日本明慧


血を浴びた大地(二)(写真)
─黒龍江省における法輪功迫害のドキュメンタリー総合報道

 【明慧ネット2003年12月2日】

  ☆ “六・二0大虐殺”は国内外を震撼させた

 2001年6月、ハルビン万家強制労働収容所で15名の法輪功学習者が生命を失いそうになったという重大な事件が発生した。この事件は国際社会を驚愕させ、海外でも注目され、それ以来万家強制労働収容所は悪名高くなった。

 「ここは戦場ではないが、砲煙が充満している。夜明け前の渣子洞(国民党時代酷刑で有名な牢獄)ではないが、吊るし上げられ、電撃棒による虐待に耐えている人がいる。“誓約書”に署名することを拒否したため、小屋の鉄柵に吊るし上げられている人がいる、これは戦争の年代ではないが、至る所で血痕が見える、……。ここはほかでもない2001年6月の万家強制労働収容所である。」(目撃者の話)

 2001年6月18日、万家強制労働収容所は第九班の食堂で法輪功学習者の刑期を延長する「大会」を開いた。所長盧振山は大会で「何があっても転向させる。強制的に「転向」させる、必ず修煉を放棄させる。法輪功との戦いは死活に関わる問題である」と言った。会場に三百近くの武装警官がおり、彼らはヘルメットを被り、電撃棒と手錠を持ち、腰には武装ベルトを締めており、会場の雰囲気は人を窒息させるほどのものだった。第七班、十二班が合わせて二十名の法輪功学習者が一年延期された。しかも延期の真の原因は彼女たちが既に非合法に二十ヶ月監禁されていたが、依然として洗脳を拒否したからである。二十名の法輪功学習者は両手を後ろ向きに縛られ、一人の男性と一人の女性警官に両側で腕を抑えられており、まるで処刑所に行くようだった。

 法輪功学習者に強制的に“真善忍”の修煉を放棄させる邪悪な企みは、万家労働矯正で行われている。

 6月19日お昼から、15名の法輪功学習者が男女の警官に残酷に殴打された。電撃棒で心臓が打たれ、“両手が後ろに上げられながら縛られているという飛行機のような姿”にされ、かかとが地面から離れて、靴をはくことさえ許されていなかった。 時間が経つにつれ、ロープがますますきつくなり、しかも吊るされる位置も徐々に高くなっていく。両腕は耐えられないほど痛んでおり、寝ること、話すこと、トイレに行くことも禁止されている。どうしても我慢できず、失禁してしまうときもあった。学習者の鼻と顔から血が流れてきており、ガムテープで口を封じられ、見るに耐えない光景だった。警官は上の人に指示され何回もロープを縮め、学習者を高く吊るし上げた。さらに、学習者に罵声を浴びせながら、楊秀麗という学習者の髪の毛を掴んで顔を壁にぶつけた。彼女は数回トイレに行かせるようにと求めたが、拒否されたため、お漏らしをしてしまった。このとき、警官は尿を拭いたモップを彼女の顔、口につけながら、彼女を罵った。このとき、彼女は既に意識不明になった。もう一人の学習者は大勢の人の前で警官に胸部を触られるという侮辱を受け、警官はさらに彼女の肋骨と胸部のくすぐったいところを触り、それを楽しんでいた。

 内情者の話によると、万家強制労働収容所の管理部門が馬三家のやり方を見習い、法輪功に堅い信念を持っている女性法輪功学習者をレイプすることを計画したが、国際社会の譴責の声が日増しに高まったことに憚り、実行できなかったという。

 当時小屋に吊るし上げられた学習者は15名いた:朱春栄、張春栄、趙雅雲、李秀琴、ハン宣華、張玉華、孫傑、カク雲珠、楊秀麗、高淑彦、王芳、陳亜莉、左秀雲、韓少琴、徐麗華。

 その間、所長の史英白は「よくやった」と警官らを励ましたという。2001年6月20日午前まで、女性の法輪功学習者はすでに40時間近く吊るし上げられ、命も危険な状態だった。労働収容所はこの15人が集団自殺を図ったという説明をしたが、24時間監視の元でなぜ自殺がありえるのかを説明することができなかった。

 このことが大きな反響を呼び起こしたため、中央政府と省、市政府の幹部が現場視察をした。

 ある死亡者の遺族の話によると、強制労働収容所はある何の事情も知らない「全権代表」を派遣し、全ての処理を任せ、「家族の死亡は強制労働収容所と何の関係もない」という書類に遺族に署名を求めたという。

