日本明慧


老年農民夫婦が5年間に52回も生活をかき乱され、損失が1万元に上る

 【明慧ネット2004年9月20日】五年にわたる邪悪な迫害の末、わが家の損失は一万元に上ります。家財を二度も不法に没収されました。農作物の損失は計算できません。各人が必要とする食料四ヘクタールが牧羊地とり、果樹園十数ヘクタールが荒れました。悪徳な警察官が、家を52回もかき乱し、70過ぎの老いた母が怯え、びくびくしながら日々を過ごしています。

 私の名前は鐘振福です。今年で53歳になります。妻の鐘淑花は51歳。私たちは97年に同時に大法を得ました。法を知る前は、妻は体が弱く、多くの病気に悩まされていました。私も常に凍結肩の痛みに悩まされていました。家庭にある矛盾は言うまでもありません。法を得て学習と修煉をしてから、私たちは心身とも大きな変化が見られるようになりました。私は毎日会社に行き、家庭、農場の毎日の仕事は妻に任せています。彼女は疲れを知らず顔が赤くてつやつやとしています。体の病気もとっくにどこかに消え去ったのです。私たちはますます法輪大法の素晴らしさに、心を打たれました。すべての人にこの大法を知らせる責任があると感じたのです。

 このように、仕事に余裕があるときに、私は妻と一緒に苦労をいとわずに各村、鎮を奔走し、多くの人が大法の素晴らしさと高尚さを知るようになりました。ますます多くの人が大法での修煉を始めたのです。私たちはテープ・レコーダーや、ビデオを購入し、地面に筵(むしろ)を敷き、地元で最も早くできた煉功場所となったのです。同修たちは毎日時間通りにわが家に来て法を学び、功を練習するのです。同修の家族もみな心から大法に感激し、支持しています。なぜならこれらの人たちの多くは、長い間疾病に悩まされて、あるいは母と嫁の不和、夫婦の不忠がありました。しかし大法を学んでから、すべて人が変ったかのように、病気のあるものは治され、家庭の不和がなくなったのです。自分の家をよくしたくない人が、いるでしょうか?

 しかしこの充実した楽しい日々は、99年7月19日までしか続かなかったのです。7月20日に、天地を覆い隠すような嘘が突然広がったとき、私たちは二年間の法の勉強を通して、この迫害の邪悪な本質を認識できたのです。しかし、多くの同修たちが分からなくなり、多くの同修たちが、迷い始めたのです。世人もみなこの邪悪な嘘に巻き込まれて、私たちを特別な目で見るようになったのです。法を学ぶ環境も地元の公安、村の委員会の干渉のため破壊されたのです。このような情況の下で、私と妻は、精神上の圧力を身に受けましたが、大法を堅く信じ、師父の潔白を取り戻し、大法の潔白を取り戻そうと決心したのです。

 妻がまず北京に陳情に行きました。途中で師父への正信、大法への正信によって、23箇所の関所をくぐりぬけ、北京に至ったのです。しかし北京駅に着くとすぐに、彼女は悪徳な警察官にパトカーに押しこまれて、豊台体育場に送致されました。グランドは非常に大きくて、兵士たちは手をつないで壁を作って、拉致された大法弟子を中に囲みました。天気は非常に暑く、しかし警察官たちは彼らに少しの水もやりませんでした。ある男の同修がグランドにつくとすぐ座禅を組みましたが、一人の悪徳な警察官に足で踏まれ、びんたを食らって、二人の警察官に腕を掴まれて、車の中に押し込まれて、どこかに連れて行かれました。夜になってあるお婆さんがトイレに行こうとしたときに、一人の警察官に後ろに押されながら罵られ、殴られていました。私の妻は「老人を殴らないでください!老人のいない家族はあるのでしょうか?」と叫んだ。大法弟子は一緒に拍手し始めました。悪徳な警察官はカメラを持って私の妻を撮りました。そのあとに妻はある軍人に釈放されました。なまりを聞くと同郷人だと知り、軍人は妻に彼の母も大法弟子だと言い、これらはみな良い人ばかりだと知っていると告げました。このように妻はあの軍人の指示の下で家に帰りました。しかし帰った日に地元の政府に拉致されて、丸四日間監禁されて、そして200元の罰金を受けました。

 2001年3月14日の日に、平度から二人の同修が来ましたが、私が自宅にいませんでしたので、彼らは唐家村の同修の家に行きました。しかし悪い人に通告されて、長楽派出所に拉致されました。夜になってその話を聞くと、私は自転車に妻をのせて、パン、果物、服を買って彼らを見舞いにいきました。派出所について、ドアの扉を開くと、張姓の同修が鉄の椅子に縛られているのを見ました。しかしもう一人の同修は見当たりませんでした。ドアが鳴るのを聞いて、平度の王姓の悪徳な警察官が急いで中からできて、すぐに私と妻を門外に押し出しました。このときに多くの悪徳な警察官たちが音を聞いて他の部屋から出てきて、悪口を混じえながら、私たちに何しにきたのかと聞いた。私たちは彼ら同修に物を届けにきたのだと応えると、平度の公安局の石衛兵という悪徳な警察官はすぐに物を奪って地面に投げつけて、謗りながら「お前らのものには毒がないか保証できるもんか!」といいました。このときにまた数名の悪徳な警察官が憎憎しげに「死にたいのかこら!」と言いました。そして私たちを階段から正門まで押して出したのです。私たちは1.5キロの道を歩いて、悪徳な警察官は、また二台のオートバイに乗って私たちが家に着くまで後をつけて、入るのを確認してから戻ったのです。
 
