日本明慧


内に向かって探すことで魔難から抜け出すことができる
—私と同じような大きな間違いを犯した同修たちへ

 文/日本法輪功学習者 心語

 【明慧ネット2004年6月25日】

 私が2003年2月12日に国安特務に不法に拘留され、そこで修煉しないとの保証書を書き、釈放されて日本に帰ってから後、私は終始本当に苦難から抜け出すことができなかった。邪悪はずっと私から離れることはなく、また邪悪の各種の妨害による迫害から抜け出すこともできなかった。非常に苦しく、今日に至って初めて、私は自分が長期に亘って陥った魔難の根本的な原因を探し出すことができた:私の修煉の基点は全く私のために、自分のためであったからであり、法を実証する中で私の正しくない私心(自分の威徳を樹立するために正法から得た)により邪悪が付きまとい、私に対して各種の妨害の口実となった。私がこのことに気がついた時、眼前にある濃霧は一瞬に消え去り、苦痛はすっかり無くなった。自分の歩んできた道を振り返えるとそれは非常に明確である。

 私は大きくもんどり打った。修煉者として許されがたい過ちを犯した—魔窟から逃れて日本へ戻り自由を獲得するために、師父を裏切り、同修を裏切り、友人を裏切った。私が裏切った人数が多いか、少ないか、彼らの障碍となったか否かに拘らず、その性質は皆同じである。しかし、私は面子のために恥ずべきその恐れる心のために、自らの正念を放棄し、邪悪に協力した過程はもう一秒たりとも思い出したくなかった。まさにその通り。日本に帰ってきてから、彼らが要求したように日本の情報を提供することはしなかったし、大法および同修たちに申し訳ないことはしなかったが、しかし、心の中では自分の犯した過ちを直視することができず、省みようともしなかった。従って、それ以降新たに法を正す過程の中で、妨害がしばしば現れた。その邪悪の魔の手が終始私に付きまとい、私を死地へと追いやろうとした。

 当初明慧ネットで国安特務の迫害を暴露する文章および厳正な声明を発表した時、自分の恐れる心のために犯した過ちを隠すため、自分が大法へもたらした損失を言い逃れるため、私は文章の中で多くの部分を、自分が如何にして正念を持って彼らに真相を伝えたかを強調して書き、如何にして食事を絶ち、水を絶ってまで邪悪に協力しなかったかを書いた。あたかも私が非常に偉大であるかのように。自分の恐れる心のために犯した過ちについては非常に軽く触れ、まるで自分が妊娠したため仕方無く選んだかのように弁解した。しかし、これはまさに過ちの上にさらに過ちを犯すことになった。問題が生じてきてから自分の根本的な原因を探し出すことを知らずに—正しくない心、この正しくない心こそ問題の根本であった。

 着実に修める基礎ができていなかったため、私は実に人間の幻想を抱いて強烈な恐れる心で真相を伝えようとした。本当の信とは全く知らないも同然であった。師父の法を百回以上も読み終えたことで、もう他の人が犯すような過ちは犯すことはないと勝手に思い込んでいた。しかし国安特務と直面した時、私はただ自分が口を開いて真相を伝えれば、彼らは必ず即座に私を釈放するだろうと考えていた。しかし、現実は私の想像とは全く異なり、私がどんなに明白に、はっきりと真相を伝えたところで、彼らは全く聞こうとしなかった。彼らはただひたすら私に真相資料の出所を言うようにと求めており、ただ学習者リストに興味を持ち、ただより多くの大法弟子を見つけ出すことにのみ興味を持っていた。私は不安を感じるようになり、ひいては自ら邪悪へと転向してしまった。最後に“特務になるか、海外に出るか”の選択肢の前で、狼狽しながらも所謂自由を獲得した。

 しかし、私は本当の自由を獲得することができなかった。私は自分が師父の慈悲を利用して、故意に過ちを犯しているのを知っていた。従って、日本に戻ってからも、私は同修たちと直面する勇気がなく、大法の本をも読めず、師父の写真を正視することもできなかった。しかし、ここまで落ちたにもかかわらず、師父はやはり絶えず私を助け、暗示を与え、最終的には私はやっと自分の過ちに直面することができるようになり、暗い心裡状態から脱出できるようして下さった。

 ここで私は自分が日本へ逃れてから、師父が如何にして私を魔難から救い出してくださったかの過程を振り返って再現しようと思う。

 やっと日本の自由な空気が吸えるようになった。エアポートに来た夫はすぐに、私にもうこれ以上修煉者とは接触しないと決心するように求め、いかなる大法の活動にも参加することを許さず、さもなければ離婚すると強調し、聞き入れなければ、ビザが期限になれば一人で実家に帰るように、もう彼の両親に迷惑をかけることがないように、お腹にいる子供はどうするかは自分で決めるなどと強い調子で要求した。

