉をしたと認識して、その結果この学習者は自惚れて、有頂天になり、続けて大法修練原則に反することをしました。これらの問題は直接この学習者に対する迫害を招きました。この学習者は迫害に耐え切ることができず、また資料ステーションの同修を裏切り、ほとんどの資料ステーションの同修が全部逮捕されてしまうなど極度な損失がもたらされました。

 その後、現地ではまた同修が一部の学習者達を率いて立ち上がって、第二回目の資料ステーションを作り出しました。それによって現地の真相説明の形式は多種多様になって、大規模で真相説明を行うと同時に邪悪を暴き出すことも平行に進めました。全体の真相説明情勢はとても良かったのです。資料ステーションがどんどん大きくなるに従って、大勢の学習者からもっと仕事がやりたいという心が動き出しました。

 この時、ホームページ担当の一人の学習者(第一回目の資料ステーションの中からたった一人残った中心の学習者)が年上の女性学習者とあいまいな関係を持つようになりました。二人は長期にわたって法の勉強をせず、煉功もしませんでした。同修達が彼らを別れさせようと提案を出した時、意外にも男の学習者は資料ステーションを離れて出て行きました。二人は資料ステーション資金を自分達の私欲のために費やすなど様々な面で多くのことを引き起こしました。しかもこの女性の学習者は、ずっと酒を飲んで(これは真に修練をする弟子としてはあるまじき行為であり、《転法輪》の中には解説があります)、それに男の学習者まで連れ込んで飲ませました。様々な形跡から表明できるようにこの二人は、各方面で大法弟子の基準からあまりにも遠く離れていました。しかし、この資料ステーションではこの男の学習者にしかホームページができないため、他の学習者は彼が出て行くと資料が断ち切られると恐れて、または一時的な仕事の便利を求めるなどの心理状態下で大法修煉原則に則って物事を運ぶことができませんでした。その結果、彼ら二人とも邪悪に逮捕されました。長期にわたって修煉の心性道徳上の基礎がなかったため、彼らは邪悪の脅しと利益の誘惑下で資料ステーションの同修を裏切りました。邪悪はこのような詳しい内部情況を利用して、電話監視、待ち伏せ、重点逮捕などの手段で、ごく短い3、4ヶ月の間に、ステーションのほとんどの同修が捕まえられて、その損失資金はなんと数十万元に達して、逮捕された同修は残虐な体刑を受けて、自供を強いられる上に重刑と労教懲役を受けました。

 上述した地区の第三回目の資料ステーションは、前二回の過ちを繰り返して、真相資料資金問題に関する対応が正しく行われず、仕事ばかりやりたがっていて、学法が少なかったです。今回の資料ステーションも運営して一年後にまた破壊されて、同修達が逮捕されて、懲役12年の最高刑期判決を受けました。

 3、一部の人は大法弟子の基本的な基準に達していない

 1)私生活上での不道徳な問題

 ある所の資料ステーションの一部の学習者は大法原則に反して、男女関係の問題を起こして三ヶ所の資料ステーションが破壊されて、これらの問題を抱えている5人の学習者が全員逮捕されました。事情は、一人の学習者が、逮捕された知り合いの学習者のために、お金で裁判所を買収して保釈を考えたことで、その結果、自ら邪悪に跡をつけられるなどのことを招きました。一ヵ月後、邪悪は資料ステーションと他の学習者の住所などをほとんど調べました。この期間中ある学習者は悪警の追跡に気付いたりしましたが、場所を移ることが間に合わなくて全員逮捕されました。実際のところ、結果的には20名近くの人が逮捕されて、私生活が完全に大法弟子の基準に合わない5名だけに留まりませんでした。資料ステーションと関係のある学習者、資料配達学習者など全員が逮捕されてしまいました。いまだにこの地区は、市街区の周りに新経文と明慧週刊の提供などを回復しただけで、真相説明はまだ谷間に陥っていて、現地の民衆に邪悪を暴露することはなおさら展開しにくい状態です。

 師父は《転法輪》の中で我々に教えています、「歴史においても、あるいは高次元空間においても、人が修煉できるかどうかを判断するのに、人の欲望、特に色欲のことが重視されてきました。ですから、それらには本当に淡泊でなければなりません。一方、われわれは常人の中で修煉しているので、完全にそれを断ち切るようにと要求しているわけではありません。少なくとも、現段階ではそういうことに淡泊でなければならず、これまでと同じようにしてはいけません。煉功者としてはこうしなければならないものです。煉功の時にあれこれと妨害が現われてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです。」 《2004年シカゴ法会での説法》の中で師父はまた次のように言われています、「今になっても、私生活においてまったく修煉者として相応しくない行為をしている人がまだいます。このような人がいくら多く行っても圓満成就することができません。」

 例え、常人だとしても男女関係に関しては、歴史上東方にせよそれとも西洋にせよ、神は人間に道徳規範を制定していて、これはみなかなり厳格かつ明確になっているものです。例え、一回だけ犯したとしても社会において神の戒めの規則に反して、道徳を乱したと公認されます。当事者は一生それを背負って恥辱と罪悪感に苦しみます。

 しかし、人類の道徳はすでに下落して基準に遜色するものがない今日、多くの常人はこの方面においてすでに完全に喪失して危険な状態です。この特殊な歴史的時期に幸いにも法を得た一部の学習者を含み、長期にわたって心を静めて法の勉強をせず、法の勉強に気持ちを入れず、長期間常人の心で大法と修煉に対して来ました。自ら抜け出すことができず、“真・善・忍”の基準によって自分自身の思想の境界を向上させようとしませんでした。このような人は極めて少ないのですが、しかし、各地のどこにでもいます。

 多くの事実が表明しているように、これらの人は大法弟子の基準の心性表現に合わないため、その本人に深刻な迫害を招くだけではなく、資料ステーション、地方向けの真相説明、邪悪を取り除き、衆生を救い済度する進展に計り知れない損失をもたらしました!