 ある遺族は労働収容所の職員から次のことを言われた:「国の規定によって、何の賠償もしない。死んでも無駄死になるほかならない。家族が遠いところから駆けつけたから、旅費と葬儀代として2000元を支給する。これはもうかなりの優遇である」。さらに、公安の人が「上告したければ、どこでも行ってやってください」と公言したという。

 この事件の後、関連部門は情報を厳しく封鎖し、収容所の職員は帰宅することを許されず、外の人が収容所に入るのも禁止され、職員の携帯電話とポケットベルも一旦上納するよう要求され、収容所の多くの電話も繋がらなくなった。

 情報が遮断されているため、死亡に関する全ての情報を確認することができず、ただ三名の学習者の死亡が確認された。

張玉蘭の生前の写真 趙雅雲の生前の写真

 張玉蘭(黒竜江密山市出身 56歳)
 
 李秀琴(鶏西糧食局定年退職 61歳)

 趙雅雲(双城市楽群郷出身、共産党員、54歳)

 張玉蘭は法輪功学習者であり、黒竜江省密山市鉄西村で連絡係りボランティアをしていた。ハルピン万家労働収容所で二年間も監禁されていた。遺族は6月20日ハルピンに駆けつけたが、6月23日遺体を火葬したときやっと遺体との対面を実現した。首に深い締め跡があったという。

 李秀琴は定年退職する前、黒竜江省鶏西市梨樹区食糧倉庫に勤めていた。1999年北京に陳情しに行って逮捕され、12月26日に不法に万家労働収容所に送られた。6月20日に死亡。収容所は遺族に知らせずに遺体を火葬し、遺族は遺骨しか受け取れなかった。遺族は「殴られ死んだら、自殺と言えば良い、身元を調べずに直接火葬するという上の指示がある」と警官から言われたという

 趙雅雲は黒竜江省双城市楽群満族郷の住民であり、2000年7月家から連行され、一ヵ月後にハルピン万家強制労働収容所に送られ、2000年6月20日死亡。6月21日家族は遺体と対面したが、彼女は目の周りが紫色になっており、鼻の下の人中というツボに手で押された後があり、歯をきつく食いしばっており、頬に殴られたときの手の後が残っている。顔が腫れており、首に二本の締め跡があり、鎖骨にうっ血があり、腕に傷が残っており、腰周りに大きなうっ血があったという。彼女たちの死因について、収容所側は「集団自殺」と言い切っている。資料によると、法輪功の弾圧が始まって以来、拘禁中に死亡した法輪功学習者の死因は皆「心臓病または自殺」として処理されている。

 有識者の話によると、6月以来頻繁に行われている残酷な拷問は万家労働収容所の学習者が大量に死亡したことの直接的な原因であるという。確実な情報によると、万家強制労働収容所は法輪功学習者の転向率を上げるため、各種の刑具を使ったという。その中に六月の情況が最も深刻だった。

 情報によると、万家強制収容所では既に数十名の法輪功学習者は刑期が満了したが監禁されている。しかし、法輪功と決裂する意思表示しなければ釈放されないという規定がある。今回の大惨事が起きた後、万家強制労働収容所は相変わらず「7月20日以前全員を転向させる」という計画を推し進めていた。

 情報筋によると、2001年5月24日、万家強制労働収容所では史英白所長、第12隊張波隊長などは第12隊の「決裂書」に署名を拒んだ50~60名の女性法輪功学習者を男性囚人の部屋に入れ、昼夜問わず縛っており寝ることも許されなかった。目を閉じただけでスタンガンで電撃を加える。24時間セメントの床に立たされ、男性警察と男性囚人が見張っており、このまま8〜9日も続いた。

 目撃者の証言によると、数名の警察はある法輪功学習者を男性牢に入れ、三名の男性囚人が彼女をレイプしたという。

 ハルピン万家強制労働収容所は法輪功学習者への迫害をさらに強めるために、上の極秘命令に従い、整理整頓を口実にし、男性職員が不法に女性法輪功学習者の牢屋に入り、彼女を侮辱し、その手段は言葉で言い表せないほど残酷である。

 有識者はハルピン万家強制労働収容所の大惨事と法輪功学習者の死亡例の分析から、2001年当時法輪功に対する弾圧が急速にエスカレートしたという。確実な情報によると、黒竜江省双城公安部門は、法輪功の修煉を放棄しない学習者の死体に傷と血痕などの証拠が残らないように、ビニール袋で顔を覆い、窒息させることを秘密裏に計画したという。

 「6・20大惨事」は海外で暴露された後、国際のマスコミに大きく注目され、ロイター、中央社、CNN、BBC、VOA、世界日報、オーストラリアラジオ局などに報道され、人権団体は法輪功の学習者を監禁している三百あまりの強制労働収容所を閉鎖するよう呼びかけた。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2003/12/2/61680.html