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6月上旬8省12名の法輪功学習者が迫害により死亡

 【明慧ネット2004年6月17日】6月上旬、中国の安徽省、湖北省、湖南省、四川省、吉林省、遼寧省、広東省、海南省など8の省において、12名の法輪功学習者が迫害により死亡したという情報が伝わってきた。12名の氏名(敬称略)は、楊金英、王ケン、李震、陳暁芹、何少懐、荊淑花、林猶輝、汪亜萍、韓俊清、李岩松、史月琴であり、内7名が女性であるという。死に至った状況は、酷刑虐待による死亡、虐待に耐え切れず追い込まれての死亡、神経系薬物を注射され精神に異常を来しての死亡などである。これらの死亡者は、生前不法に拘禁され、精神的にも肉体的にも虐待を受けたことがある。

 以下12名の迫害状況について記述する。

 安徽省・楊金英さん:2004年1月公安局内で酷刑により死亡

 楊金英さん(女性・53歳)、安徽省亳州市チアオ城区観堂鎮周庄に居住。2002年4月、“610オフィス”と観堂鎮警察派出所の警官が彼女の自宅に押し入り、不法に家宅捜査を行った。さらに彼女を公安局に連行し、他の法輪功学習者の名前を告げるよう拷問に掛けた。楊さんが断固として屈服しなかったため、警察は彼女の両手に手錠を掛けて一昼夜に渡り吊し上げ、殴打した。亳州市政治法律委員会・徐乃亮、亳州市公安局政治防衛科警察官・袁レイ、王久山らが、楊さんへの迫害の首謀者であるという。

 不法監禁された1年8ヶ月の間、警官から虐待を受け続け、最後には全身不随となり、失禁状態となり、何も食べられなくなった。楊さんが瀕死の状態となった時にも、当局は不法に3年の刑に処することを宣告した。そして、初めて家族に重病による一時出所の手続きをするよう知らせた。直ちに亳州市恒康病院に入院したが、既に危篤であり、数日の後、死亡した。

 亳州市政治法律委員会(558-5515746)の一人が、楊さんが今年の春節前後に死亡したということを証言してくれた。

 湖北省・王ケンさん:2004年4月に満城刑務所内で死亡

 王ケンさん(女性・37歳)、修煉を放棄しなかったため、2004年4月24日、周建さん、張麗君さん、李氷寒さん、支翠琴さん、王紅英さんらと共に、定州市の610オフィスに逮捕された。刑務所内においても、修煉を放棄することを拒否し、政府及び刑務所の人々に真相を伝え続けた。2004年1月7日、それぞれ4年〜12年の判決を言い渡された。2004年4月26日、王ケンさんは保定市満城県刑務所内で突然死亡した。湖北省太行刑務所(0312-716-9999)の女性刑務官が、王ケンさんが刑務所内で突然死亡したということを証言してくれた。

 湖南省・李震さん:2004年5月国家安全局警察に迫害され死亡

 李震さん(男性・52歳)、元湖南省湘潭市科委器材会社の経理担当者、雨湖工人新村社区に居住。1997年より法輪功の修煉をはじめ、2002年2月に真相資料を配布した理由により、湘潭市国家安全局に不法に逮捕された。2002年2月2日午前9時ごろ、バイク運送の仕事で生計を立てていた李さんが、蓮城書店の前で客を待っているとき、30歳前後の一人の男性が彼のバイクで煤場に行きたいと申し出、バイクが完全に止まる前に、7、8名の国家安全局警察が一斉に李さんを取り囲み、連行した。警察は彼の携帯電話、運転免許証、現金190元、鍵等を奪い取り、免許証と鍵以外のものは、今日になっても未だ返さない。

 その後、国家安全局の警官・黄志、譚継剛は、大勢配下を連れて、李さんの娘を強行に連れて行き、家宅侵入した上、不法に家財を差し押さえた。出ていく際、娘に「貯金通帳はあるのか?」と言った。

