日本明慧


内モンゴル赤峰市5名の法輪功学習者が逮捕され、
2人が虐殺され、1人が生活上自立を失う

 文/内モンゴル赤峰市の法輪功学習者

 【明慧ネット2004年6月29日】内モンゴル赤峰市の大法弟子鄭嵐風、周彩霞、段学勤、田素芳、王志東等5名は1年前に赤峰国安大隊の警察に不法に逮捕され、現在2名が迫害より死亡し、1名が生活上自立出来ない状態となり、他の2人は不法に重刑を言い渡された。

 2003年2月11日、内モンゴル赤峰市の大法資料点が破壊され、5名の大法弟子がそれぞれ市の園林路留置場と赤山区留置場に拉致された。周彩霞と段学勤は園林路の留置場に拘禁され、鄭嵐鳳、田素芳、王志東は紅山区の留置場に拘禁された。

 鄭嵐風は3週間も経たない内に殺害された

 鄭嵐風は内モンゴル赤峰市紅山区常青街の貯蓄所ビルに住んでおり、「真、善、忍」の大法修練を堅持した為、2000年末に江氏集団に連行され、土木吉労動教養所で一年間の労働教養を受けたことがある。

 鄭嵐風は2003年2月11日に紅山区留置場に拉致され苦しめられていた。2月27日の夜、鄭嵐風と同じ牢屋の15号囚人が「鄭嵐風は高熱を出している。もう駄目かも知れない。」と叫びながらあちこち呼びかけたが、誰にも相手にされず、却ってひどく怒られた。28日の夜明けの3、4時頃、15号囚人が、「鄭嵐風はもうだめだ!」と叫んだ。暫くして、凶悪な警官がドアを開けて見てから、彼女の手足に掛けてあった手錠を外した後、各牢屋のドアをロックし、部屋からの出入りを禁じた。

 数日後、凶悪な警官は、鄭嵐風は病死だと嘘を付いたが、同室の人によると、鄭嵐風は死亡の寸前まで胃にホースを差し込んだままで、しかもすでにぼろぼろになっていた為抜くことさえ出来なかったという。

 凶悪な警察は2003年3月5日に死体を赤峰市の第3病院に運んだ後、やっと家族に通知を出したのだ。家族が彼女に寿衣を着せる時に、死体の背中が青紫色なって居るのを見て、それは酷く殴られた傷跡であることを知ったという。家族が死体に寿衣を着せている間も、数名の警察が傍に並んでいて、同僚や他の大法弟子が近付けないように見張りしていた。出棺時は、2台のパトロール・カーが同行していた。

 周彩霞は8年懲役を言い渡され、投獄された数日後に吊上げられて死亡

 2003年2月11日に周彩霞は留置場に誘拐されて苦しめられていた。彼女は迫害に抗議し断食を行なった為、留置場では長期にわたり彼女の胃にホースを差し込んだまま、寝床に手錠を掛けてから、毎日7、8人の刑事犯を命じて灌食(鼻孔栄養)を行い彼女を苦しませた。罵られることや、殴られることは日常茶飯事で、彼女の体は壊されて、いつも血を吐き、2人に支えられないと歩くことさえ出来ない状態になっていた。

 周彩霞は不法に8年懲役を言い渡され、2003年7月に内モンゴルの第4女性刑務所(保安沼監獄)に投獄された。周彩霞は洗脳迫害に抵抗し、大法の修練を堅持したため、刑務所の警察らに手錠を両手足にかけられ、大きな煙突上釘に吊り下げられて、体を伸ばすことが出来なかった。残忍非道の体刑に苦しめられながらも、周彩霞人に会う度に「法輪大法は素晴らしいですよ!」と言い続けた。

 保安沼刑務所の副所長周建華は彼女をめった打ちして、彼女の頭部を打ち破った。血が止まらなく、顔は血だらけになった。

 最後的に周彩霞はすでに声も出せなくなり、吊り下げられたまま気絶した。刑務所の警察は彼女を解き下ろし、「灌食」を理由に引きずって行った。その後、彼女はすでに死亡していたことが分かった。その時、周彩霞は保安沼刑務所に閉じ込められてから1週間も経たなかった。

 周彩霞は迫害を受ける前は赤峰市労働組合総連合会の女性部の部長を務めていた。過去何回も誘拐されて、残虐な体刑に苦しめられた。2000年10月に捕まり、12月に不法に懲役3年を言い渡され、内モンゴルの図牧吉労教所に送られて、残虐な体刑を受けて苦しめられた。女性2中隊のリーダーである羅、馬、那、楊は数回も彼女をめった打ちしたことが有り、彼女は電気棒で殴られて、顔が変形するまで打たれたことが有った。彼女が法輪功の修練を堅持するため、呼和浩特市の女性労教所に誘拐された時は、20日余り絶食で抗議して、隔離室に40日余り閉じ込められて、命が危なくなった時点で、家族に知らせ、背負って迎えるようにした。2002年8月に、彼女はまた不法に留置場に誘拐されて、不法監禁に対して絶食で抗議し、身体が虚弱になり血を吐く状態になってからやっと釈放されたことも有る。

 段学勤は迫害により生活が自立出来なくなった

 2003年2月11日に段学勤は凶悪な警察に誘拐される際、肩が警察にへし折られた為駄目になり、また足を蹴られたため歩けなくなった。迫害に対する絶食抗議の中で、彼女は毎回刑事犯に担がれ、灌食が終わると荷物のようにベッドに投げつけられた。その時の痛みは口には出来ないほど酷かった。

