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劉淇の香港訪問中に平和的な請願活動が行われた(写真)

 【明慧ネット2004年9月6日】中国共産党の政治局委員、北京市委員会の書記兼北京五輪組織委員会主席の劉淇は北京市長の王岐山と共に2004年9月1日に香港に到着、翌日“京港の経済協力交渉会”の開会式に出席した。劉淇が香港に滞在中、香港の法輪功学習者は遮打花園並びに礼賓府で請願し、劉淇が北京市長と市委員会の書記を勤めていた時に、北京が全国で最も深刻に法輪功を迫害した地区であったことを非難した。法輪功学習者は礼賓府の外で煉功をし、正念を発した。

法輪功学習者は礼賓府の外で煉功をし、正念を発した

 劉淇が香港を訪問する際の保安は前国家主席の江沢民と同程度で、群体滅絶罪、酷刑罪などで多数の海外の国で法輪功学習者が国際法廷に訴えられているため、法輪功学習者の請願に出会わないようにする。情報によると、9月2日朝、数人の法輪功学習者は湾仔会議展覧センター付近で中国と劉淇が法輪功学習者を迫害する真相ビラを配ったため、警備員が尋問にきた。

 資料によると、 劉淇は北京市人民代表大会11期4回会議、11期5回会議、12期1回会議で行った《政府活動報告》で、繰り返し法輪功の鎮圧をより厳しくするよう発言していた。彼の支配下にあった2001年に北京市政府6項の仕事の一つは法輪功に対する鎮圧を増大することだった。その他に、彼は2003年の国慶節の前後にも引き続き法輪功鎮圧の手を緩めないよう発言している。

 そのため、劉淇は2002年に北京市長兼北京のオリンピック委員会主席の身分で訪米した時、すぐさま二名の迫害された法輪功学習者から起訴された。2003年7月、米国サンフランシスコの法廷で劉淇が残虐な体刑で法輪功学習者を迫害する罪名が下された。サンフランシスコの司法官のエドワード.陳(Edward M. Chen)劉淇と遼寧省副省長に夏徳仁に“外国の主権の治外法権”を与えることを拒絶した。もし劉淇が米国に行くならば、直ちに逮捕されるだろう。

 報道によると、2003年7月2日、米国に到着したばっかりの北京の法輪功学習者卞旭庄さんと申淑敏さんは、記者会見で、彼らは法輪功をかたく信じることを話し、1999年7月20日以降に、北京で公安に不法に監視され、連行され拘留された経歴を話した。彼らは住居を壊され、精神と肉体は深刻に傷つけられ、しかも人身と信仰の自由を失って、生存権は踏みにじられ、そして元北京市長の劉淇がすべての北京市の法輪功学習者を迫害する犯罪を犯したことで逃れられない責任を負うと述べた。

 “追求法輪功迫害国際組織”(略称“国際追求”)は2004年2月17日に『北京市の委員会、市政府の賈慶林、劉淇、強衛などを追求する通告』、北京市で法輪功を迫害する重要犯人共に17人を並べて、追求対象とした。彼らは:賈慶林(元の北京市委員会の書記)、劉淇(北京市の委員会書記、元市長)、強衛 (北京市の委員会の副書記、政治法律委員会の書記、北京市の委員会が法輪功問題を処理する組長)、竜新民(北京市の委員会の副書記)、劉志華(北京市の副市長)、張茅(北京市の副市長)、吉林(北京市の委員会の常務委員、市の委員会の政治法律委員会の書記)、蔡赴朝(北京市の委員会の常務委員、市の委員会の宣伝部長)、蒋効愚(もとの北京市の委員会常務委員、市の委員会の宣伝部長)、馬振川(北京市公安局局長)、周凱東(元の北京市の労働による再教育局局長)、鄭振遠(北京市の労働による再教育局局長)、張興栄(北京市の労働による再教育局政治委員)、劉偉(北京市の委員会“610事務室”の主任)、周継紅(北京市委員会 “610事務室”の副主任)、徐永利(北京市委員会“610事務室”副主任)と王黎明(北京市の委員会“610事務室”調研処処長)。

 “610事務室”はもっぱら法輪功に対する迫害組織で、その性質は第二次世界大戦中のナチスドイツのゲシュタポのスパイ組織に類似する。

 『追求通告』は、調査によると、1999年7月20日に中国の元国家主席の江沢民が主導し公然と法輪功を鎮圧し、以上の人物は直接北京市法輪功学習者に対する迫害を、指揮し、北京市は全国で法輪功に対する迫害が最も深刻な直轄市の一つだと指摘している。国際人権組織を通じて実証され、今年2月17日まで、北京市で迫害されて死亡した法輪功学習者は少なくとも24人で、直轄市の中で重慶市に次いで全国の第2位である。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/6/83490.html