日本明慧


4歳の女の子とお母さんの艱苦と願望(写真)

  【明慧ネット2004年8月3日】オーストラリアからの4歳の法度ちゃんはお母さんと38ヶ国を遍歴し、人々に3年前、法輪功を修煉していために中国で迫害され死亡したお父さんのことを伝えてきた。2004年7月29日、彼女たちは始めて米国の自由のシンボル——フィラデルフィア自由鐘にやって来て、人々に境遇を述べ、中国江氏グループの法輪功に対する迫害に抗議しました。

4歳の法度ちゃんとお母さん戴志珍氏が自由鐘にやって来た

  バスでニューヨークからフィラデルフィアに着くなり、法度ちゃんはお母さんとフィラデルフィアで発行部数が最大の新聞紙METROとフィラデルフィア問訊報を尋ねた。METROのニュース部編集主幹は彼女たちと会見し、翌日彼女達の写真を掲載しました。翌日の朝、フィラデルフィアKYWラジオ放送局はフィラデルフィア独立広場の前で彼女たちを取材し、「4歳の女の子が法輪功学習者の迫害に抗議する行進に参加した」と語った。

  法度ちゃんがまだ15ヶ月の時、母の戴志珍さんはインタネットで夫の陳承勇氏が死体で発見されしかもすでに腐っていることを知りました。「インタネットでそれを見ると、もう呆然となり、全身が震えて、何も言えなかった。悲しんでばかりもいられない。でも、一人になりたかった。誰にも会いたくない。翌朝、髪の毛が全部白くなった……一夜の白頭。この苦痛はことばで言い表すことのできないものです。」と戴志珍さんは辛い過去を述べた。陳承勇さんの遺体を確かめ、受け取ったお姉さんもすぐ労働教養所に入れられ、年を取ったお父さんは白髪人が黒髪人の葬式をやる悲痛に耐えられずこの世を去った。戴志珍さんは娘を連れ、あちこち奔走し、頼み込んで、ついに8ヶ月後オーストラリア政府の助けのもとで夫の骨灰を手に入れました。

  明慧ネットの報道によると、5年前から中国元国家主席江沢民は法輪功に対する迫害を始め、今すでに千人以上が迫害により死亡している。現在、江沢民および法輪功を迫害する組織——「610オフィス」のボスたちは米国、ベルギー、ドイツ、スペイン、フィンランドなどの多国で告訴され、戴志珍さんはその原告の一人である。 

  法度ちゃんは歌を歌うことが大好き。彼女はお母さんと一緒に「あなたのために来た」という歌を歌った:「山河越えて 何度もあなたのために来た あなたを愛してる 貴い中国人よ 心からの声聞いて 法輪大法好 法輪大法好 決して嘘を信じないで……」。 夜、彼女たちはスペインに行く飛行機に乗り、世界をめぐる旅を続けていく。

  次は戴志珍さん(略称:戴氏)に対する取材の一部である。

  記者:フィラデルフィア自由鐘に来た感想は?

  戴氏:自由鐘は民主と自由を代表します。私達一家は全員法輪功を修煉し、真善忍を信じ、夫は信念のため中国で打ち殺されました。今幾千幾万の法輪功学習者はこのような苦痛を経験し、話をする(陳情、異議を言う)権利が剥奪された。私と娘が生き残ることができたのはオーストラリアの旅券を持っていたからで、私はとても大切にしています。
 
  記者:多くの人は告訴が役に立たないと思っているが、あなたは江沢民告訴事件の原告の一人として、どう思っていますか?

  戴氏:(告訴は)もちろんとても役に立ちます。世界の多くの有名な弁護士は参与してきた。どうして彼ら(江沢民グループ)は(告訴を)恐れるのか?先月私の良い友達DAVID LIANGさんは南アフリカで銃撃され、両足に重傷を受けた。彼は私が一番苦しんでいる時に助けてくれた。夫の遺骨をもらいにいきたくても、中国領事館は私が中国に行くビザを出してくれなかった。彼は往復6時間も運転して、シドニーからキャンベラ{オーストラリア首都}に行くと、官吏に情況を述べる機会を作ってくれた。8ヶ月後、オーストラリア政府は遺骨を持ち帰ってくれた。DAVID LIANGさんが銃撃されたことを耳にした後、私は娘を連れ南アフリカに向かい、この現実に直面しました。このような国家テロリズムはすでに海外に広がってきたので、もし私達がそれをやめさせないと、これからまたどんな事が発生するのでしょうか?このような身内を失った苦しみは、他の子供とお母さんに経験させたくない、私一人経験すれば十分です。どうして彼ら(江沢民グループ)は銃撃するの?彼らはこの訴状を恐れるためです。私達は米国、ベルギー、ドイツ、スペイン、フィンランドなど多国で彼らを告訴しました。曾慶紅は「610オフィス」のボスで、彼が南アフリカを訪問している時、私達は告訴する予定だったので、彼は人を雇って法輪功学習者を殺害しようとした。彼がこの訴状を恐れているため、私は告訴がとても重要だと思っています。

  記者:これは政治に参与していることだと思っている人もいるが、あなたはどう思っている?

