日本明慧


痛ましい教訓の後の自己反省

 文/河北衡水大法弟子 去塵

 【明慧ネット2004年6月19日】2004年の初め、我が地区の大法資料ステーションが邪悪に破壊され、十数名の大法弟子が邪悪に不法に逮捕された。その中には、長期にわたって放浪して落ち着くところがなく、かつ邪悪に“重要”と見なされた数名大法弟子も含まれていた。今度の損失は棗強県、景県、故城県と冀県にまで波及して、これらの地区の資料は一時的に供給することが保障できなくなった。いくつかのしっかりしている大法弟子が逮捕されたどころか、資金損失だけでもなんと数万元に達して、この地区の衆生を救い済度することをもっと難しくさせた。

 師父は、「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。旧勢力が存在していますが、皆さんにその心がなければ、旧勢力も為す術はありません。正念が十分であれば、旧勢力もどうしようもありません。」 《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》 「本当に多くのことを経験したので、これらの教訓から私たちはだんだん目覚めるようになるべきです。」 《2003年米国西部法会での説法》と話された。今度の痛ましい教訓は私たちに自分自身の存在の問題を発見させた。

 第一に、お金や物を使う方面に漏れがあった。師父は、「私は以前から言っているのですが、何をするにあたってもまず相手のことを考えなければなりません。大法弟子のお金と物を使っているとき、これらのことを考えたのでしょうか? 邪悪は付け入らない隙がないのであって、皆さんのあらゆる念と行いを虎視眈々と狙っています。皆さんが執着しているものであれば、邪悪はそれを更に強めるのです。あなたの考えが正しくなければ、あなたが理性を失うようにそれらがするのです。」《2004年シカゴ法会での説法》と話された。江氏政治悪党集団の“名誉を汚し、経済的負担を増加させ、肉体を消滅させる”という残酷な迫害にあたって、もともと富裕ではない大法弟子が生活を切り詰め、資料を作るのに一部のお金を出して、邪悪の嘘を暴き出したり、真相を明らかにしたりするようなことは、大法弟子が衆生を救い済度する心であり、自分と衆生のため責任を持つという現れである。資料ステーションの学習者、弟子としては、この資金を使うことに対して、もっと慎重に取り扱わなければならず、対応が正しく行わなければならない、厳しく言えば、どんな浪費でも大法に、大法弟子に責任を持たないものに違いない。我が地区の大法資料ステーションの破壊されたことはほかならぬこれに関わりがあった。

 前の時期には、我が地区の大法資料の提供が保障できており、学習者らの需要を満たせ、それに二台の使わずに置いたままの小型コピー機もあった。この状況において、ある一人の同修が更にもう1台の「一体機」を買い入れようとすることを提案して、何度も相談して、他の同修は皆買うことに賛成しなくて、この同修はまた何も言っていなかった。その後、この同修はある協調人の家に行って、そこから一部のお金を貰って、設備を買いに行った。結局、帰ってくる途中に、邪悪に捕まれ、設備とお金のすべてが邪悪の手に入って、直接の経済損失は何万元かに達してしまった。

 そのほか、資料を作るための資金でMP3を購入し、日常生活において、資料作成に当てるべき資金を自分のため生活用品の買い入れに使ってしまった(当然、ここで言っているのは必ず必要のものではなく、あってもなくてもよいもの)。お金と物を不正に取り扱ったことこそ、邪悪の迫害に遭った重要な原因の一つであった。

 第二に、事をなす心が存在していた。師父は、「私は常にこの問題、事をなすという心を言う。もちろんそれにはそれなりのいいところがある。我々はこの関係を正さなければならない」、「われわれはこの法に責任を持たなければならず、君個人の感情に責任を持つことではない......どんな思想を持って法に対処するか、これはとても厳粛な問題なのだ!」 《法輪大法義解》と語られた。ある時には、我が区の資料ステーションはうまく行っており、大法の資料は適時に学習者の手まで送り届けることができて、力強く邪悪を震えあがらせた。しかし同時に、ある資料ステーションの同修は事をなす心が生じて、一方的に多く、大きくして、激しく大規模なことを追求することになって、上述の「一体機」を買うのはこの問題の現れにほかならない。同時に、事をなす心が存在しているため、資料ステーションの学習者はいつも忙しく忙しくて、法を勉強する時間もないほど忙しい状態に至った。特に技術の上手な同修は更にそうなった。ある同修もこの問題を意識して、このような状況を正そうとしても、しばらくどこから着手するかが分からなかった。この時こそ、邪悪の迫害が発生してしまった。師父は「皆さんの正念、やりたい全ては皆法から来ています。ですから、いくら忙しくでも、法の勉強をおろそかにしないでください。」《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》と話された。大法弟子はいったん法から離れると、それこそ、邪悪に迫害の最大の口実をあげることになる。

