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秦皇島市撫寧県大法弟子寧桂珍さんが迫害により死亡

 【明慧ネット2004年9月1日】秦皇島市撫寧県大法弟子寧桂珍さんと娘の徐秀娟さんは山海関区で真相資料を配ったため、2004年5月11日、悪党警察に逮捕され、虐待された。寧桂珍さんは2004年6月30日の夜、冤罪を晴らせないまま死亡した。

 2004年5月11日、寧桂珍さんと娘の徐秀娟さんが山海関区で真相資料を配っていた時、外峪村の村長と書記に告発された。寧さんたち二人は一つの手錠に一緒に嵌められ、車に押し上げられ、秦皇島市山海関区高建荘派出所へ送られた。そこで、二人は別々に監禁され、非法審判された。警官に名前と住所を問いつめられ、寧さんたちはずっと正念を発して、迫害を防ぎ止めた。警官は前後の見境もなく絶えず怒鳴っていた。

 寧桂珍さんはもう六十代のおばあさんである。修煉する前は高血圧症や狭心症などの病気があり、そして胃も悪く、いわば、体中病気だらけだった。1996年に法を得てから、体は急速に健康を回復し、仕事をどんなにしても疲れなかった。彼女は人に会う度に「法輪大法から最大の幸福をいただいた」と言っていた。

 しかし、警官はおばあさんにさえ虐待するのを容赦しなかった。彼らは大きな手錠で寧さんの両手を椅子に固定した。そして、娘の徐さんもベッドに固定した。邪悪による苦通と脅威のもとで、寧さんはスムースに話ができなくなり、彼らの質問に答えられない時、警官は彼女の座っている椅子を蹴った。寧さんはその振動で頭が激しく痛み、しかも車に酔っていたので、吐き気がして嘔吐した。しかし、人間性を完全に失った警官は寧さんの生死にはかまわず、彼女の苦しんでいる姿を無視して、徹夜で椅子に固定していた。

 寧さんの娘の徐秀娟さんは、はめられた手錠を自ら開け、夜中の三時に派出所を脱出した。高建荘派出所を脱出してから、徐さんは放浪の生活となった。

 寧さんは徹夜で椅子に固定された後、その翌日には高建荘派出所から秦皇島市海港区公安局に強制的に移送され、非法審問された。その後、また警海港区海陽派出所に移送され、また非法審問が行われた。車に酔った寧さんは、更に秦皇島市北港鎮派出所に移送され、途中で嘔吐が止まらなくなった。四回の非法審問の苦通で、寧さんはすでに体が極度に弱ってしまい、警察は200元の罰金を取り、やっと釈放した。

 こうして、寧さんは衰弱した体でやっと家に帰って来た。しかし間もなく、秦皇島市北港鎮派出所の警官が、私服で何の手続きもしないまま夜10時ごろ、海陽派出所の警官に成り済まし、寧さんの家をかき乱しに来た。その時、寧さんは「私は頭がまだくらくらして、更にぼんやりしています。」と言ったが、警官らは「自業自得だ!」と言って、慌ただしく出て行った。その時から、寧さんの体は回復しないまま、2004年6月27日に頭痛で人事不省になり、2004年6月30日の夜11時ごろ、冤罪を晴らせないまま死亡した。

 警官らは一ヶ月ほどの間に寧さんを虐待して殺したが、まだまだ止めはしなかった。北港鎮派出所は3日にあげず、娘の徐秀娟さんの家に徐さんを逮捕しに行っていた。寧さんが亡くなった九日後、つまり2004年7月9日午後、徐さんは北港鎮派出所の逮捕状の提示も無く、逮捕され、秦皇島第二拘留所に15日間不法に拘禁された。徐さんは断食をして迫害に抗議していたが、体は非常に衰弱していた。公安病院により慢性盲腸炎と診断され、派出所は釈放書にサインをさせて、徐さんをやっと釈放した。

 7月20日、徐さんが家に戻ってわずか4、5日後、北港鎮派出所の警官は徐さんの様子を見るとか理由づけて、またかき乱しにきた。8月2日、北港鎮の趙書記が10数人を引き連れ、徐さんの家に突然やって来た。洗脳班へ連れて行くという理由で彼女を捕えようとしたが、徐さんは「私の体はまだ回復していないから、あなたたちと一緒には行きません。」と言った。警官は偽善的に「特別ないい待遇をするから、保証書を書けば、洗脳班へ行かなくていいよ。」と言った。徐さんは「字は書けません。」と答えた。警官は師父と大法を罵らせようとしたが、それはできないと彼女は叫んだ。警官らがある女性の公務員に徐さんの代筆をさせようとした丁度その時、徐さんは高熱と心臓発作に突然襲われ、汗が引きもきらず流れ続けた。警官らは徐さんの夫に保証書を書かせて出て行った。

 以上は寧桂珍さんと娘の徐秀娟さんが迫害された経過である。より多くの善良な中国人が真相を認識できるように望んでいる。ここで、以上の不法な警官に警告する。あなたたちのやっている行為は「不法監禁罪」、「傷害罪」、「名誉毀損罪」、「誣告罪」などで既に法律を犯している。近い将来、必ず正義の裁判を受けることになる。警官を助けて悪事を働くことは直ちに中止し、さらに、大法弟子を迫害しないよう警告する。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/1/83086.html