 その時私は自分が世界でも最も厳しい苦難を受けたのだと感じ、全世界の同情を買ったのだと思い、自分はこのような圧力の下でも“不動”であり、大法を選んだことを偉いとさえ思った。しかし、実際私はこの自分にも気づかない心を隠していた。それは:同修は必ず私が苦難にあった時には私のために難民ビザを申請しくれるだろうと、夫がいなくても心配することは無いと思っていた。つまり私のしっかりした不動な信念とは後ろ盾があることであり、本当に生死を放下したのではなかった。私は師父に依存し、同修の援助に依存してなお全然気づかず、意識していなかった。しかし邪悪はそれをしっかりと鮮明に見ていた。私をどうすることもできないような境地へと追い込もうとした。

 お互いにわだかまりがある状態の時、ある同修が私の家に来た。絶えず私を励まし、法理をもって啓発しょうとし、私はそれに応えるように、迫害のことをネットで発表して厳正な声明を出した。師父は私に新たな機会を与えてくださった。しかし、道は必ずしも平坦ではなかった。なぜなら私は文章の中にも自分のどこが間違っていたのかを認識することができなかった。自分を反省することができず、ただお腹の張ったような苦痛と不満を常に抱いていた。

 お腹にいる子供のため、夫は私を見捨てることはできなかった。私の生活とビザには保障があった。そこで外に出て法を正したが、しかし、帰宅する時は、夫が自宅に電話をして私の行き先を調べていたのではないかと恐れていた。そして最終的には発見された。夫はどうしょうもなく、妊婦に対して怒りをぶつけることはできなかった。私は表面的にはまた関門をくぐり抜けることができたように思った。その時は自分が苦難を恐れないことに感動したのだった。毎日外で法を実証すれば邪悪は私をどうすることもできないとばかり考えていた。しかし、自分の正しくない心を捨て去らない限り、邪悪は決して自分を見逃さないということを知らなかった。

 夫からの圧力が緩和され、やっと妨害なく外で自分のやりたいことをやることができると考えていた頃、子供に絶えず病気の症状が出てきて、常人の子供以上に酷かった。風邪で熱が出ていた。その時、私は一方で夫が子供の今後の問題にどう対処するかを問い詰め、もう一方の心の中では師父に助けを求めて、発正念を絶たなかった。この過程の中で私のあまりにも多くのものを失った心が隠されていた。私の新たに生まれた私心を意識することができず、そのために苦難の中で真相を伝え、正念を発するのは皆自分のためであり、本当に衆生に慈悲であるのではなかった。

 子供の症状は3ヶ月ばかり続いてからだんだんとよくなったが、しかし、私も油断するようになった。まだなぜ子供の病気の状態がこんなに長かったのかをしっかりと考えなかった。なぜ正念を発する効果が良くないのか、なぜ他の同修のように法を実証する時、そして大使館で正念を発すると子供がよくなるようなことがなかったのか、なぜ自分の子供への表れが常人の子供よりも悪かったのかをしっかりと考えなかった。

 夫は私を阻止するため、最初は子供が大法に触れることを反対するのを理由にして、私が外にでるのを妨害しょうとした。私がどのように大法のために弁解しても通用しなかった。すぐに喧嘩になる。子供に法を学ばせるために私は常に神経質になっており、彼と言い争っても結果が出ず、私はどうすればいいのか分からなかった。支障の中で支障を解決しょうとしても、何も見つからない。仕方なく外で法を実証するため、常人の方法をもって夫からの阻止に対処することしかできなくなった。彼を騙していろんな理由を探していた。その時私は自分が法の中で修めていないのに、大法の威力はなぜ私の身に現れないのか、なぜ体験できないのかと考えていた。この過程の中で、私は全く自分の正しくない心を探し出し、そして内に向かって修めることが、問題を解決する方法であることに気づかなかった。ただひたすら外に求め、夫と子供のせいにして、妨害されるといつも正念を発することしかできなかった。今になって初めて問題は自分の正しくない心にあることに気がついた。自我の利益のための私心が原因であった。ただ自分を修正することで、初めて本当に邪悪の迫害を認めないことになる。

 その時同時に現れてきた妨害もたくさんあった。夫が仕事を失う危険性があり、また、私が子供を生んでから直ぐに、夫と私の世話をするために日本に来ていた父母が中国に帰るとか、私一人を日本に残し二人の子供を連れて帰るとか、長男の保育園も辞めさせるなどと彼は言った。あの時は本当に天地に向かって叫んでも返事はなく、何の効果もなかった。

