日本明慧

血を浴びた大地(四)(写真)
─黒龍江省における法輪功迫害のドキュメンタリー総合報道

【明慧ネット2003年12月3日】

☆ 恐怖迫害——身体不自由な方にも関わらず、双城警察は張生範さんを虐殺

 “絞殺が完全に運動能力を持っていない人にまで至ったら、其の恐怖はもう頂点に達した”法輪功を同情しているその海外学者は、法輪功学習者張生範さんの虐殺を知ってから、今の中国のこの迫害をそう語った。

 39歳の張生範さん、黒龍江省双城市二軽局(第二軽工業管理局)に属した企業にリストラされた元社員、公正かつ正直で、人に接するのは誠意があって、多芸多才で、評判のきわめてよい人でした。近所及び友達皆賛美していました。法輪大法修煉開始以来、身体不自由(二本杖を使って歩く)と生活貧困ですが、会社に頼ることもありませんでした。彼は私が学習者として、会社と政府に迷惑かけることはできませんと語りました。家で、何人かの生徒を集めて家庭教師をしました。僅かな収入ですが、なんとなく生活を維持していました。

 1999年7月22日法輪功が不法に禁止されました。国家に一言“法輪大法好”(法輪大法が善し)を言うだけの目的で、不自由な足を引きずりながら北京へ陳情しに行きました。4回程逮捕され、9が月監禁されて、生活費も稼ぐ事も出来なくなりました。

 2001年6月10日、彼は再び逮捕され、めった打ちされました。

張生范さんの生前写真


 6月12日朝、張生範さんは野蛮な殴打により食事不能になりましたため、高濃度焼酎を鼻に流し込まれて、むせて肝肺が裂けるような気分で、悲惨な声で叫びました。しかし、獄医者、所長、警官たちは止める気がなく、1分置きで流し入れ、最後に焼酎を流し入れると、微弱な声を最後に、声が聞こえなくなりました。監禁されたほかの人が張生範が牢屋入り口の東側まで運ばれたのを見ました、其のとき警官の徐成山は有頂天に、“お前らは昇天できるって、今おとなしくなったね”と言いました。最後に、張生範を収容所内の空き家に放置して、警官は皆離れました。9:50分、張生範が救急センターまでに運ばれた。医者は、この人は既に死んでいましたよと言いました。

 張生範の家族は13日8:00にやっと本人が死亡したことを告げていました。地方政府が家族が遺体を見ることも許さず、更に家族の人が法医学者に鑑定させたいという願望も許さず、ただ、彼らの認可した法医学者だけ鑑定できる、そして一切彼らの段取りに従わなければなりません。と言うことを家族に伝えました。

 このことは全市の市民に知られて、みなめった打ちされて死亡したことは間違いありませんと街中の人がそれぞれ議論しました。近所のあのおばさんが泣きながら“彼は善い人だよ、かわいそうに”といいました、ほかの人も黙々と涙を落としました・・・・

 “小六子(張生範さんのニックネーム)は善い人ですよ!身障者なのに・・・・、こんな無残にやるなんで、・・・・酷すぎる・・・・見てもいられません・・・・小六子がそれほど小さい身体でこんなめった打ちに耐えられるものではありません”とみなそれぞれ語った。

 双城市公安局悪警官が法輪功学習者と障害者の張生範さんを虐殺したことが暴露されてから、彼らは焦った、真相を明らかされるのに怖がって、強引に遺体を火葬して、証拠を抹消しました。

 双城市の住民より、当市の公安局は最近車両を集結して、あちこち法輪功学習者を逮捕し、張生範さんはそのうちの一人です。逮捕された人が少なくないと見られます。今回の行動には(逮捕すること)当市共産党委員会書記の朱清文氏が直接責任者だそうです。

 中国政府は2001年6月11日に新たに法輪功に対する法律条例を公布しました、張生範さんは12日に死亡。其の条例中に、政府が法輪功を”反動政治組織”と正式に判定しました、この判定には通常一番厳しい処罰が適用されます。アメリカ通信社によれば、張は中国政府の法輪功修煉者厳罰宣言後の、第一例死亡者です。

