日本明慧


七月さらに19人が迫害されて死亡したことが実証された(写真)

 文/方洪

 【明慧ネット2004年8月5日】明慧ネットの資料統計によると、この7月に、また19名の無辜な法輪功学習者が迫害されて死亡したことが民間の経路により実証された。これにより迫害されて死亡した法輪功学習者の人数が1016名に上った。

 *7月に19件の虐殺事件を中国大陸から伝えてきた

 7月分として、19名の法輪功学習者が迫害されて死亡した事実が民間の経路により実証された。その中の11名の法輪功を堅持した学習者が2004年内に迫害された。また3名がこの7月に死亡した。

 19件の虐殺事件は11の省(日本の県にあたる)および直轄市に分布している:吉林省4件、遼寧省3件、山東省3件、黒龍江省2件、河北省、北京、四川省、広東省、湖北省、湖南省および重慶が各1件ずつ。その中に中退の人員、農民、労働者、教師などが含まれている。 

 その中の最年長が湖南省衝陽県欄瑯郷泉口村78歳の周徳宏さん、最年少は深セン市南頭中学校の34歳の女性教師の王暁東さんである。50歳以上の老人は8名、全体の42パーセントを占めている。女性は12名、全体の63パーセントを占めている。

 7月分の報道された迫害致死事件の中で、深刻な肉体および精神の虐待が普遍的に行われたことがわかった。多くの人は不法に家財を没収され、拉致されて経済的なゆすり上げがあった。彼らは普遍的に各種、各形式の殴打、残酷刑および虐待、強制洗脳“転向”にあい、労働教養所、看守所、洗脳センターおよび地元の公安および610オフィスを経歴し、信仰している真善忍を放棄するような残酷迫害に遭った。

 *夫は虐殺され、妻は連座させられ不法に労働教養された

 吉林省長春市幸福強光明村十社の姜勇さんは46歳の男性で、1996年から法輪功を修煉し始めた。“真善忍”を堅持し信仰し続けてきたため、数回にわたって拉致され、不法に拘留され、ひいては労働教養された。さらに残酷刑罰に遭った。5年に渡り、姜勇さんは法輪功を堅持し続けてきたため、迫害にあい、家があるのに帰れず、流浪した。不法な輩がまた連座を通して、罪名を濫用して彼の修煉しない妻を1年間不法労働に処した。

 2004年4月13日に、姜勇さんおよびその他の数名の友人たちが長春市公安局国保支隊に拉致され、非人道的な迫害に遭い、鉄北看守所に送致され、受けた傷があまりにも深かったため、4月22日に長春公安医院に送られた。しかし再び5月26日に鉄北看守所に送還されてから迫害が続いたため、7月4日にとうとう死亡した。この期間中に家族は常に面会を求めたが、しかし警察はそれを許さなかった。

 目撃者の話によると、姜勇さんの遺体の頚部にはベルトで締められた跡があり、胸および背中にはたくさんの紫色の傷痕があった。二つの目は大きく開いたまま、遺体が翻されるときに口から血が出てきた。肛門部にはトイレットペーパーが挿さまれていた。関係者が写真を撮ろうとしたときに、看守所の警官に強制的に制止され、警察が押し合って、さらには家族をも殴っていた。

 鉄北看守所の不法人員はその悪行が暴かれるのを恐れて、罪の責任から逃れるために、詐欺、偽造、真相事実を隠し、家族に突然の発病による死亡だとごまかした。

 姜勇さんは拉致される前、体は丈夫で、超人的な体力を持っていた。身長は170センチで、実にたくましかった。修煉してから何の疾病をも患ったことなく、周知の鉄人であった。このような丈夫な大男がわずか80日のうちで、このように虐殺された。口の中からの出血は内部損傷であることがうかがわれた。これは最も基本的な常識である。頸部にベルトの痕、満身創痍の外傷、言うまでもない。肛門部に置かれたトイレットペーパー、そして写真を撮ることを許されず、人に告げることのできない迫害手段があった。看守所は突然の発病による死亡だといっているが、本当ならば、なぜ写真を撮らせないのであろうか?!

