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福建武夷山の陳進華さん 福州儒江労動教養所で迫害され危篤

 【明慧ネット2004年7月27日】陳進華さん、男性、41歳、武夷山の大法弟子、もと武夷山竹筏会社で働く。

 彼は一人の退役軍人で、部隊で肝臓の病気を患い、退役後竹筏会社で働いた。それからまた深刻な胃潰瘍、胃出血、胃下垂になり、入院治療を繰り返した。30数歳でまだ結婚していなかった。

 1998年、彼は胃病が再発して入院した。ある日の朝、穏やかな環境で空気がきれいな3号埠頭へ散歩すると同僚が煉功しているのを見かけ、「あなた達はなんの気功をやっているの?」とたずね、「病院で点滴の瓶をさげて注射するよりも心地いいのはどうしてかわかった。私は退院して学ぶことにする」と言った。そこにいた学習者は彼の身体の具合を聞いて、病気がよくなってから学びにくるように勧めた。しかし、彼は翌日、本当に学びにやって来た。学法と修煉を通じて、彼の身体が奇跡的にゆっくりとよくなり始めた、それから薬も飲まなくなって元気になってきた、家族は彼が煉功で受益することをみてとてもうれしかった。同僚、友達もみな称賛して、結婚もした。

 竹筏会社では、チップは従業員のよい収入で、そのため会社はどうであれチップを取ることを禁じていた。にも関わらず、従業員はすべて危険を冒してひそかにチップを取っていた。結婚したばかりで借金していた陳進華さんにとってお金はとても必要だったが、受け取らなかった。彼は法輪大法を学んだ後に、身体がよくなって、竹筏に乗った客に対して誠実で、武夷山、九曲谷川の美しい神話伝説を詳しく解説して、仕事はまじめにこつこつと注意深く周到だったから客はいつも彼にチップをあげようとした。多少に関わらず、彼はすべて一つ一つ丁寧に断った。そして観光客に、彼は法輪功を学んだので、“真、善、忍”の標準で人をしっかり行うのだと伝える。同時にまた客に自分が修煉した後に身体と精神がどれだけ健康になったかを話し、客達の称賛を受けた。時間が経つと、仕事でチップを受け取らないことは会社全体でセンセーションを引き起こし、職場の管理職は大会で彼を表彰して、彼を見習うよう呼びかけた。

 1999年7月20日、江沢民を中心に法輪功に対して気が狂ったような迫害が始まり、ラジオ・テレビでデマを飛ばして法輪功を誹謗中傷した。面倒なことにならないように家族は彼に家でこっそりと修煉するように勧めた。職場の管理職は公安に協力して彼に保証書を書くように強制、法輪功と決裂するよう様々な圧力をかけたが、彼はよく考えた末、修煉を続けることにした。また公安や職場の管理職に煉功による受益を伝えたが、公安は“治安をかき乱した”罪状で彼を不法に拘留した。また彼の妻に生まれたばっかりの娘を抱いて面会させ、娘を放置して彼に修煉を放棄するよう強制した。

 彼は率直に誠意を持って訴えた。法輪大法が彼を救い、彼を再生させた。以前は賭け事を好んで、むだに時を過ごした。自分が大法と出会うのがあまりにも遅すぎたことを悔やんでいる。以前、仕事は2日か3日ごとに休まないといけなくて、1日に最も多くても2、3列を支える(仕事で竹の板船を支える)ことしかできず、頭がぼうっとして目はかすみ、自転車に乗って家に帰るのもとても困難なくらいだった。稼いだお金は病気治療を除いて、残りは賭け事で負けてしまい、年末に借金して暮らさなければならなかった。師父が新しい人生を彼に与えて、彼に身を処する目的を教えてくれた。

 2001年テレビで北京“天安門焼身自殺”事件を放送して、彼はこれが盗品を押し付けて罪に陥れるようなものだと思って、真相を伝えに行った。天津で下車する時捕まえられ(下車する時、一人一人強制的に先生の像を踏んで、大法をののしってから通る)、公安と職場の管理職に連れて帰され、煉功をしないという保証書を書くように脅迫されたが、彼は断固として拒絶した。そして不法に労働による再教育1年を言い渡され、福州儒江労動教養所に送られて強制的に“転化”を迫られたが、彼が修煉を放棄しないため、さらに3ヶ月延期された。期間中、彼の母は精神的な打撃で重病を患って、息子が法律を犯していないで投獄される事実を受け入れられず、彼の冤罪が晴れるのを見ずにこの世を去った。労働による再教育から帰ってきた後に、仕事に復帰を求めた。公安と部門の幹部は彼に必ず修煉を放棄するよう保証書を書くように強いたが、断ったので不法に除名された。

 2003年、彼は彼が迫害された真相を人に話したために不法に捕まえられ、再度、労働による再教育により福州儒江労動教養所で様々な迫害を被った。陳進華さんは迫害により、現在、危篤状態である。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/7/27/80408.html