 2)長期にわたって学習者の家に寝泊りし、食べて、飲んで、もらう、取るなどの問題

 師父は何度にもわたって我々に如何なることをやるにせよ、まず他人のことを思いやるべきであると忠告しています。しかし、一部の学習者は迫害を免れるために家を離れて出て行って、長期にわたって他の学習者の家に泊ってなかなか出て行ってくれません。完全に相手の家の不便などに配慮せず、出て行くようにと勧められると目覚めるどころか、同修に執着を切り捨てるべきであると逆に言い返します。

 またある人は同修の優しい心理の隙に乗じて、食べる、もらう、求める、または騙し取ったりします。あるいは真相資料の資金を勝手に使い尽くして、責任者から金と物(交通費、生活費、家賃などの口実をつくって子供に服を買って上げたりする)をゆすり取ります。ある調整員はこれらの状況を知っていながら人情という執着に妨げられて、このような行為を放任しました。師父は1997年6月に《猛撃一掌》という文章を発表して、一部の学習者のこうような行為に対して厳しく指摘し、是正しました。師父は「大法はより多くの人の修煉に便宜を図るために、現在のところ、主として常人社会の中で修め、或いは仕事やその他の常人の環境の中で煉磨するという形を取っており、出家者だけが行脚しています。しかし、今一部の人達は大法の弟子という看板を掲げ、全国到るところをむやみに回っており、何の理由もなく学習者の家に住み着いて、喰い、飲み、ものを取り、ねだり、騙し取るといったことで、学習者の善良な一面を利用して大法の隙を乗じています。しかしわたし達の学習者はどうしてこれが見分けられないのでしょうか? 修煉は、即ち自分を修めることであり、何故この人達が自分の家で落ち着いて着実に修煉しないのかを考えてみてください。環境が悪ければ、修煉に更に良いのに、どうしてこれらの人はわたしの話を聞かずに、全国をむやみに回っているのでしょうか? どうして学習者のものを取り、ねだり、食べながら、かえって学習者に執着心を放下せよと言っているのでしょうか? これはわたしが彼に教えたことですか? さらに甚だしい者は学習者の家に何ヶ月も住み込んでいますが、これは憚ることなく、学習者の修煉を妨害し破壊しているのではありませんか? これらの人達は騙して食べたり、取ったりしたものをそのまま賠償しなければならず、さもなければ、大法は彼らを容認しません。」と述べられています。

 3)“私”に執着し、矛盾の激化と発生をもたらした問題

 ある学習者は“私”に執着して、自説を固執して自分に注意を呼びかける同修に対して排除または邪魔して、意識または無意識的に隔たりをつくりました。また《明慧週刊》の中の文章を他の同修を攻撃する道具として使って、大法の仕事の中で協力し合うことが出来ず甚だしきに至っては矛盾の激化をもたらしました。

 常人の心に引きずられてある人は、完全に常人の心理状態と言行で騒ぎ立てたりして、裏で自分に批判をした同修と協調人を攻撃しました。甚だしきに至ってはデマを飛ばして同修と協調人はスパイだとまで言っています。中国大陸の邪悪な迫害下で、良く法を学んでしっかりと心の修煉を行っていない一部の学習者は“スパイ”という三つの文字にとても敏感です。それで、むしろあることとして信じて、ないこととしてはまったく信じようとしませんでした。法と心性によって一人の学習者を判断していないがゆえにこれらの悪意のばら撒きは資料の仕事にもたらした破壊は極めて悪質なものであって、環境の複雑さを強めました。

 4)“自分の心より生じる魔”、口を修めず安全な手落ち状態をもたらした問題

一部の学習者は大法の要求に準じて修煉を行わず、長時間法の勉強をしないか、勉強は少なく、煉功または発正念を重視しませんでした。普段自分は高次元へと修煉して天目で同修を見て、こうであるとかああであるなどを言います。ある人は自分の心から生じる魔に邪魔されて冷静さがなくなって、「自分は天目が開いた」、「悟りが開かれた」などを口にします。学習者の中で彼だけが真相と本質を見ることができると称します。彼らのこれらは明らかに大法に符合した状態ではありませんが執着心の強くて、人情が深く法の勉強に深く踏み込んでいない一部の学習者を騙しています。

 一部の資料ステーションの学習者は口を修めず、自己の安全に気をつけないばかりか他人の安全にも配慮せず、気の向くままに資料ステーションの情況を漏らします。同時にまたURLを持っているステーションの同修の情況を他人に伝えて、現地の資料ステーションの直接的なメンバーではない人でさえ資料ステーションの住所を知っていて、知らないうちに資料ステーションの安全と真相の仕事にとても大きな手落ちをもたらしました。




 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/6/76500.html