 次の日に、私は数名の同修と相談しました。事件は長楽で発生したのですから、長楽の大法弟子は出てきて大法を実証し、真相を伝え、同修を取り戻すことができないのかと考えていました。このようにして私たち16名の同修たちが一緒に派出所に行きました。彼らに不法に拉致された二人の同修を釈放するように求めました。派出所につき、邪悪を震撼させました。平度の公安局、610オフィス、鎮の政府はすぐに人を集めて会議を開きました。私たちはその間にすべての人に真相を伝え、彼らに私たちは良い人で、人を釈放さえすれば、すぐに帰るが、そうしないと帰らないと伝えました。ある平度の王姓の悪徳な警察官が法輪功の人をあしらうことを願っていると言いました。私はかれに修煉者を傷つけ、良い人を傷つけるのは地獄落ちだと伝えると、その悪徳な警察官は顔色が変わるほど怒り出しました。

 正午11時頃に、邪悪なやからたちは会議を終えて戻ってきました。同時に二台のマイクロバス、20数名の警察官を集めました。610オフィスの于斌が私たちに帰らせようとして、20数名の警察官が私たちの腕を掴んで一人ずつ車内に押し込みました。王姓の悪徳な警察官が私を掴んでいる警察官に、私がうるさいと言い、二人がわざと私の腕を捻りました。私は痛みで泣き出しそうでした。

 私たち16名の大法弟子たちが不法に潘桃収容所に監禁され迫害を受けました。収容所に着くとすぐに、私たちのベルトを警察たちに奪われました。妻は邪悪の撮影に協力しないため、悪徳な警察官に足をけられて紫色になりました。警察官は私たちを分けて、二人が一つの部屋に入れられ、部屋は3、4平方メードル、高さも二メードル未満で、ドアには小さな穴が開いていて、食事もトイレも全部中で済まされなければなりませんでした。食事はすべての人に小さなマントー(中国式の蒸しパン)一つ、漬物を二個、そして茶碗の水でした。最もきついのは小便をするとき、部屋内の換気が間に合わないため、私たちは服をその上にかけて、それから服を窓の外に出してその臭いを干していました。このような情況の中で、私たち二人は断食を通して抗議しました。三日後に初めて私たちは外で大、小便を済ますようになりました。十数日後に子供たちが私たちを見舞いに来て、酷く痩せた私たちを見てから、こっそりと私に代わって保証書を書き、1000元を出して車で私を家に連れて帰りました。しかし妻は断食してから6日目に平度に移されて、半月後にまた鎮の派出所に送致されて、一ヶ月以上の迫害を受け、息子がこっそりと280元を出してから、初めて釈放されることになったのです。

 2001年冬に、私は他の6名の同修たちと一緒に北京に陳情に行きました。北京で車を降りるともう夜になっていました。私たちは旅館の部屋を探そうとしましたが、壁には法輪功に関する告示が貼ってありましたので、身分証明書がなければ泊まれないので、公園の石のベンチの上に数時間座っていました。空が明るくなる5時前に、私たちは天安門広場に来ました。天安門広場に来ると、心の中にこの上ない感慨を覚え、そして私は空に向かって「師父の潔白を返してください!大法の潔白を返してください!」と二回叫びました。このときに手に小さな旗を持った私服の警察官が私のところにきて、私は国旗を揚げるのを見にくる民衆の中に入り込みました。同時に4、5台の警察用の車が駆けつけて、5名の同修が悪徳な警察官に見つけられて、車に押し込まれてつれて行かれました。残った私たち二人は非常に悲しくなり、この苦痛に耐えて家に戻りました。五軒の家族に彼らが北京で拉致されたことを告げました。

 2002年の正月に、娘、息子がみな戻ってきました。一家団欒で楽しく会話しているときに、莱州の公安局がある邪に悟った女性を連れて私の家に入り込みました。その中のある警察官が私の妻にこの人を知っているのか、ディスクは妻があげたのかと聞いた。妻は落ち着いて彼らに「知らないわ、あなたたちは帰ってください」と言いました。悪徳な警察官はまた妻に「お前らの家にまだどれくらいのディスクがあるのか、全部出せば今日は勘弁してやる。正直に言わないと人証物証は全部あるから今日はお前を連れて行くぞ」と言いました。妻はまだ知らないと言い、また警察官に「もう新年になります、親戚たちはみな戻ってきます。良い人を傷つけないでください。私たち修煉者はみな良いひとばかりです」と言いました。その悪徳な警察官は「この話だけでも、莱州でいえる人は一人もいないぜ、もしここが莱州だったらすぐにお前を連れて帰るぞ、お前の夫は?」と聞きました。実は、警察官が入るとすぐに、私は静かなところを探して正念を発して、別空間にある邪悪な要素を取り除いていました。悪徳な警察官が呼ぶのを聞いて、私は落ち着いて出てきて子供を抱いて泣いている娘をさして「あなたたちのせいで子供たちはこのように泣いていますよ、もう帰ってください」と言いました。警察官はどうすることもできないのを見て、帰るときに、また来ると言いました。今回に、私および妻が共に強く“恐れがあると、捕まえられる、念が正しければ、悪は崩れる、修煉者、法を積み込め、正念を発し、卑しき鬼は爆発する、世にいる神が、法を実証する”を感じました。(『洪吟』二)

