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山東省済寧市70代の老人王桂敏は11回非法に逮捕され、迫害を受けたた

 文/大法弟子王桂敏

 【明慧ネット2004年6月14日】私は王桂敏と申します。山東省済寧市鉱山機械工場を定年退職した従業員です。今年、75歳です。

 1996年2月から法輪功の修煉を始めました。法煉功の修煉を始めてから体に大きな効果が表れました。長年患っていた病気がだんだんなくなったのです。大変感激したのを覚えています。

 1999年7月20日、この素晴らしい功法に対し、江沢民とその政治集団は非人道的で残酷な弾圧を始めました。

 私は済寧市610弁公室に法輪功の重要なメンバーとしてリストに登録されました。頭目郭洪濤の指示の下、私は全部で11回も彼らに不法に逮捕されました。特に、済南、北京で3回逮捕された時が最も邪悪でした。

 1回目の時、私は洗脳班に入ることを拒み、4ヶ月くらい家を離れていました。しかし、外での困難が余りにも多く、また他の人たちにも迷惑をかけたくなかったので家に帰りました。その後、何度も悪人に家に入られ、物を取られました。中区警察署は30人以上の名前リストを作成し、この中に私の名前がありました。この情報を知り、私は仕方なく、また家を離れることにしました。しかし私は年で、もう若くないのでヤン州に何日か泊まって、またすぐ家に帰りました。その後、何日にも経たないうちにお正月十五日の大逮捕に遭い、当地の法輪功を迫害する事務所のトップの人、高魯揚と何人かの邪悪な人たちに拉致されて済南まで送られました。その時、私は上半身に一枚の上着しか着ておらず、裸足でズボンも穴が開いていました。邪悪な人たちが強盗のように私を持ちあげて車の中に押し込みました。

 2回目は、法輪功のチラシを貼ったために、済寧市済陽派出所に捕まえられて、済寧五里邨拘留所に送られた時です。 私は4日間断食して邪悪に屈服しませんでした。邪悪は仕方なく私の元の職場に電話をし、職場の人は私を家まで送ってくれました。でも、帰った後またすぐ職場の一人の科長、劉運喜が無理やり私を済南まで送りました。私は邪悪な人に一言だけ言いました。"貴方達が何をしても私には通用しません。この世界中にもし一人しか法輪功をやらないとすれば、それは私、王桂敏に違いありません。"

 3回目は、また真相資料を貼ったため、済寧任城区接庄派出所に捕まえられました。審問に協力しなかったので、任城区公安局に送られました。朝4時頃、誰にもみつかることなく家に帰りました。家に帰り、鍵をかけて寝ましたが、朝8時頃、邪悪な人たちがドアを壊して部屋に押し入り、私を済寧看守所に送りました。28日間拘留され、審問されました。私は最初からずっと邪悪に協力しなかったので、邪悪は怒り、私を済南まで送りました。

 北京のあるホテルに泊まった時のこと、夜中0時半頃に済寧市中区公安局駐北京事務所の一番上の人、劉という人は邪悪な人達を連れてホテルに入って捜査しました。結局何も見つけることができず、気落ちして帰り、再び。午前3時半頃、やって来ました。大きく叫びながら私と他の人達を起こして連行して行こうとしました。そして卑劣なやり方で強制的 な検査を始めました。彼らはまた暴力で、一人の法輪功学習者に自分の下着を脱ぐようにと強制しました。その学習者がノーと言うと、邪悪な人はその学習者の頭を掴み戸の枠へぶつけました。その同修は、頭から血を流しました。このように残忍なことをするので、私は彼らに、私たちには一体何の罪があるのかと問いただしました。しかし邪悪は何も答えず、私達を連行しました。

 捕らえられていた数日間は、私は非人道的で残酷な虐待を受けました。牢獄の中では邪悪な人達によって両足を引っ張られて引きずり回され、髪を引っ張られ、正座させられました。何千、何万元の罰金も言い渡されました。職場でも私の年金の大部分が取られ、毎月170元の生活費しかもらえない状況が2年以上続きました。私は正常な生活を送ることができなくなり、非常に苦しい境地に置かれています!私が法輪功の修煉を始めてから、薬も飲まず、注射も必要ないので医療費だけで国家に対し何万元もの節約になったことを皆知っていますが、政府の人は喜ぶどころか、私に罰金を課しました。今になっても私は職場の人に監視されています。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/14/77047.html