日本明慧


病気業力の苦難の中に置かれた学習者よ、早く目を覚まそう

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2004年6月26日】ネット上で何度もこのような文章を読んだことがあるが、病気業力の苦難の中にありながらもまだ目が覚めていない同修がとても多い。しかも今日私はある同修の不幸な知らせを聞いた。彼女は今日の午後亡くなった。本当に、私は心の底から彼女の死が悔やまれてならない。

 この同修は二回師父の説法クラスに参加しており、以前はずっと現地の指導員を務めており、しかも現地の同修はいつも彼女に敬服していた。今回私たちに残した痛ましい教訓はほかでもならぬ彼女が最後まで師父と大法への信仰を堅持していないということであった。

 病院は彼女が白血病を患っていると診断した。同修たちはそのことを知り、しばしば彼女の家に行って法を学び、正念を発し、交流を行った。しかし、彼女が常人の物を持って下ろさず、何度も輸血を続けた。数名の同修が初めて彼女と一緒に正念を発した時、著しい効き目が現れ、体が元気になり、朝の煉功ができるようになり、夜もよく眠れるようになった。ところが、数日後、彼女の状態が再び悪くなった、なぜなら彼女は心の中に病気を捨てることができず、輸血の効き目が現れたと思いこみ、彼女は既に輸血に執着しているのであった。同修たちは何度も交流したが、彼女は相変わらず目が覚めていなく、学法しながら輸血を続けていた。つまり、片手が常人をつかみ、片手が仏をつかんでいるようなもので、だれが面倒をみてくれるだろう?師父は《心自明》の中に話された、「生死は大げさに語るようなものではなく、できるかどうか真相の時を見る。」もし生死を捨てられれば、輸血しようとするだろうか?私たちがもう少し掘り下げて考えれば、師父と大法への信仰を堅持していないでしょうか?その血はあなたが求めてきたものではないか、あなたがほしいものだろうか?他人のものを持ってきて、自分の身体を乱したのではないか?こうすると、危険がないだろうか?師父は何度も言われて、修煉こそ厳粛なことだ。“この宇宙には「自ら求めるものには誰も干渉できない」と言う理があります。あなた自身が求め、希求していれば、誰も干渉できません。わたしの法身はあなたを止めたり、悟らせたりをしますが、いつまでもそんな状態にいると見れば、むりやり修煉させるわけには行かず、あきらめざるを得ません。強制的に修煉させることはできないのです……あなた自身が欲しがっているから、法輪もわたしの法身も干渉しません。これは絶対です。”(《転法輪》218ページ)

 病気業力の中に置かれた同修は目を覚ますべきだ!現在には正法の時期であって、個人修煉の段階ではなく、私たちは師父が話された三つの事をすべきだ。7・22の後、師父は私たち個人に関所と難儀の段取りをつけてくだされていないので、それは全て自分の執着でもたらしたもので、私たち自分の病気業力の関所ではなく、即ち黒い手の迫害であった。この点に対してはっきりしなければならず、旧勢力の手配したものを一切徹底的に否定して、師父が段取りをつけられた道を歩み、正しい念正しい行いで進む。強大な正念を発し、私は何も要らず、師父だけのものをもらうとしている。私は李洪志師父の弟子であり、正法時期の大法弟子であり、誰も私を迫害する資格がないと思いながら、師父の正法口訣を念じる。常にこのような正念を発すことができれば、あなたに動揺を与えるものなどいるだろうか?もし黒い手が引き続き迫害したがるならば、師父は許さない。師父は《洪吟二•師徒恩》の中に、「弟子の正念が強ければ、師に回天の力がある。」と語られた。

 私達はできるだけ早く難儀の中から抜け出したければ、まず自分の執着していることを見つけ出す必要がある。すべては執着心によってもたらされたものだ。師父は《洪吟(二)》の中、何度も話された、「修煉は難しくないが、心を取り除き難い。多くの執着はいつになったら断ち切ることができるのだろうか」、「執着事を静かに思い、人間の心を取り除けば悪は自ずと衰えてしまう」、「如何なることにも執着がなければ、道は自ずと開いてくる」 難儀の中の同修たち、一刻も早く目が覚めよう!あなたは今日に認識ができたら、今日に師父が手伝っていただける。師父は《2004年シカゴ法会での説法》で話された、「多くのことは皆さんにはできないのですが、師父にはできます。しかし、師父がどのようにしてあげるのでしょうか? 師父があなたと接触すれば、取り除かれてしまうということではありません。あなたが正念を堅め、執着を排斥することができるとき、私は少しずつ少しずつ取り除いてあげています。あなたにできる分を私は取り除き、その分を消してあげます。(拍手)しかし、修煉者として言えば、あなたは本当に修煉者のように自らに要求しなければなりません。」 病気業力の苦難の中に置かれた大法弟子よ、師父はこんなにも私達に大して慈悲を示してくださり、ほかでもなく私達の心を見ているのだ!私達は捨てられないことがまだ何があるだろうか?師がいれば、法があり、何に怖がるのか?自分の過ちを責めてはならず、自暴自棄になってはならず、消極的に耐えてもならない。忘れてはいけないことは、私たちは金剛の悪くならない体であり、人間の法を保護する神さまでもある。正法が終わる時こそ、私たちは離れることができるわけである。私達は全体で昇華し、全体で終わるということである。私達の体はなんと貴重なことか!私達の肉体だけが、常人の社会の中で世の人を救い済度ことができ、常人の社会の中で私達の三つのことをしっかりすることができる。師父は《2004年シカゴ法会での説法》で「教訓の中で更に理性的かつ冷静になり、今まで以上に正しく歩み、更に多くの衆生が救われるようにする」と話された。また《正念で黒い手を根絶する》の中、“これ以上邪悪に隙に乗じられないようにし、人間の執着に妨害されないようにしてください。大法弟子が行うべきことをしっかり行い、最後の道をしっかり歩み、正念をもって正しく行いましょう”とも語られた。

 最後に師父の《洪吟(二)》中の詩句でみんなと互いに励まし合いたい。

 「世の中の執着ごとに迷わず正念を固め 古から今日までただ今回のためだけ」《洪吟二、梅》
    
 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/26/77978.html