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遼寧省建平県の優秀な教師李広珍氏は殺害され、夫は迫害により危篤に陥った(写真)

 文/遼寧省建平県法輪功学習者




李広珍氏


 【明慧ネット2004年7月13日】李広珍氏52歳、遼寧省建平県馬場郷中心小学校の優秀な教師であり、夫の周喜栄氏は馬場郷中学校の英語の教師である。夫婦とも法輪大法の修煉を堅持したため、何度も不法に家財を差し押さえられ上、拘禁、めった打ち、更に罰金をゆすられた。2002年10月、夫婦二人はまた公安局に不法に連行され拘禁された。2003年3月、不法に3年の刑罰を下され、李広珍氏は瀋陽市大北刑務所に入れられ、迫害により何も食べられなくなり、骨と皮ばかりに痩せこけ、2003年10月、重病のため服役中の仮放免になったが、2004年6月18日不幸にもこの世を去った。夫の周喜栄氏は今瀋陽東陵刑務所にて迫害を受け、生命は危篤状態に陥っている。

 2002年10月22日、周喜栄さんは故郷の焼鍋営子で再度連行された。当日、県の公安局に拘禁された後、また第二留置場に移され、その後第一留置場に入れられた。不法に刑罰を下され、密に錦州刑務所に送られた後、また瀋陽東陵刑務所に移され、重点的に「看護」され、洗脳(思想転化)を強要された。迫害により周喜栄さんは今、目がほとんど見えなくなり、耳も遠くなり、歩行不能となった。非常に危険な情況である。

 報道によると、建平県珠碌科郷下営子村の60歳の法輪功学習者藺志平さんは、北京へ請願しに行ったため、不法に3年の刑罰を下され、2002年10月11日に瀋陽大北刑務所に連行され、11月25日に刑務所の警察の迫害により死亡した。藺志平さんは迫害により頭蓋骨を潰され、腕を折られた。大北刑務所側は遺体を家族に見せずに火葬した。

 以下は李広珍さんが生前自分で述べた、数年来夫婦二人が法輪功を修煉する経歴、及び法輪功が迫害された後、自身が受けた迫害である。

 自ら法輪大法の不思議さを体得する

 私は一人の教師で、30年余り働いてきたが、たくさんのの病気を罹ってきた。結核性肋膜炎、腹膜炎、腹中炎、子宮筋腫、冠状動脈性硬化症、胃潰瘍、高血圧など、2回も子宮外妊娠の手術を受け、手術の後、後遺症が残り、腸管癒着により全身むくみ、体中結核の豆でいっぱいで、また右足の靭帯は引き延ばされ傷になった。どんな薬でもすべてアレルギー反応が起き、全部中毒症状がでて、お金をいくらかけても治すことが出来なかった。今でも会社ではまだ清算していない2000元の薬代が残っているし、家には2000元以上の薬代の領収書がある。こういう生きることも死ぬこともできない情況の下、1994年、私は法輪功を修煉し始めた。法輪大法の授業を聞き終わった後、全身の病気がなくなり、今までに体験したことのない、病気がなく身体が軽くなることを自ら覚え、真に法輪大法の不思議さを感じた。

 1999年5月、私はオートバイで出勤する途中、一台のレンガを積んだ大きいトラックと衝突し、8時間も意識不明となり、頭蓋骨を打ちつけ鮮血が流れ続け、肩甲骨、肋骨2本が折れ、、左足の四指を轢かれ、つまり足の半分が轢かれた。目撃した人たちはもうだめだと断言した。医者、医者主任からも「足は切断手術をしなければならず、腕は支柱で支えることにして、治っても首までしか届かない」と言われた。こういう「結果」を聞いたが、私の心は動じず、引き続き煉功することを決め、当日の晩家に帰ることにした。私は「真善忍」に従い自分に厳しく要求し、トラックに1文のお金もゆすらないし、更に会社にいかなる手間もかけさせず、国、トラックの持ち主、運転手に、たくさんのお金を節約させた。

 事故に遭って78日間経った後、外で煉功するため、国安大隊(中国公安局の中にある一つの課)に「治安を乱す」という口実で半月拘留された。その時左足はまだ化膿していて、完全に治っていなかった。

 その後、脚は切断手術をせず完全に治ったし、腕はいかなる身体障害も残っていない。再び私は自分の身を持って法輪佛法の不思議さを体得した。

 1999年前に発生した迫害

 1996年:法輪功を修煉するため、郷政府に、総校(その地区の中心学校)から転勤させられ、家から5キロ離れた小学校に派遣された。

 1996年9月:建平県国安大隊劉莫選、馬場郷派出所の所長李光などの10数人に理由も告げられず、家財を差し押さえられ、師父の写真、香炉、線香、座布団などを没収され、また生徒から徴収した学費現金980元(特に中国の田舎では、学費をまず先生の所で一時預かる場合もある。例えば、全員の学費が揃ってから統一に学校に納めるなど)も没収され、2200元の罰金を取られ、略式の領収書しかもらえなかった。

