日本明慧


真相を伝えることは迫害を取り除くことでもある

 文/一言(アメリカ)

 【明慧ネット2004年9月13日】最近一部の学習者との接触の中で、師父に教えられた三つのことの間にある関係、およびこの三つのことと迫害を取り除くこととの関係についての認識が曖昧であることに気づいた。一部の学習者たちはこの迫害が早く終わりを迎えることを非常に願っている。しかし真相を伝えることについて、特に面と向かって真相を伝えることについては、自ら積極的に参加しょうとしない。一人の修煉者として、彼の言動はただ自分の修煉および法理による認識から生ずるもので、認識することができれば、言動もそれに付随するものである。認識できた程度および効果は直接に内心深く入りこんで、理解されるものである。それ故真相を伝えること、正念を発することおよび法を学ぶことの三つの関係などの問題について、私の認識を述べておきたいと思う。

一、 真相を伝えることは邪悪を取り除き、迫害を取り除くことである

 学習者の中には正念を発することだけが邪悪を取り除くことで、真相を伝えることは世人を済度するためだと考えている。実はこれは事物を切り離す機械的な思考方法である。正念を発することは邪悪を取り除くためである。そして私たちの邪悪を取り除く主要な方法の一つであり、師父が我々に与えてくださった口訣および大法弟子の仏法神通が直接に邪悪存在を取り除くものである。正念を発することで人をコントロールし、人を妨害する邪悪を取り除くことで、常人さえもはっきりと未来を選択することができるようになる。よって正念を発することはただ邪悪を取り除くためだけでなく、世人を救い済度することでもある。

 実際、真相を伝えることは世人を済度することであり、真相を伝えることおよび法を学ぶことは邪悪を取り除くことである。私たちが人に真相を伝えるときに、相手がそれを聞き入れると、彼の脳裏にある良くないものが取り除かれる。彼を妨害し、コントロールしひいては憑き物となる黒い手および卑しい鬼も取り除かれる。そこで私たちの邪悪を取り除く目的に達することができる。今回の迫害の根本的な原因はこの空間にあるのではなく、本質的には人間の人間に対する迫害ではなく、旧勢力(すでに徹底的に取り除かれた)およびその黒い手、卑しい鬼が直接にもたらしたものである。故に邪悪を取り除くことは迫害を取り除くことである。真相を伝えることは直接に迫害を取り除くことでもある。

二、 法を学ぶことは邪悪を取り除くことでもある

 法を学ぶことは私たちの修煉およびすべての大法弟子としてなすべきことの基本であるだけに留まらず、世人を済度し、邪悪を取り除くものでもある。私たちすべての大法弟子は師父に済度される対象であり、そしてこの法は師父が私たちを済度するための天につなぐ梯子である。毎回の心をこめて法を学ぶ過程の中で、私たちは大法および正念により充実されるだけでなく、私たちの正のエネルギー場を強化して、その上私たちの脳裏にある常人社会の変異した観念汚染などで形成されたよくない思想、観念、外からの邪悪による妨害などもみな、取り除かれるのである。従って法を学ぶことは師父が私たちを済度することに力を合わせることであり、私たちを妨害し、迫害する邪悪を取り除くことでもある。

 もちろん、これらの効果はみな私たちが師父の要求に達すること、つまり人心を放下して真相を伝えることができ、法をしっかり学ぶことで自然に達成するものであり、法を学ぶことを、妨害を取り除くための道具として利用することで達成することではない。でなければ法への不敬である。大法修煉は法の要求に基づいてすべきであり、求める心がなければ自ら得られる。求める心があれば良い結果を出せないで、却って妨害および面倒を引き寄せるだけである。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/9/13/83965.html