日本明慧


正念をしっかりし、執着を取り除き、最後の正法の道を正しく歩きましょう

  文/遼寧省新賓県大法弟子

 【明慧ネット2004年8月3日】最近、私は修煉する前に手術した痔がまた出てきた。傷口の上に唐辛子粉を撒き散らしたほど、坐ることもできず、立つこともできず、歩くことまで痛くて我慢できなかった。トイレに行くことを怖れば怖れるほど行った。邪悪が邪魔していると思い、正念を発して、それを取り除いていた。私は自分の業力だったら堪えると思い、私の業力でなく、邪悪が邪魔するならば、それを解体させると考えた。

 しかしだめだった。私の頭の中にはいっぱいあった、先生が私を構っていないのではないか、この事はあるのかどうか、更にこのように続ければどのようにするのか? 修煉していない姉や夫は薬を飲むよう勧めた。しかし私はそれは駄目で、自分で修煉中の道に汚点を残すことはできないと思った。同修は私に内に探すように勧めて、漏れがあるのではないか、まだ何か放下していないのではないかと考えた。私もこの数年の中、自分で根本的に煉功をあまりしていないことをわかっていて、毎日2、3回の正念だけを発していた。いつも本を読むが、すべて静かで読むことができなく、先生に要求された三つのことを重視していなく、まだたくさんの執着心は放下されていなかった。

 この間、家で本を読んで、第六講を読む時、本の中に「怖くなれば恐怖心が生まれますが、それはほかでもない執着心ではないでしょうか? 執着心が現れれば、それを取り除かなければならないのではありませんか? 怖くなればなるほど、本当に病気にかかったような気がしますが、その心こそ取り除かなければならないもので、あなたにここから教訓を得させることで、恐怖心を根絶し、向上してくるわけです。」と書かれてあった。この時に心の中は驚いて、長年にわたって学んだものはどこに行ったのか? もし今度の痛みがなければ、また悟らないのだ。師父はすべてを私達にあげて、その上、私達に按配するものは最もよくて、一人の弟子が落ちることさえさせないのだ。これを思い付いて、私は言葉で言えないほど感激し、涙はこらえきれず目の縁に湧き上がって、本当に師父の慈悲の救い済度に申し訳がなかった。

 私は数日後に体はよくなった。これを書いて、私と同様な問題が存在している同修に伝え、最後の正法修煉の機縁を大切にして、自ら遺恨を残さないようにしましょう。 

 自分の悟りなので、不適なところがあれば、同修の慈悲あるご指摘をお願いします。最後に師父の《登泰山》でみんなと互いに励まし合いたい。

 攀上高階千尺路,
 盤回立?難起歩;
 回首如看修正法,
 停于半天難得度。
 恒心挙足万斤腿,
 忍苦精進去執著;
 大法弟子千百万,
 功成円満在高処。

 (中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2004/8/3/80906.html