 1997年:法輪功を修煉するため、郷政府は夫--中学校の教師周喜栄さんの公職を解くことを命令し、半年の生活費(毎月200元*6ヶ月)しか与えず、息子、息子の嫁は巻き添えに迫害を受けた。

 1998年10月:法輪功を修煉するため、公職を剥奪され、半年の生活費(毎月200元*6ヶ月)しかもらえなかった。

 1998年10月:42名の法輪功学習者は北京へ陳情に行き、帰ってきた後、私と夫—-周喜栄さんの公職は回復されたが、給料は還してくれなかった。

 1999年7月20日以後の迫害

 99年7月30日、煉功をするため、家財を差し押さえられた。テープレコーダー、鏡のフレーム、線香、子供が勉強に使う歌のテープなどを没収された。私達夫婦二人は不法に逮捕された。その時私は事故に遭ってまだ78日間しか経たず、足の4指がまだ化膿していた。半ヶ月の後、いわゆる保証書を書かされ、2500元の保証金(領収書がある)を支払わされた。

 2000年派出所は何度も家をかき乱しに来て、子供が買った歌のテープは没収され返されなかった。息子の家へ行ったら、派出所から行方確認の電話が入ってきた。ある日、息子の家に行く途中に派出所に連行され、かばんの中身を検査したり、彼らの思ったいかなる“怪しいもの”がないかを確認してから、釈放された。必ず毎日彼らに電話をかけなければならず、いかなる人身の自由もない。

 2001年4月、帰省する時、一枚の宣伝ビラを拾って弟の家に置いた。弟の家は捜査され、「それはたぶん兄嫁が拾ったものだ」と弟の嫁は口から出任せに言った。そのため弟の嫁は1000元の罰金をゆすられ、私も2000元の罰金をゆすられた。

 2001年10月、夫——周喜栄さんは授業の最中に派出所に「敖漢(地名)へ材料の確認をする」という口実で騙され、連行された。不法に40日間拘留され、8000元もゆすられた。この年周喜栄さんは中三の英語を担当し、進学率が高いため学校と政府に580元の賞金を交付されていた。

 2002年4月、私と4歳の孫娘は派出所に連行され、保証書を書くよう強いられ、しかも息子の仕事の事で脅し、また県の洗脳クラスに送ることを企んでいた。しかたなく逃げ出し、それ以来、流浪の身となった。

 2002年10月、他の学習者の家で逮捕された。警察はリュックサックの中のもの:現金2000元以上、新しく買った携帯電話、ポケベル、歯ブラシセットなどをすべて没収し、また不法に身体検査をし、強行的に車に入れられた。警察は「当時国民党が劉胡蘭さんを逮捕する時と同じだ(劉胡蘭さんは中国国内戦争の時の英雄、共産党員で、敵の国民党に死ぬまで妥協しなかった)」と言った。

 留置所に着いて、警察はまた不法に身体検査をし、現金1000元以上を見つけ、没収し、3、4日間経った後、領収書を持ってきて、署名させられたが、その領収書はずっともらえなかった。そこでは50日間拘留された。私は流浪の時、100冊ぐらい法輪功の本を散布したため、3年の刑罰を下された。

 2002年12月10日、公安局から逮捕令を下されたが私は署名しなかった。翌日第二拘置所に送致された。第二拘置所に来て3日目になって、拘留証明書に署名させられた。元々50日間の拘留なのに、一人の楊氏副隊長は15日間の拘留証明書に署名させた。「その35日はどうなるの?」と聞いたら、楊氏副隊長は「洗脳クラスで洗脳を受けたことにしよう」といい加減な事を言った。「洗脳クラスなんか開いていないし、このサインは私にはできない」と言った。楊氏副隊長は口汚くののしりながら去って行った。(この段落のことについての個人の解釈:その一:警察側はまず拘留して、その後、拘留証明書にサインさせる。その二:逮捕し、最初は公安局に50日間拘留させる、しかし法律上は15日しか拘留できないので、嘘の15日間の拘留証明書で署名させる)

 弁護が許されない開廷裁判

 2003年3月28日、開廷裁判を行う時、話も弁護を許されなかった。警察はいかなる根拠もない。私達は「法輪大法が素晴らしい」と叫ぶので、警察に耳を殴られ、すぐ耳が腫れ、その時まだ高血圧で190だった。また警察に囲まれ2、3歩後ずさりして、私達は判決文には署名しなかった。

 実行の通知が来た時、私達を家族に会わせず、強行的に私達を連れ去った。警察は家族にお金を払うよう強要し、私達に荷物を持たせず、家族にお金を出させて荷物を買わせた。警察は私をこっそりと瀋陽大北刑務所に送り届け、そこで体の三つの項目を検査して150元支払った。