 李さんは当初政治法律委員会に監禁されていた。警察は不法な拷問を行い、睡眠を与えず、資料の出所を教えるよう強いた。180cmもある屈強な警官殴られ、李さんの肋骨が折れた。国家安全局長の張は、「上から授けられた権力を行使すれば、お前たちなんかいつでもこの世から消滅させることができる」と言った。

 2002年2月10日、湘潭市三角坪留置場にいた李さんは、度重なる拷問虐待により、咳が止まらず、心臓の動悸は不安定となり、血圧が上がり、あまり食事を取れなくなっていた。3月28日、国家安全局により不法にも2年の労働教養を科され、湖南省新開鋪労働教養所へと移送されたが、労働教養所は、その無惨な姿を見て、受け入れを拒否した。そして、国家安全局に対し、省脳科医院で検査を受けるよう要求した。診断の結果は、心臓、脳とも異常だった。労働教養所は、心電図および脳波図を見て、再び李さんの入所を拒否した。このときになって、国安局は初めて李さんの家族に、4,000元の保証金を払い重病による一時出所の手続きをするよう通知した。

 家族がようやく3,000元を集め、さらに200元の検査費を払い、やっと解放された。しかし、自宅に戻ってはみたものの、受けた損傷は深刻であり、回復はままならず、2004年5月26日に死亡した。湘潭市国家安全局(732−2345980)の一警官が、李震さんが5月26日心筋梗塞により自宅で亡くなったことを証言してくれた。

 湖北省・陳暁芹さんは保定労働教養所で迫害され死亡

 陳暁芹さん(女性・年齢不明)、湖北省保定地区安国県南楼底郷八方村に居住。かつて末期ガンにより、医師から死の宣告を受けたことがある。陳さんは法輪功を修煉してから、まもなく不治の病が消えてなくなった。1999年7月20日後、陳さんは数回北京へ陳情に行った。2001年春、保定労働教養所に収容され、その後迫害により死亡した。

 安国県公安政治防衛科(312-3523900)の一警官が、陳暁芹さんの死亡を証言してくれたが、死亡時間は教えてくれなった。

 四川省・何少懐さん:2003年9月留置場で虐待され死亡

 何少懐さん(男性・53歳)、四川省射洪県金華鎮興隆街セメント工場総合ビル3-4-1に居住。何さんは面加工の仕事をしていたが、かつては病弱であった。法輪功を修煉してからというもの、体調が良くなり、毎日10時間以上働いても疲れを感じなくなっていた。法輪功が迫害されてから、何さんは絶えず法輪功の真相を伝えていた。2001年の春節、金華警察派出所の警官により、不法に射洪県留置場に送られ、21日間拘禁された後、7,000元を強要され、解放された。

 2003年7月朝8時半、金華警察派出所の範登朝、楊週二人の警官は、何さんの自宅で真相の資料を捜し出し、何さん夫妻を射洪県留置場に留置させた。半月後、何さんの妻は1,000元を強要された後、解放された。留置場を去る際の夫との一別が、最後の別れとなってしまった。

 2003年9月5日、警察は何さんの妻に、何さんが人民病院にいると騙し、連れて行った先は斎場であった。検死で何さんが無残に苦しめられ殺害されたことが発見された。胃の中には1粒の米もなかった。法医学者は、「ここ10日間ぐらいは何も食べていなかったはずだ」と言った。射洪県委員会の幹部は、事実を覆い隠すために、名目だけの“調査”を行い、3ヶ月の調査結果は、何少懐さんは病気があるのに治療せず、それによって死亡したということであった。病院の病状の証明書とは一致しなかった。

 吉林省・荊淑花さん:2004年5月27日迫害され死亡

 荊淑花さん(女性・56歳)、吉林省延吉市居住。2004年4月29日午前、龍井市公安局に連行された。警察は家族の面会を許可せず、荊さんの心臓病が再発したと聞き及び、薬品と衣類を持っていったが、警察に断られた。5月25日、荊さんは釈放され家に戻ったが、息の絶え絶えであり、家族が直ちに病院へと送り緊急措置をとったが、5月27日の夜明け方死亡した。