 2003年の秋、つまり中国共産党第16回大会の前日に、私は妻と農業の仕事を終えてから、晩ご飯を作ろうとしているときに、突然8人が中に入り込んできました。彼らの中には陳情関係の者、計画生育関係の者(一人っ子政策関係者のこと)、そして派出所の者もいました(大法弟子を拉致するために、警察だけでは足りなくなり、計画生育関係の者までも参加するようになった)。その中の派出所のインストラクターである梁同海が「鐘さん、党の委員会があなた方二人を呼んでいます。話があるそうです。早く服をきて、私たちについてきてください。またあなたたちすぐに戻りますから」と言いました。私の頭の中にすぐにハテナと思いました。:すぐに戻るといったのに、外套の服を着てどうするんだ?:おかしいと思い、私は正念を発しはじめました。そして彼らに私たち修煉者はみな良い人ばかりですから、どこにも行きませんと応えました。悪徳な警察官はついに偽善の顔を脱ぎ捨て、「やれ」という一言で、みな土匪のように、3,4人の悪徳な警官官が私の腕を掴み、私たち夫婦二人を押してパトカーに入らせようとしました。私と妻はどちらも乗車しょうとせず、足で自動車のドアを力入れて踏みつけていました。十数分経っても乗ろうとしないので、悪徳な警察官はどうしょうもなく、更に凶暴に私の足を蹴り、頭を押して、腕を捻りました。ついに私はあまりの痛みのために、乗車したのです。70過ぎの老いた母がおびえて泣いてばかりいました。私たちはこのように鎮政府に拉致されたのです。

 なにをされるのかも分からなく、十数分後にまだ私たちを平度の洗脳センターに送致されたのです。初めて着くときに私は代姓の悪徳な警察官に「私たちの鎮政府は党の委員会から用事があると聞いて、すぐに帰らせると聞いたのですが、なぜ私たちをここまで送ってきたのですか?政府の官員がでたらめを言って、嘘をついて拉致とは」と言いましたが、代姓の警察官は恥をも知らずに「これこそ人を捕まえる手段というものだ」と答えました。その後に始めてこの代姓の警察官は610オフィスのリーダーだと知りました。

 夜になりますと、私は妻と一緒に彼らに真相を伝えましたが、彼らは全く聞こうとしませんでした。次の日に、警察官は私たちに16時間も壁に向かって座らせる、あるいは大法を汚す録画を見せました。私は法を暗記するか、正念を発していました。ここでは20数名の大法弟子が監禁されていました。みな非人道的な虐待を受けています。その中のあるお婆さんは、邪悪の指示に従わないため、敷地で体罰を受けました。彼らはまず手錠をかけてから吊り上げて、同修の足を強く蹴ると、人は倒れますが、しかし手には手錠がかけられて吊られているため、体は宙に浮き、その苦痛は非常に耐えがたいものでした。残虐な迫害の下で、最後に20数名の同修たちは耐えられなくなり、みな妥協して釈放されました。ただ私と妻だけが残っていました。そこで邪悪な輩どもがまた子供や母を610オフィスに来させて、泣きながら説得させられた末、私たちは邪悪に隙を乗じられ、保証書を書いてしまいました。

 家に帰ってから、私たちは非常に苦しくなって数日よく眠れませんでした。本当に師父の慈悲なる済度に合わせる顔がありません。私と妻が勇気を出して同時に再び法を実証すると声明を書き、真相を伝える流れに戻ることができました。過去の不足を倍にして償おうとしました。今回の教訓から、私は、迫害と直面するときは、必ずはっきりとしなければならない、大法を堅く信じ、常人の心に動かされてはいけないと感じました。

 2004年3月に、同修は莱州公安部局に拘留されてその資料の出所を調査し、かつ平度安局に通知され、平度の悪徳な警察官が再び私の家を訪れました。三台のパトカーが建物を囲い、何の手続きも示さない情況の下で私の妻を拉致して、わが家のテープ・レコーダー、テープ、ビデオなど5000元相当のものを不法に没収されました。
 
 妻が監禁されて、今日でもう5ヶ月になります。監禁されている間に、一緒にいた同修の話によりますと、妻は数回にわたって体罰による虐待を受けて気を失いました。それに家族との面会も阻止されました。私も今日までに指名手配され、故郷を離れましたが、大法弟子として成すべきことをしています。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/9/20/84616.html