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7時間の電撃を受けた高蓉蓉の悲惨な姿(写真)

 【明慧ネット2004年7月7日】36歳の法輪功学習者である高蓉蓉さんは遼寧省瀋陽龍山労働強制所の看守に7時間にわたって電撃され、顔をひどく傷つけられ、目下瀋陽市にある中国医科大学第一付属病院の0533号室に閉じ込められている。これまでに、すでに2名の法輪功学習者の王秀媛と王紅さんは当該労働強制所で命が危篤状態に陥るまで苦しめられ、釈放された数日後に死亡するという事件があった。

写真一、瀋陽市魯迅美術学院財務課に勤めていたころの法輪功学習者高蓉蓉さん
写真二、高蓉蓉さんは2004年5月7日、残虐な拷問にかけられ、顔に電気ショックによるやけどの痕を与えられた。写真は傷を付けられた10日後に撮影されたものである。

 2004年5月7日、彼女は第二大隊の隊長である姜兆華と副隊長の唐玉宝に当番室まで呼ばれ、ラジエターに手錠をかけられ、苦しめられた。姜と唐は彼女を午後3時から10時まで7時間近く電撃した。当時、高の顔面はひどく崩れてしまい、顔が腫れあがって変形し、顔は水泡だらけになった。焦げた皮膚、髪の毛は膿、血でくっついてしまい、顔が腫れあがったため目が一本の線となり、口は晴れ上がって厳重に変形してしまった。同室の刑事犯までも彼女とは見分けられないほどである。写真2は水泡が乾いた後に残った跡、および焦げた所がかさぶたとなった状態を示している。ある部分はかさぶたが非常に厚く、そこから電撃の酷さがはっきりと分かる。ある部分は繰り返して電撃されたため、かさぶたは何重にも重なっている。医学上の考慮により、今後過度の色素沈殿を防ぐために、顔に薬を塗らなかった。

 高蓉蓉さんは龍山労働強制所に閉じ込められて以来、残酷な迫害を受け、肝臓痛、腹痛、嘔吐、ご飯を食べられず、高熱などの症状が常に彼女の身に現れ、彼女の片耳は唐玉宝に滅多打ちされ聞こえなくなった。また看守の岳軍は彼女に対して人格的な侮辱を行い、彼女の髪の毛を頭皮すれすれに短く切った(写真三)。

 2004年3月22日、高蓉蓉は法輪功を中傷・誹謗する勉強会への出席を拒んだ。すると、唐玉宝に首を絞めつけられて牢屋の外へ引っ張り出されて殴打された。数人が彼女を押さえ、唐玉宝は気が狂ったように彼女を滅多打ちした。これだけでなく、二名の看守は彼女をラジエターに手錠をかけ、唐玉宝は電気の棒で彼女の顔、頭、首、両足、両手を電撃した。このとき、所長の李鳳石がやってきて、看守の暴行を制止せずに、かえって「ここは人を懲らしめる所だ、電気の棒や手錠は何のために使うものか分かるかい?ちっぽけな高蓉蓉なんてこの通りさ」と言いふらした。

 高蓉蓉さんは5月7日残酷な迫害を受けたあと、更なる迫害を避けるためにやむを得ず2階の看守オフィスから飛び降りたが、結局、骨盤、太腿、足を骨折した(図四は高さんの負傷8日後の様子である。当時の条件により、太腿の側面にある電撃による大面積の傷が撮れなかった。)。医者によると、骨盤が骨折、左足は重度骨折で、体が脆弱しすぎているため、手術できないという。

 龍山労働強制所と瀋陽市司法局は外部に「高蓉蓉の顔や体にある傷は彼女が飛び降りたときに擦ったものである」と嘘をついた。他に、高蓉蓉と同時に電撃されたのは金科桂、梁淑傑などである。金科桂の顔にも大面積の傷が残り、顔が腫れあがり、目の周りの皮膚が青紫色になり、皮膚の破れたところに膿や血が出てきており、しかもびっことなった。彼女の娘が見舞いに来たが、面会を許されなかった。

 2004年4月、当該労働強制所に閉じ込められた王秀媛さんは残酷な迫害を受け、命が危篤状態に陥り、釈放された数日後に死亡した。法輪功学習者である王紅さんは当該労働強制所で長期にわたって迫害を受けており、結局腎臓機能が衰弱し、2001年8月釈放されて間もなく死亡した。

 当該労働強制所は管轄部門の褒章を得るために、壁に「科学的に管理し、文明的に法律を施行」などの言葉を書き、所長の李鳳石は自ら法輪功学習者への迫害に参与し、強制労働や強制撮影を拒む学習者、例えば、高蓉蓉、孫燕、馮桂汾などに対して電撃などの迫害を行っていた。法輪功迫害追跡調査国際組織によると、2001年末、当該労働強制所は法輪功学習者を迫害することで40万元のボーナスをもらった。

 情報によると、高蓉蓉は現在中国医科大学第一付属病院の0533号室に閉じ込められているという。


 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/7/7/78842.html