日本明慧

本末を転倒しないで

 大陸の大法弟子 石鑫

 【明慧ネット2004年6月5日】

(1)自分を実証するのではなく、大法を実証する

 前日、明慧ネットに投稿しようと思い、書く過程の中で、自分の一つのとても大きな問題を発見した。私はなぜ筆を執るのか、一つの考えがあったからである。それは自分でも悪くないと感じ、それで明慧ネットに投稿する、みなさんもこのようにするように提案する。書く過程の中で私は先生の経文の中に、私の考えを支持できる文を探し始めた。その上ふだん法を学ぶのが足りないため、多くの話は先生がおっしゃったということは知っているが、しかしどの経文に出ていたのか本当に覚えていない。早く目的を達成させるため、私はまたコンピューターの“長所”を利用し、同時に何編もの経文を開け、キーワードの方式で多くのファイルで同時に探した。 

 先生の原文を探し当てると同時に、私も自分の問題を意識した:この過程の中で、私は自分の観点を実証するために先生の話を探した。更にはっきり言うと、大法を出して、先生を出して自分はどんなに正しいかを証明するのである。本当にその話に対する悟りによって、みなさんに自分の体得したことを紹介するのではない。文字の上で、すべて先生の話を引用しているが、しかし本質は異なっており、一つは自分を実証することであり、一つは大法を実証することである。 

 この過程のことを書いて、私はみなさんと一緒にこの問題に注意しようと思っている。先生の話を引用することに関しては、以前すでによく討論したことがあり、肝心な点は過程の中で自分のどんな心が隠れているのかを見ることだと私は思っている。 

 (2)優れた能力は大法を実証するために備えられた

 時には自分のいくつかの優れた能力を考えてみると、感じはとてもよい。たとえば、word、photoshopなどの使い方はとても熟練しており、真相資料の作成がとてもきれいにできて、自分でもうれしい:これを見て、私にはこれらの技能があり、大法を実証する上でこれらを使うことができるではないか! 関係している組織(或いは属している勤め先など-校正者注)の中で、プリンターを使用できる便宜な条件もあり、(もちろん機会を探して使用料は負担することができる)、自分でもとても満足している:よい仕事ができる環境があり、いろいろと大法の事をする上でなんと便利なことか! これらの考えの背後には、実は強い自己主張がある:自分には優れた能力があり、大法を実証する上でそれ等を用いることができる。大変自惚れており、他の人よりも強いようで、他の人より特殊だと感じている。 

 実際には、私達はどんな能力、特技、利便性のあるものを持っているかにも関わらず、それは私達が大法を実証するために得たものである。私達には優れた能力があるから大法に使うのではなく、正反対で、この時期に大法を実証するために、私達にこれらの優位性を備えさせたのであり、それによってもっと私達の作用を発揮させることができる。あの大きな財団の人を考えてみると、彼らが今生獲得した財産はかつて大法のために使うと願をかけたのに、しかし今様々な原因のため目的を見失って、甚だしきに至っては反対側に走ってしまい、本当に悲しいことである。

 法を正す時期の大法弟子として、自分が優れた能力を持っていることは喜ぶべきことで、しかし、本末を転倒しないように。それは大法を実証するために備えられたのである。従って、私達は存分に自分の優位性を発揮し、大いに大法を実証しよう!



 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/5/76303.html