日本明慧


81歳の老人の証言:
昆明、22番バスのタイヤの下での奇跡

  文/中国大陸  呉興蘭さん

  【明慧ネット2004年7月30日】私は呉興蘭といいます。今年で81歳になります。戦時中は“抗日聯合”の女性関係の仕事をしていました。また土改の時期には県の女性代表でした。家の環境が貧しかったため、幼いときに、くる病や軟骨病にかかり、その後は心臓病、低血圧を患い、一生ずっと病弱で腰は曲がり、身長は140cmしかなく体重も40kgを超えたことはありませんでした。1997年9月に幸運にも大法を得た後、私は病魔から開放されました。それからは病気にかかったことがなく、いつも身体は軽く、師父は私が大難の中でも死なないように守ってくださり、私が真相を話したり、衆生を救ったりして法を正す過程に乗り遅れないようにしてくださいました。私はこの経緯を書いて大法を実証し、江××集団の嘘を暴露したいと思います。

 事件は1999年5月13日に起こりました。その日、私は昆明の22番バスの終点の北駅まで乗りました。私はいつもどおり、ほかの乗客が全員降りた後で最後に前のドアから降りました。私の両足が地面についた瞬間、突然後ろから満員の乗客を乗せたバスが突っ込んできて私を轢き倒しました。バスのタイヤは私の右足から右側面部にかけて引き裂きました。そこで私は大声で「もう走らないで。もっと動いたら私の頭がひかれてしまう。バスの下には人がいる!」と叫んだ瞬間、バスは止りました。

 私は真黒ななタイヤの下に横たわっていました。バスの左前のタイヤは私の胸部と顔に乗っていました。この時バス停にいた人たちはみな走り寄ってきて私をタイヤの下から引きずり出そうとしましたが、タイヤが私の上に乗っていて引き出せませんでした。「バスをバックさせるしかない」とある人が言いましたが、運転士は恐怖のあまり何も出来ませんでした。そこで皆でバスを押してバックさせました。タイヤは私の腹部を乗り越え、右足に乗りましたが、やはり引き出せませんでした。皆は再びバスを押してバックさせ、やっとのことで私をタイヤの下から引きずり出し、私を起こしました。彼らは皆恐怖で青ざめており、周りはやじうまで埋め尽くされていました。

 私は足を動かしてみました。まあまあいい感じで、動かせましたので、頑張って立ち上がり、「大丈夫です。気にしないでください。私は今から家に帰ります。」と言いました。

 その時、会社の上司が知らせを聞いて駆けつけ、警察官もきました。彼らは私を病院に連れて行って検査し治療を受けさせようとしましたが「私は法輪功修煉者です。大丈夫です。病院に行く必要はありません。ご覧の通り、私の手と足は動かせます。」と私は言いました。「法輪功修煉者は薬を飲んではいけないということを、私は知っています。」とある警察官が言いました。私は大声で「李洪志先生のどの本にも薬を飲んではいけないとは書いてありません。本当に修煉をする人は病気がなくなり、健康だから薬を飲む必要がないのです。」と言いました。
 
 しかし交通警察官は依然として「おばあさん、病院に行って検査してみましょうよ。どうせ公費医療で無料だから。」と言うのです。私は、「国家の金も国民が汗水流してつくったものだから、それを使うわけにはいかない。自分の難は自分で乗り越えないといけない。」と思いました。そこで「本当に大丈夫です。病院には行きません。」と言いました。

 皆は私に病院に行くように言いました。ある人は目に涙を浮かべて「おばあさんが病院に行かないと、私たちは気がすみません。」と言いました。私は「心配しないでください。私は法輪大法の修煉者です。師父が守ってくださいます、大丈夫です。」と言いました。

 交通警察官は人を押しのけてやってきて、提訴すると言ってカメラで写真を撮ろうとしました。私は「提訴したらバスの運転士が災難に遭うことになってしまう。」と思い、右手で腫れ上がった顔の右の部分を覆い隠しました。交通警察官は私の名前、住所を尋ねました。私は「大法弟子はどんなときでもよい人でなければならない、より良い人でなければならない、物事をするときには第一に他人のことを考えなければならないと師父はおっしゃった。決してあの運転士に処分を受けさせてはいけない。」と心の中で思いました。この時、私の肩はすでに痛くてしびれていました。それでも私は頑張って腕を上げて手首と指を動かして「見てください。私はなんともありません。」と彼らに見せました。