 ☆ 密山市では全国初めて法輪功学者者を射撃したことがありました

 江xx氏の命令に従って、法輪功学習者を迫害する専門組織”610事務局“が設立し、上に各省より下に市町村まで各級別”610”システムもできました。これによって、江氏集団の恐怖政策が全国範囲で実施され、国家テロも一層荒れ狂っていた。

 2002年2月12日黒龍江省密山市で初めて、警察が法輪功学習者を射撃した、その後2002年2月16日遼寧省鞍山市、2002年5月12日山東省莱西市にも相次いで警察が法輪功学習者を射撃した暴力行為が発生しました。中国大陸消息よって、2002年3月長春市公安局が法輪功学習者に発砲できる秘密命令を得た次に、遼寧省錦州市公安が6月末にも命令を得た:夜間に真相チラシを配布する法輪功学習者を射殺できる。

 評論家は今中国警察の法輪功学習者に射撃事件について、下記の話を語りました。江xx集団の法輪功弾圧は従来から法律を従っていません。秘密方式を使って命令を下すのは其の行為が違法であるため;命令を伝達する其の “610事務局“は法律の拘束を受けない、完全に独裁者江xxにだけ忠誠;多くの省市公安局が“610事務局“の秘密命令を受けたことは、もう中国完全に無法時代に戻りました。

 明慧ネット2002年3月22日によれば、黒龍江省密山市道路管理所の普通社員姜洪禄さんは2002年除夜(2月12日)、他法輪功学習者と一緒に道路に横断幕を揚げて、真相を人に伝えにいきました。夜明けの2時頃、市商工銀行西側を進行中に、密山公安局政保係長の孟慶啓、杜永山のパトロール車と遭った、悪警官に狙撃された。実証によれば、姜洪禄さんの左足に命中した。弾丸は姜洪禄さんの左足を貫通、足の骨に6cmくらいの断裂を引きおこしました。(検証しました)姜洪禄さん撃たれて、倒れました。孟慶啓、杜永山は気が狂ったように飛びかかって、銃の柄、皮靴を使って凶暴的に姜洪禄さんの頭、身体を殴った、即時に姜洪禄さんの頭に6cmくらいの断裂ができて、血まみれの瓢箪のようになりました(当時付近のタクシドライバが見ました)。彼らは殴りつかれたあと姜洪禄さんをパトロール車に入れ込んだ。政保科まで連行し、2時間も取調べてから、病院に送りました。病院で5ハリをも縫いました。

 姜洪禄さんの家族がこの事件をネット上に暴露してから知られたのです。

 

悪警官孟慶啓が銃の柄で姜洪禄さんの頭部を殴るとき、残された弾丸 姜洪禄さんは悪警官孟慶啓、杜永山に銃の柄で殴打され、頭部負傷したため衣装も血まみれでした ズボンに弾丸の当たった穴


 留置場でも、姜洪禄さんすでに傷だらけだったにも関わらず、政保科の警官はめった打ちした、姜洪禄さんが何回も殴られて死にそうでした。

 2002年10月下旬、黒龍江省密山市裁判署は不法に8名の法輪功学習者を有罪と言い渡した。2月12日より拘禁された姜洪禄さんが14年の懲役を判決されました。罪を与えるため、密山市公安局は姜洪禄さんを脅威して、射撃時に警官を襲ったと承認させたが、姜洪禄さんは拒否しました。悪警官は恥をかいた為怒って、姜洪禄さんを殴打した、姜洪禄さんは即時に殴打によって気絶しました。

 姜洪禄さんの家族は黒龍江省密山市市役所、市人民代表委員会、市政法委員会、市公安局に殺人犯人孟慶啓、杜永山を厳罰することを告訴し、無条件で姜洪禄さんを釈放することを要求しました。


 (中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2003/12/3/61681.html