 その時の私は、夫と夫の両親に対して善の心を持って対処することができなかった。法の実証を阻止されるのを恐れて、私は至るところに防波堤を作って、本当に心身ともに疲れきっていた。しかしながら、実質的には同修に遅れることを恐れ、時間を遅くしても自分の過ちを繕えないのを恐れていた。正法の中で威徳を積むことができず、失ったものを取り戻せないのを恐れていたに過ぎなかった。従ってどんな人でも私の身の周りにいると必ず障碍だと看做した。常に心を煩い、善念も無くなってしまった。心の中ではどうすれば自分が障碍なく歩めるのかだけを考えていた。しかし結果は往々にして障碍を強めることになり、願いと逆の方向へと進んでいった。苦難の中では何も顧みることができず、何をしても思い通りにいかず、何も聞き入れられなかった。ただ自我に執着し、気持ちの度量も狭くなり、魔難の悪循環となった。

 その後、指導教官から4ヶ月後に夫に仕事を辞めさせるとの正式の通知があってから、彼の帰国の決心は私の帰国しない決心と同じく強くなってきた。私はまた争う心が生じてきた。お腹が一杯に膨れるような怒りと不満を持った。私が帰ると再び捕えられるのを知っていながら私を捨て去り、私の苦難を知っていながら何も助けてくれないような人は夫として最低だと思い、心の中では私を保護しないのは大法弟子を保護しないことであると思い、私が彼を残そうとするのは彼のためであり、彼の将来を自分の最も良い位置に置くようにしているのだと考えていた。実質的には夫をビザの獲得のための後ろ盾にしようとする私心を隠していたのであった。一人で困難と直面するのを恐れていた。このような私心のため、夫の言行は異常になり、私の願いに反して行動していた。しかしその当時の私は理性的に内に向かって探すことができず、また苦難に陥った。

 彼は子供を連れて帰ると言い、私はいつも反対していた。彼は理解できないといった。私が自分一人だけでもやっていけないのに、子供を連れてどうすることもできないだろうと言った。その時の私は単純にも難民申請は必ず成功すると考えていた。それにこんなにもたくさんの大法弟子がいるのだから、必ず私を助けてくれると考えていた。そこで私は急いでかつて難民ビザを申請した同修を探して、自分のこの難題を解決してくれる着実な方法を探そうとした。私のいらいらは明らかであった—ただ常人の方法を通して自分の道を正すことしか念頭に無く、ただ同修に依頼し、ひいては日本政府に依頼する心も混じっていた。ともかく、今回の事件を通して私はこの難問を解決し、自分も楽に法を正したいという心が現れていた。

 本来は難民のことを通して、夫にも大法が日本政府の中でどれほど受け入れてもらえるのかを示したかった。日本政府がどれほど大法弟子に同情し、支持してくれるかを伝えたかった。しかし却って夫に自分の恐れる心を暴き出された。彼は私に:“それじゃ国内で修煉している人たちはなぜ出国しないのか? 実は帰るにしても帰らないにしても、例え、あんたは帰らなくても、帰って直面するだけの心構えが必要ではないか? それに法輪功を修煉することで難民の申請が容易に取れるようでは、却ってたくさんの人たちがビザを獲得するために、法輪功を修煉していると偽証するのではないか? こんな甘いことあるもんか?”と言った。夫の話を聞いて私は考えた:確かに、私は金剛不動な確固とした心を修めるべきである。恐れる心を放下し、帰るのか帰らないのかは自分の選択であり、迫害を逃避して帰らないのではない。どのようにすると正法に更に有利になるのかを見るべきである。

 しかし法理は分かっても、まだ心を放下することはできなかった。その時の私は自分の見解に固執していて、常に良くない心で他人の心の動きをみていた。夫の私への善意にも気づかなかったし、彼の両親の善意にも気づかなかった。ある事件が突然起きるまでは私の目が覚めることはなかった。

 長期に亘って状態が悪く、子供を奪い合っているようなこんな時に、私に重い熱と咳の症状が出た。熱は39度6分にも上がっていた。子供の世話は全く見られなくなった。隣人までも助けに来てくださり、夫にも影響を及ぼした。私は始めて自分のちっぽけな力の儚さに気づき、心を静めて自分がなぜこのようになったのかを考えねばならなかった。それは:自分のこともできないようでは、ビザも保障されない現状で子供を育てることができるのか? 他の大法弟子に依頼して二人の子供の世話をしてもらうことはできない。みんな大変なのだ、私だけが厳しいのではない。私の執着は他人にも影響を及ぼしている。自分が法を正すことができないだけでなく、他の人が衆生を済度する正法にも妨げとなる。なんと罪の大きいことであろうか。 且つ子供の世話もよく見られないため、夫も安心して子供を私に託すことができない。本当に自業自得である。