 次の日に、再び姜勇さんの遺体を見ると、口内の血はすでに処理されていて、体の傷跡はもうそれほどはっきりとしなくなっていた。遺体置き場にはアルコール、綿棒などの医薬品が置かれていて、現場はすでに破壊されていた。これは鉄北看守所の罪証を跡形もないようにし、罪悪を隠し、責任逃れを完全に暴露している。

 *心身ともに虐待され、陳鳳林さんは冤罪が晴れないままに死亡

 北京市朝陽区来広営郷北苑村の陳鳳林さんは51歳の男性であった。彼は1999年7月20日以降に、数回にわたって天安門に行き法輪功のために陳情した。1999年12月に彼は不法に朝陽看守所に捕らえられ、一ヶ月の監禁を経てからまた村委員会に移されて半月ほどの迫害を受けた。帰宅してからも厳重な監視を受けて、警察も常にフェンスを乗り換えて、あるいはドアを破って家の中に侵入し、彼の正常な日常生活を妨害したため、彼は流浪せざるを得なかった。

 2001年1月に彼は地元の派出所および610オフィスに強引に朝陽緑色家園に監禁された。そこは洗脳センターへの準備施設であった。この期間中に彼は精神の面において非常に残酷な迫害を受けたため、血圧は突然上昇した。関係者は責任を負うのを恐れて、彼を医院に送ったが、病院から出ても自由を奪われ、元旦の日でさえ自宅で餃子を作るときに二名の警察が回りにいた。友人の家に行くときも付いてきた。陳鳳林さんが信仰を固く信じたため、2001年7月31日に派出所、610オフィスに強引に洗脳センターに送致された。2003年7月に不法な輩どもが彼を二度にわたって洗脳センターに送ろうとしたが、しかし彼が服従しないため、不法な輩どもは数十回にわたって家に行って脅かし、年の終わりまで監視していた。

 このような長期の監禁および精神の迫害のために、彼は心身ともに深刻な傷害をうけ、陳鳳林さんはついに2004年7月7日に病院でこの世を去った。

 *七月に三名の教師が虐殺され、陳至立はアフリカで起訴された

 七月の19件の虐殺事件の中に、三名の女性の小、中学校の教師が含まれていた。彼女たちはそれぞれ:

遼寧省建平県馬広郷中心小学校の
優秀な教師李広珍さん

 ①遼寧省建平県馬広郷中心小学校の優秀な教師李広珍さんは52歳の女性で、その夫である周喜栄光さんは馬広鎮中学校の英語教師であり、夫婦二人は法輪大法を堅持し続けてきたため、数回に渡り不法の人員による家財の没収、監禁、殴打、大金をゆすり上げられた。さらに2002年10月に夫婦二人は公安の不法な人員の拉致により監禁された。2003年3月に二人は不法に三年の実刑を言い渡され、李広珍さんは瀋陽大北監獄に監禁され、迫害され、最後には食べ物を採ることができなくなり、非常に痩せていた。2003年10月に医院に入ったが、2004年6月18日にこの世を去った。彼女の夫の周喜栄光さんは今だに瀋陽東陵監獄で虐待を受けていて、命は非常に危険な状態にある。

 ②湖北省武漢市東西湖呉家山四中学校の教師である李智さんは、2002年に北京に陳情に行き、拉致されて迫害を受けた。彼女の夫は労働局の幹部であり、邪悪の宣伝の影響をうけ、610オフィスと共に常に彼女を虐待していた。2002年夏に李智さんは医院で死亡した。

広東省深セン市南頭中学校34歳の
女性教師である王暁東さん

 ③広東省深セン市南頭中学校34歳の女性教師である王暁東さんは、2000年に法輪功のために陳情したが、2000年4月29日に不法に広東省深セン市南看守所に監禁され、殴打、虐待をうけ、35キロの足枷を付けられていた。2003年7月に広東省深セン市南看守所で絶食4ヶ月後に迫害されて死亡した。彼女の夫である劉喜峰さんも法輪功学習者であり、迫害されて今日まで失踪したままでいる。わずか11歳の彼らの息子、劉響(音声)さんは深センの孤児院に送られた。

 江沢民の直下である陳至立は2004年7月17日からタンザニアで四日間の外交訪問を行った際、19日に、たくさんの国際人権弁護士が正式にタンザニアで中国前教育部長、現任国務委員の陳至立を起訴し、その“中国教育システムにおいて法輪功に対して残酷刑および虐殺を行った”ことが起訴された。今回の起訴が人々の注目を集めるのは、陳至立は7月19日にタンザニアで召喚され自ら法廷に立つことを強いられているからだ。これは一連の法輪功学習者が法輪功を迫害する不法官員を起訴する事案のなかで、初めて自ら出廷する起訴である。

* * * * * * *

 すべての事件は皆血でできた債務である。すべての血による債務は縄であり、善悪には報いがあり、必ず報われる。天理がすべてを制約している。江沢民政権が法輪功に対する絶滅的な迫害の中でつくったすべての血の債務は、必ず返さなければならない。この日はもう遠くない、海外の法律による訴訟は序曲である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/8/5/81090.html