日本明慧

日常生活の中で旧勢力の按配を否定する

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年6月15日】

 師父は我々が旧勢力の按配を否定する法理について常に講じられてきました。しかしまだ認識不足の同修たちがたくさんいます。私自身もこの問題への認識をだんだんと深めつつある過程です。

 最初にこの法理を見た時、真相を伝えるなかで、旧勢力に按配された苦難および関門を否定し、拘留所、労働教養所に捕えられないようにすることだと、私はその時考えていました。しかし、後になるとこの認識はきわめて偏っていることに気がつきました。というのは、私たちの日常生活の中にも、旧勢力の按配を否定する問題が存在しているからです。

 師父は法を講じる際に:“旧勢力は実に緻密で系統的な按配をしたのです。”と仰いました。そうなると私たちの生活の中で起きる一部の苦難、邪魔されやすい環境も旧勢力の按配したものになります。私たちのまだ修煉しきれていない執着、および人心に対して、妨害し破壊するのです。私たちはまず法理からこれらのことをはっきりとしなければなりません。邪悪な旧勢力の按配をすべて否定しなければなりません。いかなる口実のもとでも、行われた妨害および破壊は許すことができません。大法弟子たちが法を正す使命を担っている今日では、大法弟子に対するいかなる妨害も皆法への妨害となります。例え生活の中で起きた些細な出来事でも許すわけにはいきません。旧勢力は彼らの欲するもののために改めることなく、常に正法に対して妨害をしているのであり、一方では巨大な苦難を作り、一方では日常生活の中で大法弟子に所謂“修煉”の目的で各種の妨害、邪魔を按配したのです。その後者に対して我々はえてして認識不足に陥りやすいのです。

 大法を実証する使命を担っている同修たちは、往々にして皆大変厳しい逆境にいることに私は気づきました。経済的な面でも、家庭的な面でも、社会環境の面などにおいても大きな妨害を受けています。実にこれらのすべては旧勢力が、私たちのまだ捨てていない人心に対して妨害および破壊をしているのです。大法弟子を尽きることのない妨害の中に陥れ、専念して法を学び、法を実証することができないようにしているのです。これに対し、私たちは自分のまだ身体に残っている不足、漏れのある部分を見つけ出し、それを正すと同時に、旧勢力の按配したすべてを否定し、正念をもって彼らを排除すべきです。

 例えば、私たちが仕事の中で、商売をしている中で、本来まさに私たちの収入となるべき賃金が、訳の分からない原因のために失われ、同じ仕事をしていても、他の人と同じくらいの収入を、大法弟子は手にすることができないことがあります。私たちのたくさんの同修たちは一家の貧しい生計を支えることも困難になってきました。毎日これらのことで妨害され困惑し、正常に法を学び煉功し、そして法を正すことができなくなってしまいます。実を言うと、これらは皆旧勢力の按配した爛鬼が、私たちにもたらした妨害なのです。私たちは決してこれを認めるわけにはいきません! 大法弟子はみな幸運に恵まれていて、特に使命を担っている今日の大法弟子たちは、さらに偉大であると師父は仰いました。貧しい生計を支えることすらできなくなり、毎日生存するために悩んだりするのは、これはおかしいのではありませんか? 私たちは本当にしっかりと考えてみるべきです! これは皆自分自身の修煉に不足があり、あるいは大法に対する認識が足りないために起きたことです。

 私たちは大法弟子であり、正々堂々と法を実証し、真相を伝え衆生を済度することをしなければなりません。私たちには足りるほどの収入で、正常な生活を維持するための基本的な保障があるべきです。それで初めて、私たちが衆生を済度することに集中することができるようになるのです。これは法を正すために必須で、宇宙大法が大法弟子たちに付与した最も基本的な生存環境なのです。故に、私たちの生存に深刻な妨害が生じることがある以上、皆旧勢力が大法弟子たちに強制的に按配した妨害および迫害となります。これに対して、私たちは決して認めることはできません。私たちのすべての執着、人心および業は皆、法を学んでいる内に、煉功し衆生を済度する中で放下することができ、なんの関門、苦難および妨害も必要がありません。そのため、旧勢力が按配したすべての関門、苦難、妨害に対して、私たちは正念を持ってこれを排除しなければなりません。

 私たちは家庭生活の中、仕事の中、社会環境の中で、例え生活の中で生じる些細な出来事でも、ひいては親族の病気にまで、旧勢力の按配した妨害が存在しているのです。大法を実証する上で妨害があれば、それは必ず旧勢力のしたことになります。常に明鏡止水の心で正念を持って廃除しなければなりません! ここでは私の生活の中で、旧勢力の妨害を排除した二つの例を挙げておきます。

 ある朝、私が邪悪を暴露する文章を書いていたところ、母が私に:“おばちゃんが危篤になった、今意識不明の状態だから、私はすぐにでも山東省に行かなければならないから、お前も一緒に行こう”(伯母はもう90歳になります)と言いました。その時私は考えました:「山東省に行くと、少なくとも2週間は戻って来られない。邪悪を暴露する文章を期限内に完成することができなくなる。これは旧勢力の妨害ではないか、決して黙認することはできない」。母が私と姉に服を買ってくるように言い、翌日速く出発する予定でした。しかし私が服を買って戻って来ると、およそ2時間しか経っていないのに、母が:“山東省から電話があって、伯母が良くなったから行かなくて良い”と言いました。表面では確かに偶然のように見えますが、しかし修煉者として、私は旧勢力の按配を正念で廃除したのだとすぐに分りました。

 またある時、都市建設会社の人から、私の家の食料雑貨店を3メートルほど取り除かなければならないという通知がきました。私は二回の不法な労働教養にあい、また仕事を首にされ、食料雑貨店は唯一の生活の保障となっていました。これは旧勢力の妨害だと気づき、彼らは私を経済的に苦境に陥れようとして、専念して法を実証することができないようにしているのです。私は動揺することなく正念を発し:「決して旧勢力の按配を認めることはできない、彼らのすべてを否定しよう」と念じました。二日後、また通知が来て、食料雑貨店は取り除かなくて良いとあり、旧勢力の按配を再び排除することができました。

 私は師父の講じられた法理から悟りました:「旧勢力は世の中のすべてに対してきわめて緻密な按配をしました。あらゆる出来事は偶然ではありません。皆正法に向かってきたのです。私たちは生活において生じた一切の困難、苦境および妨害は皆旧勢力が意図的に按配したものです。これに対して、私たちは自分の不足な一面を修正し、執着を捨て去り、それと同時に不動な正念をもって彼らを排除すべきです」。師父は法の中で:“邪悪の按配に対して、正念が十分であれば、それを否定し排斥することができ、それが作用しないようにすることができます。”“なぜならば、私たちは決してそれらを認めてはいけないからです。”と仰いました。(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』参照)


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/15/77100p.html