 ある時夫と電話で喧嘩をしたことを思い出した。私は自分の産んだ子供をなぜ彼に託さなければならないのかと言い、私には子供以外に何もないと主張した。彼は却って:“俺だって、俺だって、俺だって、何か子供はあんた一人のものか。俺が産んだのではないとか、すべては俺のことばかり言っている。あんたには自分のことしかないのか”と言った。その時私の心は震えた。そこまでしても自分の執着を正視することができず、いまに至ったのである。

 同修も時に電話をかけてきて私に常人と争うべきではないと指摘し、善念で他人と接し、修煉者の基準ですべてのことを処理すれば、争うことなくすべての矛盾は自然に解決することができる。師父も私たちを支持してくださると言った。同修の話や自分が熱で倒れたことから、私はもう一人では魔難から抜け出せないと感じた。放下することができなければ、何も得られない。どうして放下することができないのか、捨て去れないのか、前に進む勇気がないのか?

 それから心を静めて法を学んだ。すぐにどうするべきかを悟った。私は師父の要求されたように先ず他人のことを考慮する。それで心は突然楽になった。夫とその両親が体調不良になり他人を必要とする時に、私はその両親の世話をするために一時帰省して、私のことは心配ないと彼に説明すべきであった。子供はもし彼が負担にならないと思うのなら連れて帰っても良い。彼は子供の父親であり、子供の前途を考え、子供のためである。この時から私は夫の出発点は決して悪意ではないのに気づき始めた。彼の両親が彼を必要としているのも事実であり、彼も他人に差別されるのに嫌悪感を抱いており、できるだけ早く帰国したい気持ちも分かる。そこで私は決めた、心を放下して、彼が子供を連れて帰ることに同意した。そして彼に自分が最近よくできていないことを謝った。自分が修煉者であることを忘れ、彼と争うことはよくなかったと。彼はこれを聞き大変感動し、自分の気持ちを理解してくれ感謝していると言った。

 子供の事は終わったが、しかし難民ビザの問題があった。夫はある夜私と大変長い時間をかけて話し合いをし、難民の二文字はどうも聞き入れ難いと言った。なぜ他の方法を考えなかったのかと、例えば就学、就職などの正当な方法でビザを取れば、将来彼は子供を連れて親族を訪ねる理由で来ることができると、さもなければ子供がその母親に会えないのは可哀相だと言った。私はその時自分のやろうとしたことに執着していたため、彼が理解してくれないのではないかと恐れ、日本語ができないからと言った。これを聞くと彼はすぐに私を修煉者らしくないと言った。“師父の顔をつぶした。常人ですら克服できる困難なのに、なぜこんなにも学習を怠けて、努力を惜しんでいるのか? 日本政府が難民ビザを出してくれるのを待つだけで、それでは日本に迷惑をかけているのと同然ではないか? 日本は本来の殖民地国家ではなく、そうたやすく難民ビザを出してくれないとあんたは言うが、それならなぜ日本社会に貢献し、日本政府の負担を軽減しないのか、特技でもあれば、会社に行き日本社会に幸福をもたらすこともでき、あるいは会社を設立して政府の就職難を解決してあげたら、喜んで迎え入れてくれるではないか? 必ずあんたにビザを授けることだろう。なんと怠惰なんだ、あんたは、・・・軽蔑するしかないじゃないか”

 私は彼の話を聞き終えてからの驚きをここで表現することはできない。私は自分が怠惰だなんて、日本政府に対して依頼心を持っていると考えたこともなかった。しかし、夫ですらこんな風に私をみているのなら、常人もきっとそのように考えているだろうと思った。私は修煉者として、常に他人のために物事を考えるべきであり、ここでは却って日本政府に迷惑をかけることになるのではないか? 真相を伝えること自体は間違いではないが、しかしその背後に私心を混ぜたに違いない。私は果たして本当に真相を伝えているのか、それとも真相を伝えることを口実としてビザを獲得するためなのか?