  戴氏:政治には訴えがあるが、私達にはどのような訴えもない。私達はただ公園で煉功することができ、家で本を読むことができることを求めているだけで、これは政治ではなく、これは最も基本的な人権です。しかし、もし中国でこのようにすると、彼ら(江沢民グループ)に洗脳クラス、労働教養所、精神病院に入れられ、残虐な拷問——人間がまったく想像できない拷問にかけられる。とにかくいろんな手段で人々に法輪功を放棄させる。また洗脳もあるので、肉体の死亡それとも精神の死亡という二択から一つを選択するしかできません。振り返って夫のことを考えると、どうして最後の最後まで法輪功を放棄していなかったのか?「真善忍」が私達の血液の中に根を下ろし、どんな外部からの力によっても破壊できないからです。夫は亡くなりましが、私は娘を連れ、世界を遍歴し、人々に「真善忍」は抹殺できないものであることを伝えています。歴史上から見ると、キリスト教は3百年迫害されたが、今日まだ存在している。歴史は、信仰が虐殺されることのできないものであることを人々に教えてくれた。

  記者:中国であなたと同じ経験の家庭は多いですか?

  戴氏:私より更に痛ましいのはまだたくさんあります。よく娘に言う話ですが、「あなたは,まだオーストラリアにお母さんがいるからとても幸福ですよ。中国にいる多くの子供はお父さんとお母さんがいなくて、世話をしてくれる人もいないのに、このことは世間の人に知られていないから。」
記者:子供を連れて世界を遍歴することは決して容易ではないが、最も困難だと思っているのは?
戴氏:最も困難なのは中国のスパイはとても有名で、多くの方法で私をやめさせようとすること。3月末私の母が亡くなりました。母はたくさんのことを耐えてきました:電話は盗聴され、「610オフィス」のスパイにいつも家をかき乱され……母を使って私をやめさせようとしました。母が最も辛かったのは白髪人が黒髪人の葬式をだすことでした。私はとても愛していた夫が亡くなり、その上、こんな小さい子供も連れているし、母は私の辛さをとても実感していました。母の最後の願望——「孫に会いたい」ことは実現させることができませんでした。母は一度しか孫を見たことがない。また私達の手紙はすべて没収されたため、私達の写真も見られなかった。母はとても私と娘に会いたがり、法度ちゃんを連れて中国に帰って顔を見てもらいたかった。しかしその時私は中国のビザを取れなかった。彼ら(江沢民グループ)はこの方法で私が真相を伝えることを厳重に処罰した。これはとても辛かった。娘はその時、「どうして中国に帰ることができないの?」と私に聞いた「私達はビザを取れないから」と答えたら、「どうしてビザを取れないの?」と聞き返した。「私達は法輪功を修煉しているから。」「どうして法輪功を修煉するとビザを取れないの?」とそこまで聞かれると私は泣いてしまった。どのように説明していいのか分からなかった。これも私が最も辛いことです。法度ちゃんはまだこんなに小さいのに、この恐怖はどのようにこの子の一生に影響するか分からない。中国にいる幾千幾万の児童は法度ちゃんのように、このような一家が分散し肉親を失う苦痛に耐えている。

  記者:最近中国は法輪功に対するデマ、迫害などを中・小学生にまで広めてきた。これらの子供達に対し話をしてもらえますか?

  戴氏:中国の子供たちに伝えたいのは、私はとても中国を愛し、文化、人、中国の山水を愛していることです。それらのうそを信じないことを願っている。今60余りの国の人は法輪功を修煉し、すべて合法的です。法輪大法のすばらしさを世界の隅々まで広めていきたい。いつか、私達は必ず中国に帰ることができるように。

  記者:こんなに多くの国家を歩いてきて、多くの圧力と困難に出会っても、あなたにやり通させることができるのは?

  戴氏:法輪大法である。私は世界中を歩いて、やっと《転法輪》を探し当てた。私は文化大革命の中で、母が苦労し、いつも家で泣いているのを見て大きくなったので、小さい時から「大人になったら決して母さんのような生活を繰り返さない」と決心しました。だから私は勉強を一生懸命、頑張って、欲しいものはほとんど手に入れました。17歳、杭州の大学に進学し、専門は旅行で、大学を卒業すると学士の学位をもらい、広州に帰ってきて、ホテルで働いてきました。87年オーストラリアに来ました。大学の4年間たくさんの本を読んだが、答が見つかりませんでした。オーストラリアに来て白人の文化の中で答を見つけることを決心しました。6年も探し続けてきました。92年オーストラリアの旅券を持って、世界をめぐって、ほとんどの博物館と芸術館を見学して来ました。米国とカナダで5ヶ月、ヨーロッパで7ヶ月も滞在しました。しかし、答が見つからないので、とても悲しんでいました。最後のステーションはハワイで、美しい砂浜に向かって、私は泣いた。もう西方での生活が終ったと思い、中国に帰ることを決めました。97年4月18日、私は母と、親戚の家に遊びに行く途中で、偶然に《転法輪》という本を見つけ、ずっと探している答はすべて本の中にあり、これが私の一生を変えました。昔の私はとても利己的で、ただ夢、事業をひたすら追求し、他人のことを考えず、誰も信じなかった。母になることも考えたことがなかった。「どうして一つの生命をまったく希望もなく、意義もない所に連れて来るの?」と思っていたからです。法輪功を修煉してから、今、私は母になって、すべての迫害を受けている子供を助けることに頑張っています。

  記者:今最大の願望は?

  戴氏:虐殺を停止させること、このようなテロリズムが海外まで広がることを停止させること。 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/3/80874p.html