日本明慧


私の声明

 【明慧ネット2004年6月9日】私張鵬は、男、29歳,湖南省衡陽市出身、広州市華南理工大学自動制御学部を卒業後、衡陽市南華大学(元中南工学院)の電気工事学科の教師として勤めていた。独学で弁護士の資格を取得し、衡陽市と広州市で弁護士の仕事をしていた。

 1999年法輪功を始めてから、現在まで、大法の奇跡を幾度となく感じたことがある。1999年7月,江沢民は個人の私利私欲と権力を満たすため、歴史でかつてなかった大規模な人権侵害を起こし、多くの善良な人々を迫害し、法輪功への弾圧を始めた。1999年10月、私は北京へ陳情に行ったため、不法に拘留され、衡陽市白沙洲の拘留所(麻薬中毒者治療所でもある)に監禁され、二週間後釈放されてはまた監禁され、このように三回も続いた。監禁期間に、麻薬中毒者の中に入れられた。悪警察に指図され、麻薬中毒者は私に体罰・苛めなどの苦しめを加えた。雪の日に裸にされ冷たい水をかけられたこともある。同時に、南華大学(元中南工学院)は強制的に私の人事経歴を記録したファイルを移動し、仕事をする権利を奪った。2000年1月まで私は親族の担保で出所したが、仕事もなく給料もなく、傷だらけになり、いつでも再び逮捕される恐れがある。私は余儀なく路頭をさまよう生活を強いられた。

 2001年2月、長沙市で再び不法に逮捕され、衡陽市公安局政保科の周著文、鐘智華らに残酷な拷問を加えられ、脅迫された。衡陽市公安局の招待所、衡陽市第一拘留所、長沙市にある公安局庁の拘留所、衡陽市第ニ拘留所と転々として監禁された。11月2日、他の二人の修煉者丁時坤、李学先と一緒に雁峰区法廷で「裁判」を受けた。法廷上で、私たちは無罪であり、いわゆる「証拠」は公安の人の残酷な刑罰、脅迫の下で作られたもので、法輪大法を迫害するための口実であり、修煉は間違っていない、世の人々に私たちの迫害事実を伝えるのも罪ではない、私たちは無実であると、私たち三人は陪審員を正面から厳しく宣告した。

 9日、私はでっち上げられた罪で10年間の懲役を言い渡され、丁時坤と李学先はそれぞれ9年と7年である。私たちは判決書を受け取ることを拒否した。更に多くの人々に法輪大法の真相を知ってもらい、邪悪な者が大法と修煉者に加えた迫害を暴露し、大法と私たちの名誉を挽回するため、私たちは衡陽市中級人民裁判に控訴し、全社会の支持と注目を呼びかけた。

 12月24日、長沙市中級裁判所は再び裁判を行った。裁判所はこの裁判を傍聴することができると事前に公告したにもかかわらず、当日の午前、裁判所のパトカーで私たち三人を裏口から裁判所内に送り、地下にある一室を裁判室で裁判を始めた。裁判中、私は善と慈悲の心を持ち、裁判に臨んだ。同時に法輪大法を修煉することによって出てきた威厳と正義をもって、裁判の“判決書”の間違いを指摘した。例えば、 認定された事実が嘘偽りであり、証拠が不法な手段で得られたもので、法的な手続きは完全にまちがっているなどなど。真実を明らかにするため、私たちは裁判官に、判決書に書かれた証人及び公安関係者及び、私達が迫害と拷問された現場を目撃した拘留所の職員に対する証人尋問を行うよう求めた。また、その場で私たちの傷を検証するよう要求した。

 私たちはここで厳粛に声明する:真理は反駁と検証に耐えられるものであり、真相は公開してもよい透明なものである。正なのか邪なのかは、善の念を持つ人々によって見分けられるものである。私たちに関するすべてを全社会に公正でありのままに公開されることを望んでいる。裁判官は私たちの請求を考えると返答した。

 法輪大法は宇宙の大法であり、大法と大法弟子を迫害するすべての邪悪は恥ずかしい結末を得ることになる!

                                     張鵬
                                  2001年12月25日


 2002年1月22日、市中級裁判所は一審判決を維持する通知が届いた。25日、丁時坤は長沙女子刑務所に送られた。その後張鵬と李学先は湖南省エン江市赤山刑務所(湖南省第一刑務所)に送られた。赤山刑務所で、張鵬はいわゆる「転向」を拒否し、修煉を続け、迫害に強く反対し、真相を伝え、何回も断食をもって大法と大法弟子への迫害に抗議した。

 張鵬自宅の電話:0734-8123471

 衡陽市公安局政保科警察官周著文:0734-8225884転2514

 衡陽市第二拘留所羅所長の携帯:0138077347547


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/9/76685.html