 延吉市610オフィス副書記・許正浩(0433-325-3446)は、荊淑花さんの死因についての意見発表を拒否した。

 広東省・林猶輝さん:2004年3月迫害され死亡

 林猶輝さん(男性・60歳前後)、広東省掲陽市掲東県錫場鞭尾村に居住。林さんは医師であったが、肺結核、心臓病などの多種の疾病を患っていた。自分の病気を治すことは出来ず、病床から起きることも出来なくなっていた。一月もの間、入浴することもできず、ぬるま湯で身体を拭くことしかできず、少しでもすきま風があると、寒さを感じた。彼は例えて、「女性の出産後1ヶ月間の養生よりも厳しい」と言った。その後、法輪功の修煉をはじめたが、1,2ヶ月で全ての病気がなくなっていた。そして、人に会う度に、「李洪志先生は私に2度目の生命を与えてくれた」と話していた。

 1999年7月20日、江沢民政権が法輪功を弾圧し始めてからというもの、現地の派出所の警官、治安管理員らが、頻繁に深夜に訪れてきては、家宅捜査をし、修煉を放棄させようとした。林さんが協力を拒否していたため、2001年の秋、掲東留置場に留置され、虐待され吐血するまで、解放してくれなかった。

 家に戻った後、暫く煉功と法の勉強をすることで、身体は健康を取り戻した。それをみた警察は、今度は洗脳班に連行しようとした。数人の警官が、林さんを引っ張っていこうとしたが、林さんは喘息の発作が起きる寸前であった。この様子をみて、彼らは静観するしかなかった。

 2003年9月頃、現地の派出所と610オフィスのメンバーは、林さんを連行して洗脳班へと送った。連行する際に取った手段は粗野で、野蛮であった。度重なる掻き乱し、脅かし、拘禁などの迫害により、林さんは心身とも極めて重大な損害を与えられ、持病も再発してしまった。洗脳班から家に戻された後、数ヶ月後の2004年3月4日に死亡した。

 湖北省・汪亜萍さん:2004年5月高陽労働教養所内で迫害され死亡

 汪亜萍さん(女性・47歳)、湖北省承徳市双橋区に居住。かつて骨肉腫と肝臓癌を患っていたが、1995年から法輪功を修煉し完全に治った。2001年1月1日、北京へ陳情に行った際、双橋支局国保大隊長の盧峰及び劉明成により、保定高陽労働教養所で、2年の労働教養を科され、精神的、肉体的虐待を受けた。電気ショック、体罰、休むことなく奴隷のように酷使され、睡眠までも与えられなかった。彼女は迫害に対して断食で抗議をしたが、無理矢理前歯をこじ開けられた為2本が欠落した。90キロあった体重が50キロまで落ちてしまった。2002年10月にやっと解放された。

 2003年6月、今度は真相の資料を配布している際、国保大隊長の盧峰に不法逮捕され、鹿柵子溝に位置する610オフィスの洗脳班へと送られ、その後保定高陽労働教養所に移送され、不法に労働教養2年を科された。半年も経たない内に迫害により、下半身不随となり、失禁状態に陥り、片眼が失明した。2004年1月、労働教養所は家族に対し、出迎えに来るよう通知した。汪亜萍さんは、2004年5月9日に死亡した。

 過去の過ちを悔い改めた韓俊清さん:2004年6月房山留置場内で迫害され死亡

 韓俊清さん(男性・47歳)、北京房山区に居住。韓さんは、長年現地一帯を取り仕切っているところの“ごろつき”であった。しかし、1999年7.20以前に法輪功を修煉しはじめ、自分の所行を全て改めた。法輪功が迫害されてからも、韓さんは修煉を堅持したため、不法に労働教養に処され、虐待を受けた。8ヶ月間収容された後、洗脳により“転化”させられた。過去のごろつきの品性がまた表れ、修煉を堅持している学習者に対し、怒り、めった打ち、針で刺す、縄で縛る、熱湯をかけるといった手段を使い迫害を行った。その非道な行為により、しばらくの間、大法を迫害する悪人として、その名が通るようになった。