 ある日、凶悪な警察の江は1袋の塩を全部周彩霞と段学勤の胃の中に入れ込んだ。3,4日後周彩霞は血を吐き始め、8日後に気息奄々となって病院に送られた。段学勤は18日間の強制的な灌食で、身体はやせて骨と皮しか残っていなく精神状態が朦朧となっていたので、留置場は彼女の夫に迎えに来るように知らせを出した。彼女の体がまだ回復出来ていないうちに、紅山区刑事警察大隊の布仁はまた彼女を誘拐して、強行的に紅山区の留置場に拘禁して迫害を続けた。

 段学勤は左旅に住んでいて、赤峰まで350キロ離れている。彼女は車酔いでずっと吐いていた。留置場に着くと、凶悪な女性警官、鄧麗艶は二人の刑事犯を呼んで彼女を獄室へ連行し、野蛮的に灌食しようと企んでいたが、思いどおりに行かなくて、強行的に写真を撮った。翌日、鄧はドアを開けた鍵で段学勤の頭に突きながら「お前食べる、食べない?」と怒りに満ちた顔をしていた。彼女が「食べれない」と答えると、凶悪な鄧麗艶は直ちに電気棒を取り出し、4,5人の刑事犯を押さえるよう命じて、電気体刑加えてから、病院に送って強行的にホースを差し込み灌食を行った。医者が何日間食事を摂っていないのと尋ねると、鄧は4-5日だと答えた。段学勤は「違う、私は昨夜左旅から赤峰に来たのです。車酔いの為、気分悪くなって、吐きっぱなしで食物が入らないと言っているのに、彼らは強行的に灌食したり、電気ショックをかけたりして苦しませているのよ」と言っているのに、医療関係者は話を聞こうともせず、早速ホースを挿し込んだ。彼女がホースを挿し込まれたまま牢屋に戻ると、嘔吐が止まらなく、最後には血を吐いた。彼女はまた田警官により病院に連れ込まれ、ホースを抜かれた後、強制的に点滴を打たれた。段学勤はしきりに吐血し、食物が入らなくなった為、数日後、また凶悪な鄧麗艶の用心棒に病院に連行されホースを差し込まされた。彼女はまたひっきりなしに血を吐き出しながら、とても苦しんでいるのに、凶悪な奴らは依然として彼女を寝台上に縛り付けた後、ホースを差し込んだ。

 段学勤は、「もし私が死んだら、あなた達によって虐殺されたことになる」と言うと、凶悪な鄧麗艶は「血を一寸吐くだけじゃないか」と言い返しながら、食事を摂るように強いた。ホースが差し込まれている為、喉が痛く、血を吐いていた為、狭心痛は耐え切れなく、水しか入らなかった。

 8、9日間後、凶悪な奴らは強行的にホースを差し込んでから、彼女の両手を大字に分けてベッドに手錠を掛け固定した為、大小便も自分で出来ず囚人に処理してもらうしかなかった。囚人は彼女を虐めたり、罵り始め、劉淑傑と言う女性囚人は彼女の掛け布団を外して、彼女を裸にして辱めさせた。ある囚人はこぶしで彼女の腕を殴ったり、便所に彼女の服を捨てたり、彼女の顔に唾を吐いたりした。凶悪な警官らは囚人を誘って彼女に虐待を振るわせたので、彼女の体は急速に衰弱して来た。長時間に渡りベッドの上で動かないで横たわっていたので、彼女の腕の神経は萎縮され、足は凶悪な警察に蹴られ知覚を失い、3ヶ月間ずっとホースを挿し込んだままだったので、喉が傷つけられ、胃の出血は止まらない状態となった。

 その後、段学勤は又紅山岳区の裁判所から不法に4年間の懲役を言い渡された。しかし、彼女は迫害により身体が虚弱になり、生活も自立出来ない状態になったので、やっと家に帰された。

 田素芳、王志東は不法に重刑を言い渡された

 田素芳は不法に5年判決を言い渡され、家族は数万元のお金を取られてから、刑務所外の服役となった。王志東は不法に7年間懲役を言い渡され、今も赤峰の第4監獄で迫害を受けている。

 田素芳は60歳余りのお年寄りである。赤峰市国安大隊の凶悪な警官は彼女の両手を鉄椅子の後ろに手錠で固定してから、数人の警察が順番に、彼女が意識を失うまで平手打ちをした。彼女は意識不明になって病院に送られた。留置場と国安大隊の二人の凶悪な警官は交代で彼女を見張りながら、めった打ちをしたことを言わせないで、脳血栓に罹ったと偽って、彼女を入院させた。それから彼女を見張る二人の警官の宿泊代や食事代まで彼女の家族が払わされた。

 不法に拘禁されている間、留置場の女性悪警官、鄧麗艶は、田素芳の荷物を廊下に投捨ててから囚人に誰でも田素芳には布団を掛けさせることは許さないと脅した。その後彼女は5年判決を言い渡され、給料も出なくなった。

 皆様、善良を守りましょう。私達は善良な人々に、法輪功学習者への虐殺に対して、勇気と正義を持ってこの迫害を停めさせるよう呼びかけています。

 私達は全ての正義ある中国人に援助の手を伸ばして貰い、心を痛めるこの民族の大災害を終わらせるよう望んでいます。

 =======

 内モンゴル赤峰留置場の電話:0476-867-0866 郵便番号:024000
 凶悪の鄧麗艶の自宅電話:0476-5588-6096,携帯電話:138-4866-8887
 保安沼刑務所は内モンゴル興安盟(烏蘭浩特市)のZaLai特旗保安沼地区に有る。
 その企業の名称は保安沼農場で、主な製品は農業製品である。
 法定代表人:CongPei林経営社長:劉漢清 
 電話:(0482)670-0023  670-0290 670-0041
 ファックス:(0482)670-0052
 保安沼の労改隊電話:0482-6700272


 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/6/29/78222.html