 私はもうこれ以上考える勇気も無くなった。長い間沈黙を保ったままでいた。彼は私が何も言わないのを見て、続けて:“私は本当にあんたのために考え、あんたのために焦っているんだよ。あんたは最初から自分でこの問題に直面しようとしなかった。常に私に頼ったままでいた。あんた一人では本当に安心することができないな。ここであんたに必ず厳粛にこのことに対処するように注意してほしい。将来のことも考えてほしい”と言った。夫の非常に厳粛な表情を見て、私もようやく落ち着くことができて肯いた。最後に彼は:“私も帰国すると言ったが必ずしも帰国するとは限らない。そして最終的には本当に帰国するとも限らない。しかしあんたは必ず真面目に自分の行いを考えなければならない。すぐにカッとなるな、そしてまた自分は修煉しているとか言っても、心を穏やかにして落ち着くこともできないようでは駄目だ。私が帰国しなければあんたも心を煩うこともなかろうに、しかし、私が言いたいのは、人はそのやったことに責任を取らねばならない、あんたはこの道を選んだからには、その責任をとるべきであり、誰かを頼ってはならない。夫も頼れないし、自分でなんとかしなければならない。”と言った。

 私は彼の善心を感じるようになり、私の放下しない心のことで彼は焦っていた。私はすぐに師父の暗示だと分った。その時の私は牛の角に首を突っ込んだ状態だった。師父は私に修煉に対して厳粛な気持ちで対処し、自分の一年前に犯した過ちの結果の責任を負わねばならないと教えられた。就学だろうと就職だろうと、夫が帰国するにせよ帰国しないにせよ、このことは重要ではなく、重要なのは私が自分の犯した過ちに責任を取る心を持たねばならないということである。しかし、私は却って正法を口実に自分の惰性を隠してまで、自分の犯した過ちの責任をとろうとしなかった。神の目から見るとなんと私心が強く、どれほど人から軽蔑されることだろうか。これでは大法の顔をつぶしているのではないか! 彼が私に敬服することがあるだろうか? 誰が自分に同情してくれるだろうか? ただひたすら後ろ盾を探していたのであり、これは全く修煉者の成すべきことではない、常人の良い人にも及ばない。誰がこのような私心の強い、そして反省を知らない者を保護するだろうか?

 一瞬私は自分の執着心を見ることができた。このことにどう対処すべきかを知った。それ以来夫は変り始め、日本のある会社に面接を受けに行った。私の心も彼の仕事のことで揺れ、よろこんだり、また恐れたりする心も起きてきた。私の心が正しくないと、彼はすぐに変わってしまい、中国へ帰ろうとし、私の心が正しくなると、彼はまたすぐに私から離れたくなくなる。なるほど私の心こそが自分に関係のあるすべてのことを左右しているということが分った。なんと明確に現れることか。すべてのこと、すべての魔難、すべての問題は私たちの修煉のためにある。師父は決して私たちの修煉や向上に関係のない単純な問題の存在を許されない。私は突然修煉の本当の意義が分った。どんなに神聖なことであろうと、師父は必ずそれを利用して私たちの心を暴露し、その心を捨て去らなければ、師父は私たちのために決して解決してくださらない。従って長期に亘って魔難に陥ったままでいた。

 確かに邪悪は私の捨てることのできなかった心を以って、私を一年間も妨害したが、しかし、最終的に私は内に向かって探すことを知るようになり、法理で以ってすべてのことを把握することができるようになった。修煉もだんだんと苦痛から楽しみへ変わっていった。今の私は純正な心で大法を実証することの重要性が分かるようになった。自分への妨害を減らすばかりでなく、大法を実証する中でもより大きい作用を発揮できる。

 一瞬にして私は自分がなぜこんなにも大きな間違いを犯したのかを知った。私は本当に着実に修煉していなかったために、恐怖心があり、人心がたくさんあったからである。今になってやっと分った。大法を実証する中では、いかなる不正な心であろうと必ず間違いの元となる。長期に亘って内に向かって修めなければ、必ず大きな過ちを犯すことになる。

 今の私の夫はもう依然の彼とは違っている。昔は彼と争うような問題でも、今では彼の方から私の言いたいことを言い出すようになった。彼は全部知っていたのである。六四事件の真相も、大法が迫害されている真相も皆知っていた。そして自ら私の同修に電話をかけて状況を知ろうとしていた・・・。私の心が宇宙の法理に背いたために、彼は常に私と協調しなくなっていたのである。言い換えれば、私は自分で自分にたくさんの苦難を作り出し、また夫と子供も巻き添えにした。修煉はかくも厳粛なものである。法理に背いて何かをなそうとすると必ず反作用を起こすことになり、自分の意思に反し、至る所に妨害が生じてくる。

 ここで師父に、私に励ましと援助を与えるよう同修に按配されたことに、感謝の気持ちで一杯である。



 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/25/77797p.html