 満期となり釈放され、家に戻ってきた後の韓さんの変化は、多くの人の想像を超えた。彼は真相を知り、過去の過ちを悔い改め、再び修煉に励み、一部の洗脳により“転化”させられた人に対し、真相を伝えることに努めた。今年4月、3名の“転化者”に経文を送る際、告発により連行された。

 その後、2004年6月初旬、房山留置場内で迫害により死亡したと言われている。真相については更なる調査が望まれる。

 遼寧省・李岩松さん:師を罵ることを拒否し2003年11月迫害により死亡

 李岩松さん(女性・57歳)、遼寧省大連市沙河口区に居住。2000年9月北京に請願に行った際、大連行きのバス停で、警官に大法創始者を罵るよう強いられたところ、拒否したため、連行され、その後労働教養所に不法収容された。労働教養所内で、酷い迫害を受けたため、糖尿病を含む多種の疾病が現れてしまった。労働教養所はやっとのことで、重い腰を上げ、重病のための一時出所の手続きをした。2001年4月に帰宅したが、2003年11月に亡くなった。

 海南省・史月琴さん:精神病院で強制的に薬物を注射され死亡

 史月琴さん(女性・30歳前後)、元海南省食料局勤務。1997年、法輪功の修煉をはじめてからというもの、健康になった。1999年7月20日後も、史さんは修煉を堅持したため、数回不法に家宅捜査をされ、連行され、また拘禁されて、酷刑虐待を受けた。2000年、相次いで2回北京へ陳情に行った後、海南省女子労働教養所に収容され、不法に労働教養を科された。

 労働教養所内では、非人道的な虐待を受けた。数日間も連続して昼夜睡眠を与えられず、本意ではない“三書(懺悔書、保証書、決別声明)”を書かされた。数日後、自分が書いた全てを無効にすると告げた。労働教養所は、再び昼夜ひっきりなしに洗脳を行い、再び“三書”を書かせようとした。しかし、史さんが修煉を続ける確固とした意思表示をすると、翌日に海南省の精神病院、安寧病院へと移送された。

 かつて、史さんは友人に「精神病院はあらゆる悪辣な手段を駆使した。私がこれを言えば聞くだけで怖くなる」と言ったことがあると言う。精神病院では、医師は史さんを精神病患者として扱った。彼女は、自分は法輪功を修煉するだけで、精神病ではないと伝えた。しかし、一人の医師は、「労働教養所が精神病だと言うならば、やはり貴方は精神病なのだ」と言った。そして、手足をベッドに固定され強制的に黒色の薬物を注射された。こうして数日間も連続して縛り、トイレにも行かせなかった。一人の医師は、「大小便で汚れても注射をしたくないというのは、精神病ではなく何なのか?」と言った。

 安寧病院は、1ヶ月余り強制的な薬物注射を行った後、史さんの姉に連絡をして、史さんを引き取りに来てもらい、そして、治療費として3,800元を支払わせた。中枢神経系を破壊する薬物を大量に注射されたため、史月琴さんは家に戻った後、精神異常行為が現われ、2003年3月6日朝飛び降り自殺をした。

 湖南省・羅巧紅さん:2001年12月追いつめられて死亡

 羅巧紅さん(女性・28歳)、湖南省チン州嘉禾県石橋貫生まれ。嘉禾はきわめて貧しい山村である。2000年10月、羅巧紅さんは家族全員と共に、北京へ陳情に行ったが、連行されて桂陽に拘禁された。7日間断食した後、嘉禾に移され、引き続き無期限に拘禁され、その間酷刑による虐待を受けた。母親、妹も無期限に拘禁され、父親と夫は不法に労働教養に処され、一歳にも満たない子供の面倒を見てくれる人はいない。

 身内らは、1万4千元の罰金を集めるため借金に奔走し、最後に養豚場まで売ってもまだ足りなかった。羅巧紅さんは、精神的な圧力と身体への苦痛を受けた上に、経済的にも極めて苦しい状況に追い込まれてしまった。解放されて間もなく、2001年12月5日に死亡した。


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/17/77277.html