 バス会社の経営者は私を事務室に招き入れ、「病院に行かないのなら、お金をあげましょう。」と言いました。私が「お金はもっといりません。」と言うと、彼は「電話をして家族の人に来てもらいましょうか。」と言うので、私は慌てて「私の子供たちは三十歳を超えました。彼らの大半は修煉者ではありません。彼らが私のこのような姿を見たら、あなたたちを許しはしないでしょう。あらゆる条件を出してきて、終わりはないでしょう。だから絶対に彼らに知らせないでください。」と言いました。

 約二時間繰り返し説明した後、彼らはようやく同意して私を家に送ることにしました 家に帰る途中、私は会社がその運転士を処分するのではないかと思い、「運転手を困らせないでください。彼はわざとしたのではないし、私もあなたたちを困らせるようなことはしません。」と言いました。彼らが私を家に送り届けたとき、近所の人たちが私の洗面器みたいに膨れ上がった顔を見て、事情を知らずに、「法輪大法を修練している人がどうしてこんな姿になってしまったのだろう。」と言いふらさないように、上着を脱いで頭を隠しました。会社の人たちは私を支えて二階まで来てくれました。私は痛みに耐えながら、一人で四階までのぼり、家に入りました。夫は私が隠した顔が見えず、交通事故に遭ったとも知らずに、彼らを座らせて、お金は払ったかと尋ねました。私は慌てて「ありがとうございました。お忙しいでしょうから、どうぞお帰りになってください。」と言いました。

 彼らが帰った後、私は夫に顔を見てもらい、事情を説明しました。彼はやっと分かりましたが、そんなに深刻だとは思わなかったようです。煉功の時間になり、私は早く行くように彼をせかしました。彼が行った後、私はベッドに横になりましたが気持ちが悪くなり吐きました。多くの汚いものを吐き出して、お腹がすごく気持ち悪くなりました。私は必死に壁を伝ってトイレに行き、夫に気づかれないように痛みを我慢して、手探りですべてを片付けました。

 夫は煉功を終えた後、とても平静にまるで他人事みたいに、「ある76歳のおばあさんが今日バスのタイヤの下敷きになったけど、何事もなかった。そのおばあさんは法輪功修煉者で、無事に家に帰った。」と煉功仲間に話しました。

 何人かの煉功仲間は知らせを聞いて見舞いにきてくれました。私の右目、頭の右側はおよそ10cmも腫れ上がって変形し、右目は細い隙間が残されているだけでした。両目の縁と顔の上半分は黒紫色になりました。胸の右側も10cm以上腫れ上がり、右足は全部黒紫色になって足の指は黒くなり、皮膚は腫れて鈍く光っていました。それを見て、皆は私が大難に遭っても死ななかったことで大法の威力に驚きました。

 私が終始心性を守り、法を学びつづけたので、7日後には腫れは全部なくなりました。私はこれによって改めて師父のとてつもなく大きな慈悲を感じました。師父は私に二度目の生命を与えてくださったのです。私の身に起きた奇跡は、同修たちを鼓舞しただけでなく、世間の人にも法輪大法の超常と神秘をよく分かってもらえたと思います。

 事件の三日後、あの運転士が見舞いにきました。私は再度彼を安心させるために「このことを気にしないでください。安心して運転し、しっかり仕事をしてください。」と言いました。

 あの事件から五年が経ちました。大法と大法弟子も五年の迫害を経験してきました。大法を実証し、江××の嘘を暴露するため、この誰の目にも明白な事実を書きました。これは本当に起こったことなのです。当時その場にいたバス会社の経営者、従業員、交通警察官、事件を目撃した人たちは善心をもって考え、証言してくれると思います。私は世間の人たちにこう言いたいです。
「法輪大法を修練することで、私はどんなことに対しても善をもって対応できるようになりました。法輪大法は国と国民にとって百利あって一害もありません。法輪大法の素晴らしさを忘れないでください。法輪大法に対して善の一念を持つと、天の恵みを得て幸せに平安になれます!九死に一生を得ることができます!」

 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/7/30/80654.html