日本明慧


ペルーインディアンのある母親の修煉物語(写真)

 文/ペルー大法弟子 梅子

 【明慧ネット2004年7月14日】ペルーにクスコという有名な古い都市があって、世界の十大名所の一つであるマチュピチュは、中でも最も有名なアメリカ・インディアンが残した遺跡で、またの名を遺失城という。この謎を満ちた城は海抜3800メートルの険しい高山の上に建築され、長い歳月が流れた。古代のアメリカ・インディアンはどのようにしてこの巨大な石を山の上まで運搬したのだろう?と不思議な疑問を持っていた。

 四方にぐるりと山を巡らせた、絵のように美しい景色の村に、フレアという名前のインディアンの母親が住んでいた。彼女はこの土地で成長し、丈夫な両手で来る日も来る日もトウモロコシを栽培して、牛羊を放牧していた。高原の気候は寒くて乾燥し、土地もやせているため、彼女が植えるトウモロコシはずっとまばらで、フレアと一族の人達は苦難に満ちた生活をしていた。彼女の4人の息子も貧困のため相前後して家を離れて別のところに住み、生計の道をはかった。長い歳月はフレアの顔に深い皺を刻んだ、81年の非情な歳月は彼女の体をますます悪くさせ、色々な疾病の苦難は彼女に悲しみのあまり死を願わせることもあり、毎日涙にくれていた。更に彼女が苦しいのは、彼女の両耳は一晩の間にすべての聴力を失った。彼女は毎日自分の家のドアの前に立って、遠い濃緑色の林と上がり下がりの激しい山並みを見渡して、いつも荒れた手で涙を拭いて、息子の帰りを待ち望んでいた。

                    煉功しているインディアンのある母親

 息子はついに帰ってきた。母は息子の健康な体をみて驚いた。赤くてつやつやした顔の息子に「脊椎の炎症がどのようにして完治したの?」と訊ねた。聴覚を失った両耳とあの皺いっぱいの母を見て、息子は涙を流した、彼は母を支えて芝生の上で、母に法輪功の五セットの功法を演じてみせた、しかも丁重に《法輪功》の本を母の手にのせていた。フレアが第1ページを開けると先生の写真があり、彼女は涙にむせんだ。彼女はしっかりと本を胸に抱いて、広い大空を仰ぎ、感動でぶるぶる震える唇は今の気持ちを表現することができなかった。

 このようにして、彼女は81年暮らした郷里に別れを告げて、息子について首都リマに来た。ある週末、青々とした芝生に優美な法輪功の音楽が鳴り響いた時、息子に支えられて、彼女の修煉が始まった。彼女が《法輪功》の第一講を読み終わった時に、彼女の体は明らかに好転した。そして彼女の身のまわりにあった大小の薬瓶はすべてもう要らなくなってごみの桶に投げ入れられた。彼女が先生の九講クラスに参加した翌日、聴覚を失った両耳が痛くてしびれるように感じた後、音のない世界にひっそりいた彼女はついに再び音を取り戻した!このすべてに直面して、彼女は涙にむせび、先生に対して再び生命を与えられたことの感謝をどう表現したらよいか分からなかった。フレアが毎日法を学んで5時間以上で、老眼鏡をかける必要はなくなり、字はとてもはっきり見えるようになった。彼女は部屋の中に一枚の先生の肖像を掛けていて、毎日先生の前に行って、じっと黙って眺めて、「先生!ありがとうございます!」と挨拶している。

 ある交流会で、フレアは自分の修煉を感動的に述べた。そして彼女は息子に「私達の修煉を、この肥沃な土地で栽培するトウモロコシのように、立派に成長させ、花を咲かせ、実を結ばせよう!」と言った。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/7/14/79384.html