 大北刑務所にて苦しめられ危篤に陥った

 大北刑務所に着いた初日、刑務所の警察は私が持って行った本を没収し、2人の囚人(刑務所にいる法輪功学習者以外の真の犯罪者)に監視させるよう手配した。晩起きて煉功しようとするところ、10数人の囚人がやってきて、掛け布団で頭を被られて殴られ、ずっと意識不明になった。頭がちょっと意識を取り戻した時、囚人の会話を耳にした:「死なせても大丈夫だ、彼女には家族がいない、彼女の夫も刑務所に監禁されたから。死んでいなければ、彼女を「小号(小屋)」に入れる」。意識を取り戻した後、私は法輪大法を暗記し始めて、その後、ベッドに上げられた。午前5時、皆と同じく作業をするよう強いられた。警察が出勤する時になると、彼女たち(警察)は私を二階に連れてきて、10数人は殴ったり蹴ったりしながら、鉄製チェーンで私の手を窓に固定させ、ゴムバンドで口、目を張り、再び殴ったり蹴ったりして、最後に煉功しない保証書を書くよう強要し、書かないと毎日これを繰り返すと脅かした。最後に彼女たちは私の手を捉えて「政府の話を聞いて、現実に直面する」と書かされた。

 この時、私は病気の症状が全部表われてきたので診察を求めたが、彼女たち(警察)はいつも対応してくれなかった。毎日ご飯を食べるとご飯を吐きだし、おかずを食べるとおかずを吐きだし、一日三回も吐く。最初は汚い水桶をもらい、その中へ吐くことになったが、そのあと、彼女たちは汚い水桶を隠して、私に便所へ吐きに行かせる。便所へ吐きに行くには時間がかかるので、ポリ袋を探して、その中に吐くようと言われた;でもにおいがあると言って、また1つの小さい桶をもらった。

 刑務所の警察達は私が吐くのはあまりにも汚いので、食事をさせたくないと思い、私のしゃもじを捨てて、絶食させようとした。またご飯を止め、体調を崩させようとした。そのあと私は何度も診察を求め、半ヶ月の後、やっと診察を受けることができた。子宮筋腫、膀胱腫大、高血圧190、心臓病などを診断され、また胃のレントゲンをして、さらなる検査が必要だと言われた。それでも、毎日作業するよう強いられた。そのあと刑務所は家族に電話を掛け、お金を支払うよう強要した。7月25日、兄と妹は500元のお金を払いに来た。刑務所の警察達はだらだらと2ヶ月近く経った後、やっと医科大学に診断を受けに連れていってくれた。結果が出てきて、彼女たちは信じられず、また腫瘍病院に診断してもらって、結果は医科大学より更に悪かった。

 刑務所の警察達は私を犯罪者の病院に入れて、少しのお湯さえなく、依然として煉功しないよう監視した。医学専門家皆はすぐ手術したほうがいいと告げたのに、刑務所はまた不法に26日間拘禁し、その中の11日間は11の昼夜も飲まず食べず寝ずに過ごした。最後、刑務所の警察達は病院で死亡することを恐れ、2003年10月5日、私の「重病のため服役中の仮放免」を許した。

 

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 李広珍さんは2004年6月18日に不幸にもこの世を離れた。夫の周喜栄さんは大北刑務所で迫害により生命が危篤に陥った。家の中に1人のまったく身寄りのない娘は残され、親族の援助によって暮らしている。

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 瀋陽東陵刑務所 郵便番号:110015

 面会室電話:(024)24711741—8064

 凶悪な警察周喜忠(周喜栄の従弟)、携帯電話13909810318、住宅:(024)24312442

 迫害の直接的な責任者:李栄華、劉維岩

 遼寧省建平県公安局電話:局番:0421

 局長室 7814424 城鎮中隊 7813314

 事務室 7813186 交通係7814586

 行政係 7813412 当番室 7812240

 治安管理大隊 7812719

 戸政係 7815545 大隊長室 7827060

 刑事警察大隊長室 7823158 国内安全・防衛大隊 7813081

 政治工作員室 7827191

 事務室7816516

 副局長:潘占先:自宅:7814865,事務室:7812024

 政保科:7813081

 政保課課長:姜傑:7814048,劉英選:7815820,携帯電話:13942112945

 建平県裁判所 局番:0421

 院長室 7822188 提訴庭7815468

 政治処 7821230 研究室 7817774

 紀律検査グループ 7816936 司法警察大隊 7817610

 監察室 7821197 当番室 7813432

 事務室 7812823 葉柏寿法廷 7820404

 法医学者室 7820280

 建平県人民検察院 : 局番:0421

 検察長室 7814802公訴課 7813094、7812073

 汚職、権利侵犯審査課 7814414、7811043

 監獄審査課 7815057、7811045

 告発、苦情受付課7812000、7811931

 民行審査課 7819674

 建平県馬場郷派出所:7671007


 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/7/13/79328.html