 第三、常人の心で大法の仕事を対処したことである。私たちは常人社会の中で暮らしているため、数千年の輪廻の生まれ変わりで、多くの常人の観念を形成した。大法弟子が法を学び、法に同化するのはほかでもなく常人の観念を少しずつ取り除くためである。しかし、私たちは長期にわたって、常人社会の中に迷っているため、少し注意しないと、常人の観念の中に陥ってしまう。師父はとっくに私たちにこの点を指摘された。「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄まで染み込むようにして形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、円満成就することができないのである。いつも私が皆さんのために業を滅しているばかりで、皆さんが真に法にのっとって向上せず、人間の認識、人間の観念から抜け出せないではいけないのだ。私と大法に対する皆さんの考え、認識、感謝のしかたはみな常人の考えの表れである。しかし、私はまさに皆さんに常人から抜け出すことを教えているのである! 理性から真に大法を認識しなさい。」《精進要旨・警告の言葉》師父は、私たちに常人の認識から抜け出し、理性から真に大法を認識するようにと要求されたが、私たちはまだ常人の心で大法の仕事に対処することが存在しており、具体的な現れは次のようである。常人のコネを使うような方式で現地の邪悪“610”との関係を処理し、協調人は大法の仕事が自分の事と見なし、なおかつ学習者が大法の仕事をやるのは協調人を助けてあげることだと思い、そのため、ちょっとした恩恵で学習者を籠絡したりして、例えばある学習者はあれほど忙しいのでMP3を配置してあげて、そのうえ協調人は大法の仕事を多くやったいくつかの方にも配ってあげて(みな学習者が提供した、資料を作るための資金である)、彼らの心の中のアンバランスを恐れる理由があった。そのほか、邪悪のうそを暴露する、真相を伝えるように邪悪を取り除くのではなく、現地の常人勢力を利用して現地の邪悪を脅迫したこともあった。まさに常人の心で大法の仕事に対処することこそ、法を実証することは表面から見ると激しく大規模であるが、肝要な時になったら、邪悪の行為を制止することができなかった、ということに至った。今回の資料ステーションは邪悪に破壊されたことで、ある学習者が逮捕され、ある学習者が放浪して落ち着くところがなく、そのほかに、ある学習者に、もともと怖がらない状態から、望まない、出てきて大法の仕事をする勇気がないほどの恐怖心を生じさせてしまった。現地での大法を実証し、衆生を救い済度するプロセスに極めて影響した。

 第四に、安全をないがしろにしたことである。安全を重視するのは恐怖心があることと等しいわけではなく、代わり、安全をないがしろにすることは恐怖心がないことと等しいわけでもない。師父は、「中国大陸にいるのであれば、やはり皆さんの安全を第一にしたほうがいいと思います。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。これは恐れているかどうかの問題ではなく、邪悪に隙に乗じられないということです」と言われた。《2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説》私たちは安全に注意することで自分の恐怖心を覆い隠してすべきことをやらないわけにはいかず、同様に、私たちは恐怖心を取り除く口実で安全をないがしろにするわけにもいかない。この二つの傾向はみな極端を歩いており、みな大法の上にある現れではない。師父は「理性をもって大法を証明し、智慧をもって真相を伝え、慈悲をもって法を広げ、人々を救い済度する」と要求された。《精進要旨・理性》理性のないどのような行為でもみな師父の教えによってやっていないとき、みな邪悪に隙に乗じさせられ、いずれも大法に損失を作ってしまうのである。実際もまさにこのようであった。2003年の末、棗強県のある学習者は洗脳クラスに送り込まれて、この学習者の状況は速やかにネットに載せられたため、邪悪はこの学習者の連絡が広いと考え、それで“ゆっくり構えて大きな利益を獲得する”ことを考えていた。ちょうどこの時、この学習者は邪悪に迫害され、一時的に関を乗り越えられず、いわゆる“保証書”もむりやりに書かせられ、数名の大法弟子の電話番号を言ってしまった。それで、邪悪は彼が歪み悟らず完全に基準に達していないと思い、その機会に乗じて彼を放して、そして彼と彼の電話番号を監視した。ところが、私たちのこれらの同修はこの方面においてあまり注意せず、電話の通話中に何でも言ってしまった。結局邪悪の隙に乗じられる機会を与え、手掛かりをたどって、数十名の大法弟子が逮捕され、いくつかの県の資料ステーションが破壊され、人力、物力は共に重大な損失を遭るに至った。

 師父は、「法を証明することは常人が行うことではなく、大法弟子だけがこのことをする資格があります。ですから、法を多く勉強し、法を多く勉強してください。もう一つ、私たちはどんなことをも正しく行うべきであり、本当に修煉者らしく行動すべきです。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。旧勢力は隙に乗じたら、いろいろなことをしかねません」と教えて下された。《2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説》そのほか、師父は、「皆さんはあることに気をつけるべきです。つまり、皆さんは法を証明しているのであって、自分自身を証明しているのではないということです。大法弟子の責任は法を証明することです。法を証明することも修煉です。修煉の中で他でもなく自我に対する執着を取り除くことであり、意識的にまたは無意識的に自分自身を証明することをかえって助長してしまうようなことをしてはいけません。法を証明することと修煉は自我を取り除く過程でもあります。これをやり遂げることができれば、本当の意味で自分自身を証明したことになります。常人のことを最終的に皆さんは放下しなければならず、常人の全ての執着を放下してはじめて常人から脱皮することができるからです」とも話された。《アジア太平洋地区学習者会議での説法》

 痛ましい教訓は私たちにもっとはっきりさせ、もっと理性を持たせ、「ため息を少なく、自ら省みて、正念を増やし、足りないところをはっきりと考え、さらに精進する」《洪吟(二)?理智、醒覚》、私たちに師父の教えをしっかり覚えさせ、法を多く勉強し、執着を取り除き、自分自身を証明する心を放下し、すべての常人の観念を放下し、法の基点から問題を考え、一切を法より大切にし、正法修煉の道の最後の時期の法を証明する道を正しく歩みましょう。

 知っている状況と修煉の次元に限りがあるので、この悟りに不適なところがあれば、どうか同修の慈悲をご指摘をお願います。


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/6/19/77442.html