日本明慧


家にいる同修は大切にするべきだ

   文/大陸大法弟子

  【明慧ネット2004年8月10日】2004年8月1日、私にとって、忘れられない日だ。あなたが黒竜江省綏化市の一番賑やかな通りに現れた。日中の一番熱い時、軽く呼ぶ声がした。私は振り返った瞬間目を疑った。本当にあなた?私の良い同修!別れてもう三年になって、消息もなくて、今日めぐり会うことは思わなかったのだ!

  あなたは変わらず満面微笑みを浮かべて、少しの憂慮もなさそうなのだ。別れた後の状況を聞いて、あなたはただ平然と、とてもよいと言った。あなたは《2004年ワシントンDC法会での説法》と《ヒューストン法会での説法》を持って来た。封筒に詰めて、あなたの一貫した慎重な態度が表われている。三年前、同修たちは大部分がまだどのように法を証明したらよいか模索していた時、あなたは真っ先に資料を作り始めた。あの頃はすべてコピー会社で印刷するので、原価はとても高いが、あなたは構わないで、大量に印刷した。印刷し終わったら、このような大きい封筒を使って、家ごとに配りに行った。町のあちこちで、職場の仲間はいつも大法の真相を見たことを話し出したが、あなたは私一人でどれだけすることができるかと言っただけ。私は先頭に立つことを望み、みんなも動き出して、行動する範囲は拡がって、現状はこのようだ。

  みんなが次々と行動し始めた頃、あなたは放浪して落ち着く所がなかったのだ。あなたは喜んで言った。機械と大法の書籍は安全に移して、ただ持っていた5000元の預金とネックレスなどの貴重品だけに損害を受けた。3年来、あなたはずっとこの都市で黙々と仕事をしている。学習者が受け取った体験談はすべてあなたからもらっていたので、今のように重い任務を担っていた。生活に関することを聞くと、あなたはただ平然と、ごみを拾って食べているが、私は現在生活を維持することができていると言った。突然、この前ある同修が言った話を思い出した。資料ステーションの同修の生活はとても苦くて、資料を作るお金を使わないで、ごみを拾って食べている。まさか、つまり彼だ!

  あなたは私の考えを見抜いたようで、にこにこ笑いながら、苦しみに耐えるのは笑うこととで、釈迦牟尼は衆生を救い済度するために常人の中でこじきをしたことがありました。衆生を救い済度しようよ!”そうですね!一昨日、この道路で18歳の少女が死んでしまった。私は目の前で偶然に死に直面した。とても痛ましいのだ。昨日、またもう一つの交通事故もこの大通りで発生した。毎日、このような惨事があるが、死者は同じく高次元の生命に生まれ変われたかもしれない。常人の中に迷い、無数の業力を造った。結果はどうだろう?

  あなたが私の子供に冷たい飲み物を買い与えるなら、断ると思う。——以前、あなたは子供を見ると、すぐに小売店に行ったが、私は何回も断った。あなたはすぐに子供においしい食物をあげたいが、あえて買うべきでないと言った。あの時、あなたは一生懸命法を暗誦し、あの心は十分に天と地を感動させるほど誠実だった。あなたは子供を抱いて、‘あなた’はここで待ってと言った。しばらくして帰ってきたら、子供はあなたが買ってくれたミネラル・ウォーターを両手で抱えていた。これであなたのお金を使い切ったかも知れないのだ。私は断らなかったのだ。‘あなた’に困難があれば声をかける、と言ってから立ち去った。私はこの水を永遠に保存しようと思った。しかし私はやはりもう一人の同修、あの60歳で法のために依然として働いている老人に残しておいた。これは貴重なミネラル・ウォーターだ!

  たくさんの同修と同じように、あなたも世の中の苦しみを全て味わっていた。幼い時に両親を亡くしていて、世間の人の冷淡な目つきの中で生きてきた。商売で破産し、奥さんとは別れたが、大法があなたを救ったのだ。法を得て、勇ましい獅子のようだ。8年も経って、生まれ変わったのだ。あの時、あなたは“私が師父の身の回りの小間使をする”と自分の気持ちを話した。 

  “苦難の中で生まれ、生きるためにもがき、一度大法を得て、回帰の足取りを止めてはいけない。”(経文《風の中の強い草》を読む)。修煉者はみな容易ではなく、だれでも心が痛む歴史があるでしょう。しかし冷静に論じて、放浪して、邪悪の指示のもとで苦難を受けた大法弟子と比べてみると、家にいる同修の状況のほうがよいが、もちろん私達は決して旧勢力のいわゆる按排を認めないのだ。5年もう経った。嵐のような状況の中で、私達は成熟し、自分の使命もはっきりしてきた。しかし依然として無条件に大法に同化することができない一部の同修がいて、またこのようにあるいはそのような問題が存在している。これはどのように偉大な歴史の時期に申し訳が立つのか?みんなは目を覚まそう。更に師父を悲しませないでください。この永遠に会うことのない機縁を大切にしよう。資料ステーションの大法弟子の多くの支払を大切にしよう。最後の最後、くれぐれも正しく歩いてください。先生はチャンスは二度とないと話された。よく考えてください!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/8/10/81413.html